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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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リチャード・コシミズさんも最近はあまりぱっとしない感じだが、そのブログのトラックバック(って、何だか、実はよくわからないんだが)にあった記事が、保存しておく価値があるかなあ、と思うので、保存しておく。下の記事の中に赤字で書き加えた部分が「正しいニュースの読み方」の見本というわけで、これは中学生や高校生、あるいは大学生へのメディア・リテラシーの授業テキストに使える。
この記事の出典は「四つの目で世の中の真実をとらえる」とか何とかいったサイトだと思うが、もはや閉鎖されたのだろうか。

(以下引用)


正しいニュースの読み方(08.12.28)

<< 作成日時 : 2008/12/28 11:29 >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー)ブログ気持玉 500 / トラックバック 1 / コメント 40

画像


正しいニュースの読み方(08.12.28)

↑の写真は、パレスチナのイスラム過激派ゲリラの映像です。あーなんだか、いかにもテロをやりそうな連中だなとの感想を持たれるかと思います。それが普通の方の反応です。中央の兵士の胸のペンダントに注目してみてください。そうです。ダビデの星です。ユダヤ教徒の印です。なぜユダヤ人がイスラム兵士を偽装しているのか?

「パレスチナの過激派、ハマスがイスラエルを襲撃した。報復にイスラエル空軍がパレスチナを空爆した.....。」ニュースではこのようにしか伝わりません。しかし、現実にはイスラエル人を襲ったのはイスラエル人だったかもしれない。紛争を激化させれば利益になる人たちがいるのです。

米国同時テロも同じ構図です。数千人の米国人の命を奪ったのは、イスラム過激派ではありませんでした。米国人そのものだったのです。新聞やテレビは真実を伝えないのです.。真実は自分で調べて、考えて見つけるしかないのです。

≪ブッシュ親子の自作自演テロ≫
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/kok_website/fireworks4/main_pages_sub/OUMUNOSEIRISEITON_PAGE8_13_1.HTM


●「文明の衝突」の著者、ハンチントン氏死去
12月28日8時55分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081228-00000007-yom-int

【ワシントン支局】世界的なベストセラー「文明の衝突」で知られる米国の政治学者サミュエル・ハンチントン氏が、マサチューセッツ州の施設で24日に(天罰で)死去していたことが27日、わかった。81歳だった。ハンチントン氏が58年間教壇に立った米ハーバード大が明らかにした。死因は不明(だが、嘘理論で世界を戦争に導こうとしたことに対する天の怒りに触れた)。ハンチントン氏は1996年に(ユダヤ金融資本の利益のために)刊行された「文明の衝突」の中で、欧米とイスラム世界が衝突する危険性をいち早く指摘し(たことで、西欧世界を丸ごとイスラムと戦わせて、ユダヤ権力の世界支配を可能ならしめようと企んだが、金融危機でもとの木阿弥となり、寂しくだれにも省みられずにこの世を去っ)た。

●イスラエル軍がガザに大規模空爆、220人以上死亡
12月28日9時52分配信 ロイター
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081228-00000465-reu-int

[ガザ 27日 ロイター] イスラエル軍は27日、(過去にモサド諜報機関が支援して創設し、組織拡大に手を貸してきた)イスラム原理主義組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザに大規模な空爆を行い、少なくとも229人が死亡、700人以上が負傷した。(ただし、モサドと内通したハマス幹部には事前に連絡をして、空爆から避難させておいた。)空爆は同日夜になっても続き、死傷者はさらに増える可能性もある。(過激派を自ら捏造してテロをやらせては、パレスチナ攻撃の口実として利用してきた)イスラエルは今回の空爆について、ハマスがガザ地区での停戦終了を宣言した1週間前から激化している同地区からの(パレスチナ過激派を偽装したモサド部隊による)ロケット弾などによる攻撃に対応したものと説明。

●郵政民営化、見直しが必要=鳩山総務相
12月27日17時31分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081227-00000057-jij-pol

