ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(11/22)
(11/22)
(11/21)
(11/21)
(11/21)
(11/20)
(11/20)
(11/19)
(11/19)
(11/19)
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
P R
カウンター
映画監督太田隆文のブログから転載。
まさにその通りだと思う。カネ儲けだけのために作品を作るようになったら、その芸術ジャンルは終わりになる。
記事タイトルには書いていないが、AKBやジャニーズタレントを使う時点で、「俳優」も不在、と言えるだろう。
日本映画も近年、ハリウッドを真似て、巨額の製作費がかかった人気タレントが出ている映画が量産されている。が、本当に面白い!という作品がほとんどないのが実情だ。なぜ、日本映画はおもしろくないか? 「ハリウッドの物まねをしても、所詮、製作費の桁が3つ違うからね!」という人もいるだろう。それも理由のひとつだが、一番大切なものが抜け落ちているからだ。
大作の日本映画を作るのは主にテレビ局や企業が集まった製作委員会。それらが映画を作るとき、最初にするのはベストセラー原作を探すこと。そして、人気タレントのスケジュールを押さえる。そこから脚本家に原作の脚色を頼み。最後の監督が決まるということが多い。
映画の責任者は監督なのに、一番最後。全てお膳立てが揃ってから呼ばれる。その監督は撮影現場を仕切り、スケジュール通り、製作費を超えないようにして作品を作る。いわば雇われ現場監督。この環境こそがハリウッド映画のような「面白い」作品ができない背景でもある。
ハリウッドの場合。大作でも、監督であるジョージ・ルーカスやスピルバーグ。そしてジェームズ・キャメロンでもそうだが、彼らが企画し、自分たちがやりたい作品を作る。だから、超大作でも、SF大作でも、CGを使った巨額の製作費の映画でも、そこに彼らの「思い」が反映。貫かれている。
一方。日本の大作映画では監督は雇われた現場監督。作品を企画したプロデュサーや企業に「思い」はない。「知名度のあるベストセラー原作の映画化だからヒットして儲かるな!」ということしか考えていない。申し訳にテーマを「愛」とか「絆」とか付けるがそれは上辺だけ。監督も「それを描きたい!」という強い思いはなく「愛がテーマですね? やってみます」てな感じ。
脚本家も「思い」がなく、ベストセラー原作をどうやって映画に置き換えるか?だけを考えて執筆する。数年前に公開された人気アニメの映画化作品でも、脚本家はそのアニメに対する愛はゼロ。アメリカの「スパイダーマン」や「バットマン」のパクリのようなエピソードにして、そのアニメのファンから大ブーイングを受けた。もともと原作アニメへの愛はなく、その人はアメコミが好きだったのだ。
そんなふうに製作会社から脚本家、監督まで、誰も「この作品を映画化したい!」「オレの思いを伝えたい!」と思っていない。作品に対する愛もない。知名度のある原作を映画化すれば儲かる!というだけ。それが日本の大作映画。だから巨額の製作費がかかっているのに詰まらない。
それに対して、スピルバーグやルーカスも、キャメロンも、デビッド・リンチやティム・バートンも、現場監督ではなく、自分たちの「思い」を伝えるために映画を作っている。だから感動する。だから、感銘を受ける。たまに超大作でビジュアルは凄いのに、何かもの足りない映画がハリウッドにもあるが、それは日本と同じで、興行目的だけで、プロデュサーが企画。雇われ監督と使った作品であることが多い。
そんなふうに実は観客が本当に感動するのは、製作費の額やスターの有無ではなく、監督なり、製作者の「思い」に打たれるときなのだ。それは別に「平和メッセージ」や「愛」「絆」という「いかにも」というテーマである必要はない。その作家が人生をかけて追求するもの。求めるもの。それを映画という世界でギリギリのところまで対峙したとき初めて「感動」が生まれるのだ。
まさにその通りだと思う。カネ儲けだけのために作品を作るようになったら、その芸術ジャンルは終わりになる。
記事タイトルには書いていないが、AKBやジャニーズタレントを使う時点で、「俳優」も不在、と言えるだろう。
日本映画も近年、ハリウッドを真似て、巨額の製作費がかかった人気タレントが出ている映画が量産されている。が、本当に面白い!という作品がほとんどないのが実情だ。なぜ、日本映画はおもしろくないか? 「ハリウッドの物まねをしても、所詮、製作費の桁が3つ違うからね!」という人もいるだろう。それも理由のひとつだが、一番大切なものが抜け落ちているからだ。
大作の日本映画を作るのは主にテレビ局や企業が集まった製作委員会。それらが映画を作るとき、最初にするのはベストセラー原作を探すこと。そして、人気タレントのスケジュールを押さえる。そこから脚本家に原作の脚色を頼み。最後の監督が決まるということが多い。
映画の責任者は監督なのに、一番最後。全てお膳立てが揃ってから呼ばれる。その監督は撮影現場を仕切り、スケジュール通り、製作費を超えないようにして作品を作る。いわば雇われ現場監督。この環境こそがハリウッド映画のような「面白い」作品ができない背景でもある。
ハリウッドの場合。大作でも、監督であるジョージ・ルーカスやスピルバーグ。そしてジェームズ・キャメロンでもそうだが、彼らが企画し、自分たちがやりたい作品を作る。だから、超大作でも、SF大作でも、CGを使った巨額の製作費の映画でも、そこに彼らの「思い」が反映。貫かれている。
一方。日本の大作映画では監督は雇われた現場監督。作品を企画したプロデュサーや企業に「思い」はない。「知名度のあるベストセラー原作の映画化だからヒットして儲かるな!」ということしか考えていない。申し訳にテーマを「愛」とか「絆」とか付けるがそれは上辺だけ。監督も「それを描きたい!」という強い思いはなく「愛がテーマですね? やってみます」てな感じ。
脚本家も「思い」がなく、ベストセラー原作をどうやって映画に置き換えるか?だけを考えて執筆する。数年前に公開された人気アニメの映画化作品でも、脚本家はそのアニメに対する愛はゼロ。アメリカの「スパイダーマン」や「バットマン」のパクリのようなエピソードにして、そのアニメのファンから大ブーイングを受けた。もともと原作アニメへの愛はなく、その人はアメコミが好きだったのだ。
そんなふうに製作会社から脚本家、監督まで、誰も「この作品を映画化したい!」「オレの思いを伝えたい!」と思っていない。作品に対する愛もない。知名度のある原作を映画化すれば儲かる!というだけ。それが日本の大作映画。だから巨額の製作費がかかっているのに詰まらない。
それに対して、スピルバーグやルーカスも、キャメロンも、デビッド・リンチやティム・バートンも、現場監督ではなく、自分たちの「思い」を伝えるために映画を作っている。だから感動する。だから、感銘を受ける。たまに超大作でビジュアルは凄いのに、何かもの足りない映画がハリウッドにもあるが、それは日本と同じで、興行目的だけで、プロデュサーが企画。雇われ監督と使った作品であることが多い。
そんなふうに実は観客が本当に感動するのは、製作費の額やスターの有無ではなく、監督なり、製作者の「思い」に打たれるときなのだ。それは別に「平和メッセージ」や「愛」「絆」という「いかにも」というテーマである必要はない。その作家が人生をかけて追求するもの。求めるもの。それを映画という世界でギリギリのところまで対峙したとき初めて「感動」が生まれるのだ。
PR
この記事にコメントする