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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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面白いデータを含む記事である。RFというのは初めて知ったが、内野の守備力を測るにはいい指標ではないか。これなら、「難しい打球を取ろうと動かず、ズルをすれば守備率自体は高くなる」という、守備率だけで守備力を測ることの持つ不合理性を補正できる。難しい打球にトライするアグレッシブな守備をすれば、守備率は悪くなるのが道理だ。動かない野手と、どちらが優れているかは明瞭だろう。
刺殺と捕殺というのは実は私は理解していない。まあ、調べればすぐに分かるが、たぶん、刺殺は「刺して殺す」のだから、取ったボールを他の野手に投げて、そこで相手ランナーを殺すこと、つまり、アウトのアシストだろう。捕殺は、「捕って殺す」のだから、ボールを捕った段階でアウトになる、ということ。たとえばフライを捕るなど、ではないか。三塁へのゴロを三塁手が捕って一塁に投げて、そこでアウトにすれば、三塁手に刺殺、一塁手に捕殺がつくのではないか。つまり、一塁手の捕殺数は他の野手と比較して凄い数になるのだろう、と思う。


ショートゴロまで横取り!? データが示す、長嶋茂雄のすごすぎる三塁守備

ベースボールチャンネル 12月28日(月)18時0分配信

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同年代の三塁手の中でずば抜けた守備範囲

 来年2月に80歳の誕生日を迎える長嶋茂雄は、NPB史上に残るクラッチヒッター(勝負強い打者)だったが、守備でもファンを魅了した。
 すばやいダッシュでボールに飛びつき、流れるようなフォームで一塁に送球する。その華麗な守備を多くの野球少年が真似したものだ。

 そのうえ、長嶋茂雄は守備範囲が抜群に広かった。
 1958年、巨人に入団した長嶋は三塁を一人で守り新人王を獲得した。この年と今年の主要な三塁手の守備成績を比べてみよう。RF(レンジファクター)は(刺殺数+補殺数)÷試合数 1試合当たりのアウトにした数。守備範囲の広さを示す(Baseball Referenceなどをもとに作成)。

1958年
・長嶋茂雄(巨人)129試合129刺殺385補殺25失策 守備率.954 RF3.95
・岡嶋博治(中日)130試合122刺殺364補殺32失策 守備率.938 RF3.24
・三宅秀史(阪神)130試合136刺殺309補殺15失策 守備率.967 RF3.42

2015年
・村田修一(巨人)97試合57刺殺174補殺13失策 守備率.947 RF2.38
・レアード(日本ハム)142試合86刺殺250補殺17失策 守備率.952 RF2.37
・松田宣浩(ソフトバンク)143試合76刺殺256補殺8失策 守備率.976 RF2.32

 現代の三塁手のRFが1958年の三塁手よりも1以上低いのは、主としてNPBの左打者数の違いによる。
 1958年当時は、左打者は全選手の10%程度、現在は25%程度。三塁手の守備機会は左打者が増え、右打者が減少したことによるものと考えられる。

 しかし長嶋茂雄は、同時代の三塁手たちの中でもずば抜けて守備範囲が広かった。当時、三塁守備の名手とうたわれた阪神の三宅秀史の数字を大きく上回っている。

 ところで昭和中期の巨人には、もう一人内野にスター選手がいた。遊撃手の広岡達朗だ。1954年、長嶋と同様東京六大学のスター選手として鳴り物入りで巨人に入団。1年目から正遊撃手として活躍し、新人王に輝いた。

 広岡の遊撃守備は当初、腰高だと指摘され、二年目には三塁にコンバートされるが、三年目の1956年に再び遊撃手に戻されてからは広い守備範囲と安定感のある送球でリーグを代表する遊撃手になった。


長嶋が正三塁手になって広岡の守備のデータに変化

 1956年と今の主要な遊撃手の守備成績を比べてみよう。

1956年
・広岡達朗(巨人)93試合147刺殺337補殺16失策 守備率.968 RF5.20
・吉田義男(阪神)127試合204刺殺436補殺17失策 守備率.974 RF5.04
・豊田泰光(西鉄)147試合277刺殺440補殺40失策 守備率.947 RF4.88

2015年
・田中広輔(広島)141試合212刺殺476補殺22失策 守備率.969 RF4.88
・安達了一(オリックス)139試合203刺殺449補殺16失策 守備率.976 RF4.69
・坂本勇人(巨人)130試合190刺殺415補殺11失策 守備率.982 RF4.65

 遊撃手の守備機会は今も昔も大きな変化はないと考えられる。

 広岡は、これも名人と言われた阪神の吉田義男よりも広い守備範囲を誇っている。現代の選手と比べても、守備範囲は広かった。内野の要として活躍したが、1958年に長嶋茂雄が入団し、正三塁手になると、広岡の守備成績は微妙に変わっていく。

 長嶋が入団する前後8年の、巨人の三遊間のRFの推移を見ていこう。

1954年 ・三塁手 手塚明治RF2.65 ・遊撃手 広岡達朗RF4.79
1955年 ・三塁手 広岡達朗RF3.16 ・遊撃手 平井三郎RF4.66
1956年 ・三塁手 土屋正孝RF3.18 ・遊撃手 広岡達朗RF5.20
1957年 ・三塁手 土屋正孝RF3.39 ・遊撃手 広岡達朗RF5.08
1958年 ・三塁手 長嶋茂雄RF3.95 ・遊撃手 広岡達朗RF4.39
1959年 ・三塁手 長嶋茂雄RF3.85 ・遊撃手 広岡達朗RF4.89
1960年 ・三塁手 長嶋茂雄RF3.69 ・遊撃手 広岡達朗RF3.99
1961年 ・三塁手 長嶋茂雄RF3.83 ・遊撃手 広岡達朗RF4.27

 長嶋が正三塁手になった年に、遊撃手広岡のRFの数値は激減している。翌59年は盛り返すが、60年にはまたRFが激減している。

 広岡はその後、遊撃守備のRFが4.5を超えることがないまま、1966年に引退。スーパースター長嶋茂雄の前にかすんでしまった印象だ。

 遊撃の広岡達朗が打球を処理しようと身構えていると、三塁の長嶋がそれを横っ飛びにとってアウトにした、とはよく聞く話だが、このデータはそれが本当の話だったことを如実に表している。



ベースボールチャンネル編集部

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