鳩山邦夫総務相は27日、郵便事業会社福岡支店(福岡市)などを視察後、記者団に「(ユダヤ金融資本に飼われて売国道をひた走った)小泉純一郎元首相がやった郵政民営化(という名目のユダヤ化)の中でまずい点、国民にとってサービスが落ちた点もある(というか、何一ついいことはなかった」と語り、(もうユダ金は没落して、小泉も失権したのだから、)郵政民営化の見直しに向けて聖域を設けず議論する必要がある(どころか、即刻、再国有化すべきと本当は言いたい)との考えを示した。

●ウォン安 旅も“韓流”
12月28日8時1分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081228-00000048-san-soci

出国ラッシュが始まった27日、成田空港の出発ロビーは朝から大きな旅行バッグを持った家族連れなどで混雑した。この日だけで約4万4900人が海外に出発する。今年は、(ユダヤ金融資本が破綻して、仕方なく韓国株を大量に投売りした結果、短期間に酷く進行した)ウォン安の韓国やグアムなど近場のリゾートが人気だという。

成田国際空港会社(NAA)の推計によると、冬休みシーズンの今月19日から来年1月5日までに、成田空港を利用する旅客は約125万1000人。帰国のピークは1月3日(約4万7800人)の見込み。

韓国に3泊4日で行く長野県須坂市の会社員、長橋安代さん(48)は「ウォン安でお得になった分だけ化粧品を買ったり、エステに行きたい(。ユダ金さんがドジを踏んだおかげで、ウォンがほぼ半分になり、東大門市場丸ごと買えるくらい安くなったことに心より感謝したい)。」と話した(ワケないじゃん
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世の中にたった一つしかないとも言われる真実を伝える新聞「虚構新聞」から転載する。
この「粉末の水」を戻す時には粉末1Lに対し、水1Lが必要だというのは裏情報である。


(以下引用)


 世界初「粉末の水」完成 カップめんの技術を応用これは嘘ニュースです

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 千葉電波大学理学部の研究グループは10日、世界で初めて水を粉末化させることに成功したと発表した。カップめんの具などに使われる「フリーズドライ」技術を応用することで、1リットル相当の水を大さじ3杯の粉末にまで圧縮できるという。研究グループでは、数年内に実用化に結び付けたいとしている。

 今回水の粉末化に成功したのは、千葉電波大理学部・松下慎太郎教授の研究グループ。グループでは10年前から、液体である水を、成分はそのままに粉末にできないか研究を続けてきた。一般的に液体を粉末のような固体にする場合、温度を下げて冷却するしか方法はない。グループでもさまざまな方法で水の加工を実験してきたが、どのような方法を用いても、最終的に全て蒸発してしまっていた。

 研究が転換点を迎えたのは2年前。松下教授が研究室でカップめんに入っている「謎肉」と呼ばれる具をカップから取り出し、乾燥したままかじっていたときに、この謎肉を加工するのに使われる「フリーズドライ」が水にも応用できるのではないかと発案。さっそく実験に取りかかった。

 フリーズドライ製法は、水分を含んだ物体をいったんマイナス30度まで凍らせたあと、真空状態で水分を昇華させて乾燥する技術。カップめんの具や、インスタントコーヒーなど食品保存の技術として広く用いられている。

 研究当初は水を凍結させても、その後の昇華の段階で水がすべて失われていたが、昨年「過冷却」と呼ばれる特殊な状態にある水を乾燥させていくと、水の中に含まれる水分が昇華した後も、粉末状態の水が残ることを世界で初めて確認。以降、さらに粉末が残りやすい条件をつきとめていった。

 グループは会見の中で、まだコストの面で問題があるため、実用的な大量生産にはあと数年かかるとしながらも、大規模火災時に大量の水を一度に運べるようになるほか、水が潤沢な時期に粉末化させておくことで、腐らせないまま大量に備蓄できる利点などを挙げている。松下教授は「毎年渇水にあえいでいるにもかかわらず、反省することなくうどんの茹で水を大量に廃棄している香川県民は、私を救世主(メシア)として崇め奉ってほしい」と話した。

 写真=粉末の水(千葉電波大学提供)
今日読んだ二つのネット記事が見事に呼応しているので、記念に両方掲載しておく。
マスコミの正体丸分かりである。
えっ、赤旗と聖教だけは違うって? あの二つはミニコミ紙なの。というよりマス同人誌ね。
 
 
 
