ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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井口和基博士のブログから転載。
私自身はサッカーにはほとんど興味は無いが、物事を分析する事自体が好きだから、このような分析的文章を読むのも好きだ。そして、ここに書かれた博士の論評は、おそらく日本女子サッカーの長所と男子サッカーの根本的欠陥を正しく分析していると思う。
日本男子サッカーの欠点とは、一言で言えば「夜郎自大」(男どもが自惚れきっているのだから「野郎自大」と書きたくなるが)ということである。つまり、たいしたことがない連中が、日本のマスコミやファンに騒がれることで自分たちをたいしたものであると勘違いしているところが根本的な欠陥だ。選手はそれでもいい。しかし、指導者たちは、そういう「夜郎自大」の野郎どもの低いレベルをよく把握して、それを正しい方向に向けねばならないのだが、それができていない。
「夜郎自大」のプレーとは、下記記事の「ドリブルサッカー」である。
メッシほどの才能もない連中が自分をメッシか何かであると勘違いして、カッコ良く相手をかわそうとして、失敗する。それが日本男子サッカーである。……多分、そうだと思う。まあ、スポーツニュースの断片を見た程度での意見だから、超素人の偏った見方だが。
とにかく、日本のマスコミは男子サッカーに甘すぎる。それがあるいは一番の問題かもしれない。
(以下引用)
この選手に代表されるように、今の女子サッカーの何が一番良いかと言えば、それは「パスサッカー」がきちんとできているということである。この一言で私が何を言いたいか分かった人は相当にサッカーを理解している人である。
しかしながら、そこまで人間はうまく出来ていない。昔の常識も世代たった1世代変わっただけでも記憶が失われる。そういうちゃちな存在なのであるから、この際この点をメモしておこう。
ここで私が言う意味の(もちろん、これは世界ランク1位の男子スペインや女子1位のアメリカなどでも常識なことだが)「パスサッカー」とは、次のような一連の動きを繰り返してシュートまで行くサッカーのことである。
これを読むとサッカーを知らない人は(もちろん、このブログで取り上げるさまざまなエイリアンネタなどでもそうだが)、現場をイメージできないから、書かれた言葉尻から物事を構築しようとするために、これって普通にだれでもやっていることじゃないの?と思うに違いない。
ところがそういうことはまったくないのである。日本のJリーグ、高校サッカー、男子日本代表でもこんな簡単なことができないのである。たいていの場合、私が個人的に命名している「ドリブルサッカー」というものになる。この「ドリブルサッカー」とは次のようなものである。上の「パスサッカー」とすべてが逆になるのである。
まあ、極端に言えば、こんな感じのサッカーである。
日本のサッカーがレベルアップするには、「ドリブルサッカー」(=「ラグビーのようなサッカー」)から「パスサッカー」(=「バスケットボール」のようなサッカー)に進化しなくてはならないのだが、これが日本の男子サッカーではなかなかできないのである。それにはいくつかの理由があるが、私が気付いたのは次のようなことだろうと思う。
まず、日本の女子サッカーの場合、欧米の平均180cm以上の大型チームに対して、日本の女子がいきなり1対1をしかけても身体やスピードで敵わない。競技人口も少なく、層も薄い。だから、日本の女子の場合は、肉弾戦や接近戦を避ける方向のテクニックから進歩してきたということだろうと思う。この場合は、持久力とパス精度とパスワークとシュート精度を増す必要がある。このように、日本の女子の場合、その置かれた立場から、日本サッカーの方向性がかなり限られていたことが結果的には良い方向に働いたのだろうということである。その結果として、比較的小柄で技術重視のスペインサッカーのようなパスサッカーに近づいたということになる。
ところが、日本の男子の場合には、この点があいまいになる。極めて曖昧である。日本男子の場合は、190cm級も入れば、160cm級も幅広く分布する。100m10秒台のスピード派もいれば、南米的テクニシャン派もいる。また、Jリーグはフランチャイズ制のために、地元の望むサッカーを選択した歴史的経緯がある。鹿島や磐田はブラジル、浦和はドイツ、横浜はアルゼンチンなどなど、開幕当初に日本に来た海外のプロサッカー選手の影響を大きく受けた。そのために、各Jリーグの下部組織のサッカースクールの内容も、自分のトップチームが理想とするサッカーの強豪チームの影響を受けるのである。ちなみに、日本サッカー協会やJリーグの創始者やお偉方たちの大半は、旧西ドイツのデットマール・クラマーコーチの薫陶を受けたためにドイツサッカーを好む。
こういう状況で日本男子代表を作ると、関西サッカーと関東サッカー(箱根の関所を境にサッカーの言葉使いが違う。サッカーにも方言があるのだ。)でやるサッカーが違う。出身チームでサッカー観が異なる。だから、なかなか一貫したサッカー観を持つ一体感のあるチームが作りにくいということになるわけである。日本サッカー協会は公式の指導マニュアルを作ったとしても、各チームごとに描く理想のサッカーが異なるのである。だから、往々にして日本サッカー代表はばらばらになりやすい。
私自身はサッカーにはほとんど興味は無いが、物事を分析する事自体が好きだから、このような分析的文章を読むのも好きだ。そして、ここに書かれた博士の論評は、おそらく日本女子サッカーの長所と男子サッカーの根本的欠陥を正しく分析していると思う。
