反イスラム差別の撤廃こそ最善のテロ対策である
仏紙襲撃事件の大騒ぎはどうか。
フランスや米国が騒ぐのはわかる。
しかし、日本のメディアが連日このニュースをトップニュースとして騒ぎ続けるのは異常だ。
「テロには屈しない」の大合唱だ。
言論の自由、民主主義を守れの大合唱だ。
それもいいだろう。
しかし、それでは何も解決しない。
それどころか、世界はますます分断され、憎悪のスパイラルが高まり、命がいくつあっても足りない不穏な状態が続く。
どうすればいいのか。
それはイスラムに対する不条理な差別をなくすことだ。
もう遅いかもしれない。
あるいは、世界が不安になることを本気で望んでいる勢力の目論見が奏功しているのかもしれない。
もはやイスラム過激派との和解は不可能になってしまったのかもしれない。
しかし、それでも正しい解決策を模索しなければいけない。
そもそも彼らは言論の自由とか民主主義とか、いわゆる欧米が唱え、それをわれわれが当たり前のように受け止めてきた価値観を全否定しているのだ。
それが個人レベルなら権力や軍事力で取り締まることができる。
しかし、世界中の何億、何十億の潜在的同調者がいたらどうか。
彼らが国家をつくり、あるいは国境を越えた連帯を広げればどうか。
9・11から14年たち、テロとの戦いは、なくなるどころか、そこまで嵩じてしまったのではないのか。
なくすべきは不条理で不寛容な差別だ。
そこから生まれる憎悪だ。
それをもっとも排するものこそ憲法9条の精神なのだ。
そのことを言い出すものが誰もいない。
そんな今の日本は、あたかも皆が安倍首相のようになってしまったごとくである。
日本もまた、無自覚のうちにどんどんと危うい方向に突き進んでいる(了)
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