(引用1)*「つむじ風」ブログ掲載の「マドモワゼル愛」さんの文章である。
 
本当は大きな反対意見がある法案を無理やり通してしまう、、、、国会は大荒れである。しかし、マスコミはそうした報道はあまりせず、芸能界のゴシップを大々的に取り上げる。確かに芸能界ではそうした出来事が起きているので、事実を言っているには違いないが、それって、やはりインチキではないだろうか。

たとえば、本日などは、国会が大荒れ筆致(引用者注:「必至」の誤記ね)。全国民の将来を決定するような大きな山が本日だが、ニュースは案の定、オームの高橋逮捕がメインとなるだろう。

逮捕されたのちの供述や中身こそが大事だが、逮捕逮捕と騒ぎ立て、道行く人の意見まできいたりと大騒ぎだが、増税に賛成かどうかを道行く人に聞くのが、本当は今日やるべきことなのではないのか。
 
 
(引用2)*「竹熊健太郎のツィッター」から転載
 
竹熊健太郎(京都)@kentaro666

笑うしかないですね。RT @ichiro_jeffrey: 毎日「高橋克也逮捕」 朝日「高橋克也逮捕」 読売「高橋克也逮捕」 日経「高橋克也逮捕」 産経「高橋克也逮捕」 赤旗「大飯原発再稼働中止を求め、一万人が官邸を包囲」 聖教「池田SGI名誉会長、ラオス大学より名誉博士号
 
「天地明察」は映画にもなっているが、漫画が面白い。キャラクターの性格が可愛いし、絵もいいセンスである。キャラクターの現代風ですっきりとスマートな描線と背景の日本画のスケッチのような味わいのある描線が良くマッチしていて、絵を見るのが楽しい漫画だ。
内容は安井算哲(渋川春海)という和算の実在人物を描いた話だが、要するに、江戸時代の数学オタクの話である。この数学オタクのキャラが可愛い。他のキャラクターもそれぞれに楽しいキャラ、面白いキャラがいて、話自体には別にドラマチックなところは無いのだが、その世界に遊ぶのを楽しむ漫画と言えるだろう。まあ、「よつばと!」や「とめはね!」のようなものだ。こういうのを「空気感を楽しむ漫画」とも言う。(蛇足だが、「よつばと!」と「とめはね!」の「!」は用法が違う。前者の「!」はよつばという女の子が出会うこの世界の様々な「驚き」のことである、だから英語タイトルは「Yotsuba and !」なのである。後者はもちろん、文の強意のための「!」だ。ついでに漫画に無知な人のために言うと、後者は「トメさん」という古風な名前の女性が「私はねえ!」と力んで言っているのではなく、書道の「止め」と「撥ね」である。すなわち漫画の歴史の中でも数少ない…多分2例しかない…書道漫画だが、こちらも面白いので、お勧めする。)
「天地明察」の原作は言うまでもなく冲方丁(「うぶかたとう」と読むようだが、こんなの初見で読める人間はいないだろう。最初から、売れるのを拒否しているような筆名だ。本名なら凄い。)で、作画が槇えびしという、こちらも覚えにくい名前の漫画家だ。
で、この前第二巻が出たので買ったのだが、やはり面白い。
しかし、一つ納得がいかないのは、作中の和算の設問である。まあ、中学数学レベルの図形問題なのだが、要するに「答えを出すことが不可能な問題」なのである。これを作中では「病問」と言っている。で、まあ私は以前に中学入試や高校入試の算数・数学を教えていたもので、これが「解答不能」であることは即座に分かった。関孝和ほどの天才でなくとも、大円(日円という名称だ)の直径(半径)がこれでは一つに決まらないというのは、完成形の問題を一目見れば分かる。問題なのは、関孝和がこの問題を「これまで見た中で一番好きだな」と言ったというところだ。中学生に問題を作らせてできた失敗作のようなこの問題のどこを関孝和は面白いと思ったのか。作中の娘の言葉じゃないが、その意図を「本人に聞」きたくなるような発言だ。
もちろん、これはドラマ展開のために作った問題だろうから、本物の和算の高等な問題のレベルではないのは当然だし、実は「病問」と見えないような病問を作るのは案外難しいのだろうと推測できる。そもそも、作中の問題を本当に解いてみようというモノ好きも「2ちゃんねる」住人以外にはあまりいないだろうとは思うのだが。
それにしても、漫画ならまだ分かるが、こういう小説をどんな映画にしたのだろう。まさか、和算の問題を画面に広げて観客に10分ほども考えさせたとか?
前の記事の写真がグロなので、気分直しに、百年前のロシアのカラー写真を同じく「In deep」から転載する。
色合いといい、ピントの合っていることといい、実に素晴らしい写真である。写された内容の歴史的価値については言うまでもないが、詩情のあるところは、芸術写真と言ってもいい。


