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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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久しぶりに蔵建て男さんのツィッターを読んだので、記念に転載する。
まあ、妥当な意見だと思うが、打席に立った経験も無いのに「球(おそらく球の出所か)が見やすい」投手かどうかなど分かるのだろうかwww

(以下引用)

だいたい選手レポート作っていると、大成しない投手の特徴がわかってくる。 1,コントロールが悪い 2,ボールが見やすく合わされやすい 3,特徴がない 4,怪我や故障で満足に投げられない だいたいは、これで失敗している。成功している理由は様々だが、失敗している理由は大体これに集約される。


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新コロ騒動による自粛が教えたのは、世の中の大半の事柄は「無くてもいい」ものだったということかもしれない。プロ野球も高校野球もサッカーもコンサートも、無ければ無いで我慢できるし、外食して美味いものを食うのも我慢できる。異性とのデートも我慢できる、となれば、結婚しなくても我慢できるし、性欲も我慢できる。お洒落をしなくても我慢できるし、一日中家の中にいても我慢できる。つまり、現実世界など無くても、ネットの中のVRや小説や漫画のVRですべてOK、ということだ。新作が無いなら、過去の名作(そのほとんどを我々は知らないままだ。)を訪ねればいい。
VR産業の人間以外のすべての人間が家に閉じこもってVRの世界に生きるとなれば、ネット産業だけがこの世界の支配的産業になるわけで、ビル・ゲイツが新型コロナウィルスを世界中に撒いた真犯人だ、という陰謀論にも「動機」の面から言えばうなずけるところはあるようだ。



これは素晴らしい提言である。
名作と言われる映画などに出た俳優が、晩年は零落して孤独死したという話はゴマンとある。
漫画家や音楽家などにも同じような制度を構築するべきだろう。


(以下引用)


ヒロ・マスダ / Hiro Masuda
@IchigoIchieFilm
浅野忠信「映像2次使用料を俳優も」

過去の契約になかったものを得るのは難しいと思うが、今後は、この条件を標準化できるよう俳優が交渉できる環境が生まれることが好ましいと思う。例えば、米ドラマ「フレンズ」は今でも再放送で各キャストに20億円分配されている。
野木亜希子は好きな脚本家だが、「電脳コイル」って、子供が主役である以外は、非常にマニアックで、子供が理解できる内容ではなく、ユーモアも、或る回(アニメ内の別アニメが中心の回)以外はまったく無く、全体に陰鬱で陰惨な雰囲気が漂う作品だと思う。つまり、家族で観るアニメではまったく無いと私には思えるのだが、どうだろう。
もちろん、私はたとえばシュタインズゲートのような「頭を使うアニメ」が苦手だということもある。しかし、子供の理解力なら、私以下だろう。まあ、登場する子供たちを眺めるだけで、「何が何やら分からんけど面白いかもしれない」という子供もいるだろう。現実と別次元の現実とが侵食し合う話(たとえば「千と千尋の神隠し」)を子供がまったく理解できないとは言わないが、一見科学的な世界として描かれながら、それが異世界と交錯するのでは、かなり理解に苦しむと思う。
この作品の制作の中心となった磯光男はかなり才能のあるアニメ作家だと思うが、アニメは「時間芸術」である以上(つまり、誰もが見直しができるわけではない以上)、視聴者の瞬間的理解力に対する理解が無さすぎると思う。

なお、私は、そうした不満感と不快感をずっと持ちながら、一応最後まで見たのは、この作品の場合は結末まで見て評価しないと正しい評価はできない作品だろう、という義務感からで、観終わっての感想は、「膨大な時間を無駄にした」である。これは、作品を見ている間中、楽しさや面白さをほとんど感じられなかったのだから、当然だろう。まあ、もちろん、これは見る側の問題だ。
ただ、「家族で楽しめる」は、かなり稀な家族だけに限定されるのは確かだと思う。作品の創作性における質の高さと、その視聴価値はまったく別である。

(以下引用)


野木亜紀子
@nog_ak
あたらしいテレビの収録。実はおすすめ作品として『電脳コイル』も推しており無駄に力の入ったボードも書いていたのですが、AmazonPrimeで配信復活していた!家族で楽しめるジュブナイルSFアニメ。わくわくできて笑えてミステリーもあり最高なので未見の人は見ておくれ。



haunted houseは日本で言う「幽霊屋敷」だが、hauntは動詞として「出没する、たびたび訪れる、心につきまとう」意味で、名詞として「(何かが)出没する場所、巣窟」の意味である。つまり、そこには「幽霊が」という限定は無いのだが、屋敷の中に出たり消えたりする存在、というだけで、それが幽霊であることは含意されるのだろう。
ある、私の知らない大学の先生らしい人のツィートだが、遠隔授業とは、自分の授業が常に誰かに監視されているという前提の授業になるわけだwww
そして、この発言者は「どうせ真面目に授業してないだろう」と知り合いから普段は思われていたわけだwww
まあ、もともと授業とは学生の衆人環視の中で行うものだが、相手が学生だからと教師が油断しているところはあるだろう。その中で馬鹿な言動をする学生が目立つから学生の知能や知性を低く思うわけだが、実は沈黙している学生の中に優れた知能や教養の持ち主はいる。


(以下引用)


知り合いの先生から連絡をいただく。「思ったより、まじめに授業やっているのですね」という旨なのですが、遠隔授業の真の怖さに震えております(つまり、受講した学生の親という展開)