日本男子サッカーの欠点とは、一言で言えば「夜郎自大」(男どもが自惚れきっているのだから「野郎自大」と書きたくなるが)ということである。つまり、たいしたことがない連中が、日本のマスコミやファンに騒がれることで自分たちをたいしたものであると勘違いしているところが根本的な欠陥だ。選手はそれでもいい。しかし、指導者たちは、そういう「夜郎自大」の野郎どもの低いレベルをよく把握して、それを正しい方向に向けねばならないのだが、それができていない。
「夜郎自大」のプレーとは、下記記事の「ドリブルサッカー」である。
メッシほどの才能もない連中が自分をメッシか何かであると勘違いして、カッコ良く相手をかわそうとして、失敗する。それが日本男子サッカーである。……多分、そうだと思う。まあ、スポーツニュースの断片を見た程度での意見だから、超素人の偏った見方だが。
とにかく、日本のマスコミは男子サッカーに甘すぎる。それがあるいは一番の問題かもしれない。
(以下引用)
この選手に代表されるように、今の女子サッカーの何が一番良いかと言えば、それは「パスサッカー」がきちんとできているということである。この一言で私が何を言いたいか分かった人は相当にサッカーを理解している人である。
しかしながら、そこまで人間はうまく出来ていない。昔の常識も世代たった1世代変わっただけでも記憶が失われる。そういうちゃちな存在なのであるから、この際この点をメモしておこう。
ここで私が言う意味の(もちろん、これは世界ランク1位の男子スペインや女子1位のアメリカなどでも常識なことだが)「パスサッカー」とは、次のような一連の動きを繰り返してシュートまで行くサッカーのことである。
(あ)まず、自分がよく回りを見てボールをもらえる位置に入る。
(い)自分にパスが来たら、そのボールを迎えに行ってその場で止まり、きちんとトラップして、ボールを静止させる。
(う)止まったボールをよく周りをみて正確にパスをつなぐ。
(え)パスを蹴り終わった瞬間から、「パスアンドゴー」で次にボールをもらえる位置まで走る。
これを読むとサッカーを知らない人は(もちろん、このブログで取り上げるさまざまなエイリアンネタなどでもそうだが)、現場をイメージできないから、書かれた言葉尻から物事を構築しようとするために、これって普通にだれでもやっていることじゃないの?と思うに違いない。
ところがそういうことはまったくないのである。日本のJリーグ、高校サッカー、男子日本代表でもこんな簡単なことができないのである。たいていの場合、私が個人的に命名している「ドリブルサッカー」というものになる。この「ドリブルサッカー」とは次のようなものである。上の「パスサッカー」とすべてが逆になるのである。
(あ)まず、自分がよく回りを見ず、ボールが来るまでその場にいる。
(い)自分にパスが来たら、そのボールが近くに来てからトラップし、ドリブルに入る。
(う)ドリブルしながらパスコースを探し、かならず相手を1人2人と抜いてからパスを出そうとする。
(え)パスを蹴り終わった瞬間から、その位置で止まる。
まあ、極端に言えば、こんな感じのサッカーである。
日本のサッカーがレベルアップするには、「ドリブルサッカー」(=「ラグビーのようなサッカー」)から「パスサッカー」(=「バスケットボール」のようなサッカー)に進化しなくてはならないのだが、これが日本の男子サッカーではなかなかできないのである。それにはいくつかの理由があるが、私が気付いたのは次のようなことだろうと思う。
まず、日本の女子サッカーの場合、欧米の平均180cm以上の大型チームに対して、日本の女子がいきなり1対1をしかけても身体やスピードで敵わない。競技人口も少なく、層も薄い。だから、日本の女子の場合は、肉弾戦や接近戦を避ける方向のテクニックから進歩してきたということだろうと思う。この場合は、持久力とパス精度とパスワークとシュート精度を増す必要がある。このように、日本の女子の場合、その置かれた立場から、日本サッカーの方向性がかなり限られていたことが結果的には良い方向に働いたのだろうということである。その結果として、比較的小柄で技術重視のスペインサッカーのようなパスサッカーに近づいたということになる。
ところが、日本の男子の場合には、この点があいまいになる。極めて曖昧である。日本男子の場合は、190cm級も入れば、160cm級も幅広く分布する。100m10秒台のスピード派もいれば、南米的テクニシャン派もいる。また、Jリーグはフランチャイズ制のために、地元の望むサッカーを選択した歴史的経緯がある。鹿島や磐田はブラジル、浦和はドイツ、横浜はアルゼンチンなどなど、開幕当初に日本に来た海外のプロサッカー選手の影響を大きく受けた。そのために、各Jリーグの下部組織のサッカースクールの内容も、自分のトップチームが理想とするサッカーの強豪チームの影響を受けるのである。ちなみに、日本サッカー協会やJリーグの創始者やお偉方たちの大半は、旧西ドイツのデットマール・クラマーコーチの薫陶を受けたためにドイツサッカーを好む。
こういう状況で日本男子代表を作ると、関西サッカーと関東サッカー(箱根の関所を境にサッカーの言葉使いが違う。サッカーにも方言があるのだ。)でやるサッカーが違う。出身チームでサッカー観が異なる。だから、なかなか一貫したサッカー観を持つ一体感のあるチームが作りにくいということになるわけである。日本サッカー協会は公式の指導マニュアルを作ったとしても、各チームごとに描く理想のサッカーが異なるのである。だから、往々にして日本サッカー代表はばらばらになりやすい。
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