(以下引用)


2010年08月26日


カラー写真で見る100年前の中央ロシアの風景



Russia in color, a century ago
Boston.com The Big Picture 2010.08.20

(訳者注) 写真はすべて原寸大の元記事にリンクしてあります。


1世紀前のロシアのカラー写真

ロシア南部から中部は、最近は火災のニュースばかりのイメージがあるが、こういう時だからこそ、この地域の1909年から1911年の間に撮影された、これらの驚異的な写真のコレクションを紹介するのも面白いと思う。

この年に、ロシアの写真家セルゲイ・ミハイロヴィチ・プロクジン=ゴルスキーは、ニコライ2世の援助により、ロシア帝国の写真調査をおこなった。プロクジン=ゴルスキーは、赤と緑と青の3枚のカラー乾板を素早く連続して撮影し、後に再結合することにより、自然の色と近い色を再現し、カラー写真を撮る方法を開発した。

これらの高品質の写真は、とても100年前のものとは思えないほどだ。これらの写真が撮られた時には、まだロシア革命も第一次世界大戦も起きていない。


1-p01_00021620.jpg

・民族衣装を着たアルメニア女性。アルトビン(現在はトルコ)にて。1910年。



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・セルゲイ・ミハイロヴィチ・プロクジン=ゴルスキーのセルフ・ポートレイト。黒海の東海岸にあるコーカサス山の麓。1910年。



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・ヴォルガ川支流のシム川の辺に座る女性。1910年。



4-p05_00004434.jpg

・ティフリス(トビリシ)の風景。セント・デヴィッド教会から撮影。1910年。



5-p06_00020154.jpg

・ロシアの守護隊員。Khorezm (現在のウズベキスタンのキヴァ)。1910年。



7-p12_00003966.jpg

・マリインスキー運河で66年間に渡って門番を務めた84歳の老人。1910年。



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・ユダヤ人の子どもたちと教師。サマルカンド(現在のウズベキスタン)。1910年



9-p17_00003957.jpg

・サマルカンド(現在のウズベキスタン)のサルト人女性。1917年にロシア革命が起きるまでは、カザフスタンに住むウズベク人はサルト人(Sart)と呼ばれた。



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・オネガ湖沿いのペトロザヴォーツクでトロッコに乗るロクジン=ゴルスキー。1910年。



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・リンドゼロ湖沿いで休む犬。1910年。



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・ホワイト・レイク近くの教会の脇の草原で座る子どもたち。1909年。


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・ブハラ(現在のウズベキスタン)の首長だったセイイド・ミール・ムハンマド・アリム・カーン。1910年。



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・パーマ市のカマ川にかけられたシベリア鉄道の鉄橋。1910年。



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・サマルカンドのモスクの前で座る少年。現在のウズベキスタン。1910年。



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・アブハジア共和国の首都スフミの風景。1910年。

「In deep」の過去記事から転載。
これを読むと二度とファストフードに行けなくなるかもしれないので、神経質な人は読まないほうがいい。
私は親切だから、本記事に行く前に50行ほどスペースをあけておく。
まあ、これはアメリカの話らしいから、日本は別かもしれないしね。って、世界的ファストフードは同一ノウハウでやっているのかな?


















(以下引用) 心の準備はいいかい? 後20行ほどで出るよ。















[アメリカの日常食]チキン加工製品ができるまで


(訳者注) これはアメリカ人が書いているアメリカの話です。日本のチキンナゲットの事情はわかりません。オリジナル記事が投稿されたのは1週間くらい前ですが、すでに 17000 以上のコメントで溢れかえっています。




Say hello to mechanically separated chicken
Early Onset of Night (ブログ) 2010.09.28

機械でグチャグチャにされたニワトリくんにオハヨウって言おうよ

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上の写真の何だか気持ち悪いものが何かおわかりかな?