まあ、こういうおふざけブログに書く内容ではないが、山田五十鈴がこういう発言をしていたというのは驚きである。アカとされただけで虐殺された人間が何人もいた時代に生きた人だけに、凄い精神力だ。



(以下引用)

ライジ
@lije_bailey
「芸能人が政治的発言をするな」と黙らせようとする空気に対しては、女優・山田五十鈴の言葉を何度でも引いておきたい:

「貧乏を憎み、誰でもまじめに働きさえすれば、幸福になれる世の中を願うことが、アカだというのなら、わたしは生まれたときからアカもアカ、目がさめるような真紅です。」
「これ考えた奴天才だろwwwwって思った擬音」

というスレッドがあって、結局「シーン」という「沈黙の音」が一番だ、というありきたりの意見への賛同が多かったのだが、擬音というのは慣用されているものにだいたい優れたものが多く、今の漫画家などが独自の擬音を作っても、さほど拡散しない。
たとえば、ウグイスの「ホーホケキョ」など、それに代わる擬音を考えても、まず落第である。実のところ、ウグイスの鳴き声はまったく「ホーホケキョ」とは聞こえないのだが、それ以外に表現が不可能なのである。あるいは、驚いた時の擬態語「ドキッ」なども代替不可能だろう。まあ、「ビクッ」でもいいかと思うが、ニュアンスは違う。「よつばと!」で「ビクッ」が使われるのは「小さな驚き」の場合で、そこで「ドキッ」を使わないのは流石だと思う。つまり、「ビクッ」は心理的と言うより、条件反射的な、身体反応(としての驚き)なのである。
文学者では宮沢賢治と萩原朔太郎がオノマトペの名人だが、漫画の中のほうが擬音語や擬態語は多い。山松ゆうきちが大雨の降る様を表した「ザカザン、ザカザン」など見事である。

なお、「シーン」を最初に使った(作った)のは誰か、おそらく検証されていると思うが、その起源は「森閑とした」の「森閑」から来ているのではないか、と私は想像している。あるいは、人を黙らせる時に言う「シーッ」からかもしれない。


(追記)「シーン」を発明したのは自分だ、と手塚治虫が「漫画の描きかた」みたいな本の中で言っているらしい。(と言うか、私自身、読んだ記憶がうっすらある。)だが、その言葉がどこから来たのかは言っていないようだ。

(追記)ウグイスと並んで、鳴き声が文学で言及されるホトトギスだが、その擬声語を私は知らないので、ネット動画で聞いてみると「ピッピッピョピピピョ」あるいは「チッチッチョチチチョ」という感じである。文学などでホトトギスの擬声語がどう表現されているか調べてみたい。(母音の音の高さがア段から次第に下がってオ段に至ると仮定したら、「ピッピッピパピピョ」となる。)

(追記)探してみると、小説ではなく野鳥の会みたいなホームページにこうあった。私の耳もそう悪くはないようだ。ただ、「鳴いて血を吐くほととぎす」という文句から想像したような悲痛感は無く、ひよこみたいだな、というのが最初の印象だった。

キョッキョッキョキョキョキョという鋭い声(雄)。

「自著の引用という野暮なこと」とあるが、ツィッターで自作の宣伝をするのはいいことだと思う。まあ、下の引用は宣伝とは違う意図だろうが、こうした自作引用によって、その作者の作品を読んだことがない人が「ああ、こういう文章を書く人なんだ」と興味を持つ可能性もある。
もちろん、作者の政治的立場を明示することで離れる人もいるだろうが、そういう人はどうせいずれ離れていく人間だ。
私は「絲山秋子」という作家にはまったく関心が無かったが、この引用された文章を読んで、実に論理性の高い文章を書く作家だな、と興味を持った。

なお、新しいもの(未知の存在)を警戒するのは動物に本来備わっている自己防御本能らしいが、老年になるとそれに加えて「新しいものを知る作業」が面倒くさくなるのである。知的老化、とでも言っておこう。



絲山秋子

@akikoitoyama
·
12時間


自著の引用という野暮なことをしますが、『御社のチャラ男』p103で書いた「いじめが始まるときの突然のルール変更」を思い出したのです。

#検察庁法改正案に抗議します




「多くの人が一直線に向かったのは、人気ゲームの攻略本売り場だった。」

というのが面白い。今やテレビゲーム(携帯型ゲーム含む)は子供のものではなく、全年齢対象の娯楽だな、と思う。
私は攻略本を使ったことは無いが、ネットの攻略サイトのお世話にはなっている。しかし、(作品中にきちんと多くの手がかりを入れることで)独力で最後まで進められるのが本当に優れたゲームだと思っている。
なお、最近やったゲームでは、「アライアンス・アライブ」が、ゲームバランスの良さ、ほとんど独力で最後まで攻略できるという点では非常に優れていると思う。もっとも、私はゲームそのものをやっている数が少ないので、これは個人的感想でしかない。
「アライアンス(「同盟」の意味)アライブ」は、脚本が初期幻想水滸伝の人らしい。作中のキャラの会話が、幻水的なとぼけたユーモアがあるところがいい。


(以下引用)





Yahoo!ニュース

@YahooNewsTopics
·
5月8日


【書店が営業再開 攻略本求め列】
https://yahoo.jp/X91cPx

7日、新宿にある書店では3週間の自主休業を終えて営業を再開。開店時には、30分以上前から列を作った100人以上が一気になだれ込んだ。多くの人が一直線に向かったのは、人気ゲームの攻略本売り場だった。



書店が営業再開 攻略本求め列 - Yahoo!ニュース
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