実は、これがファーストフードで出されるチキンなのであります。チキン・ナゲットだとかパテとかファーストフードでの「チキンもの」の全部ね。ファーストフードじゃなくても、スーパーなんかで売られている加工済みの冷凍チキンもこれ。

説明いたしますね。

まず、基本的に、鶏は、骨も目も内臓も全部一緒にグチャッと丸ごと潰されて、漉し器で漉されてグチャッとクリーミーな状態にされるわけ。

これだけじゃないんだよね。

この状態だと、バクテリアがいっぱいいるんで、それをアンモニアで洗って、アンモニアに漬けとくわけ。本当だよ。

でも、これだとアンモニアの味っていうか、気持ち悪い味とか匂いがするんで、もう一度、今度は人工的に味付けするのよ。

それをやると、今度は色が気持ち悪いピンクになっちゃうんで、今度は人工的に色をつけていくわけ。

これで、ついにみんなが「おいしい」って言ってくれるチキンのできあがり!

アメリカって最高だよね。

前回の記事との関連で、ウィキペディアから柏崎原発関連記事を転載。

(以下引用)


沿革 [編集]
  • 1969年3月:柏崎市議会発電所誘致決議
  • 1969年6月:刈羽村議会発電所誘致決議
  • 1969年11月:柏崎刈羽地点原子力準備事務所設置
  • 1974年4月:柏崎・出雲崎漁協 漁協補償協定に調印
  • 1975年3月:1号機原子炉設置許可を申請
  • 1978年8月:建設工事に関し安全協定締結
  • 1978年12月:1号機着工
  • 1980年12月:2,5号機一次公開ヒアリング
  • 1983年1月:2,5号機二次公開ヒアリング
  • 1983年10月:2,5号機着工
  • 1984年10月:3,4号機一次公開ヒアリング
  • 1984年11月:1号機燃料装荷開始
  • 1985年9月:1号機営業運転開始
  • 1987年1月:3,4号機二次公開ヒアリング
  • 1987年7月:3号機着工
  • 1987年11月:6,7号機一次公開ヒアリング
  • 1988年2月:4号機着工
  • 1990年4月:5号機営業運転開始
  • 1990年6月:6,7号機二次公開ヒアリング
  • 1990年9月:2号機営業運転開始
  • 1991年9月:6号機着工
  • 1992年2月:7号機着工
  • 1993年8月:3号機営業運転開始
  • 1994年8月:4号機営業運転開始
  • 1996年11月:6号機営業運転開始
  • 1997年7月:7号機営業運転開始。カナダのブルース原子力発電所を抜いて世界一になる
  • 2003年4月:福島第一原発他での不祥事発覚により東京電力の原子力発電所全17基停止
  • 2003年5月:6号機運転再開
  • 2006年4月:日本の原子力発電所で始めて、品質管理の国際規格であるISO9001の認証を受ける[1]
  • 2007年7月:新潟県中越沖地震により変圧器火災発生。柏崎刈羽発電所全面停止
  • 2007年8月:IAEAが地震影響の調査
  • 2009年12月:7号機営業運転再開
  • 2010年1月:6号機営業運転再開
  • 2010年8月:1号機営業運転再開
  • 2011年2月:5号機営業運転再開

設備 [編集]

  原子炉形式 運転開始 定格出力 施工 現況
1号機 (KK-1) 沸騰水型軽水炉(BWR) GE社設計Mark-2[2] 1985年9月18日 110万kW 東芝 定期検査中
2号機 (KK-2) 沸騰水型軽水炉(BWR) GE社設計Mark-2改[3] 1990年9月28日 110万kW 東芝 停止中
3号機 (KK-3) 沸騰水型軽水炉(BWR) GE社設計Mark-2改 1993年8月11日 110万kW 東芝 停止中
4号機 (KK-4) 沸騰水型軽水炉(BWR) GE社設計Mark-2改 1994年8月11日 110万kW 日立 停止中
5号機 (KK-5) 沸騰水型軽水炉(BWR) GE社設計Mark-2改 1990年4月10日 110万kW 日立 定期検査中
6号機 (KK-6) 改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)[4]3社合同設計[5] 1996年11月7日 135.6万kW 東芝/日立/GE 定期検査中
7号機 (KK-7) 改良型沸騰水型軽水炉(ABWR) 1997年7月2日 135.6万kW 日立/東芝/GE 定期検査中

(参考:東電公表内容[6])

新潟県中越沖地震での現場の対応状況 [編集]

地震直後 [編集]

2007年7月16日10時13分頃に最大の揺れ993ガルを観測した新潟県中越沖を震源とする新潟県中越沖地震が起こった。柏崎刈羽原子力発電所内の運転中の全ての原子炉が緊急停止したが、運転を管理する中央制御室では数十秒間にわたり続く揺れのために計器の確認が出来ない状況であった。第一運転管理部長は構内を自動車で移動中に地震発生、3号機建屋からの発煙を発見、運転中の全機がスクラム(緊急停止)したと構内PHSで確認、3号機すぐ横の変圧器から出火を確認、延焼の可能性はないと判断して初期消火を他の職員に任せ、スクラム後の対応に全力を傾けるべきとして緊急時対策室のある事務所建物へ移動。ところが緊急時対策室入口ドアの枠が歪んでドアが開かなくなったために室内に入れず、駐車場にホワイトボード4~5枚を引き出して構内PHSで連絡を取り続けた[注 1]

自力消火を断念 [編集]

全ての運転中の炉の中央制御室では、多くのアラームが鳴り続け、職員が対応に追われていた。3号機中央制御室でも100近くの異常を示すアラームに対応するために当直長ら5人の運転職員らは、変圧器火災の情報が知らされ、地元消防に通報を試みるが中央制御室に優先接続電話は無く、電話は繋がらなかった。3号機変圧器の火災現場では4人が消火を試みたが、消火栓の水は地震の影響でほとんど出ず、さらに緊急用の軽トラック搭載消火ポンプは失念していたという。自衛消防隊の招集も忘れていた。この時点で駐車場の第一運転管理部長は、「消火は出来ない」という連絡が入ったため、「地元の消防を待て」と指示した。周辺住民は外部からの携帯電話等の情報で発電所火災を知った。発電所から地元刈羽村への連絡は地震発生から1時間以上経っても無かった。新潟県庁にも詳しい情報は伝えられなかった。各自治体へ伝えられていた環境放射線の測定データも地震直後から途絶えていた。新潟県知事は最悪の場合を考え、地元自治体と住民避難の相談をはじめていた。12時10分、非番からの呼集で原発へ駆けつけた5人の地元消防の手で3号機変圧器の火災は消し止められた。

炉心の冷却 [編集]

第一運転管理部長は、3号機と4号機の炉心をスクラム後に冷やす2つの装置の内の片方が停止していて、1つの装置で2つを冷やす事の判断を迫られた。3号機当直長は午後4時、内外気圧の差圧異常の原因が判明、3号機建屋壁面のブローアウトパネルが脱落していた事、すぐには建屋の気密を戻せない事、などを知らされ仮緊急対策本部の第一運転管理部長へ報告。同部長は炉心冷却を3号機優先と決定した。この時、6号機建屋内で微量の放射性の水の漏洩が発見された。本来、放射性物質を扱わないフロアでの発見に3回にわたる試験と調査が繰り返され、漏洩発見から6時間後に同部長へやはり放射性の水の漏洩であることが報告された。これは、後に上の階のプールの水が地震の揺れでこぼれたものが配線の隙間穴から階下へ流れたものであることが判明し、その一部は外部へ排水されたと判った。

翌日の朝6時54分にすべての炉心の冷却を終えて、安全な状態になった[7][8]google mapsでの地図)。

新潟県中越沖地震の影響 [編集]

この地震では、柏崎市で震度6強を観測したため、運転を行っていた2、3、4、7号機は自動で緊急停止した。原子炉冷却用冷媒等の重要な機構からの外部への放射性物質の流出は確認されていない。また、3号機建屋外部にあるの所内変圧器から出火したが、地震から1時間57分後の12時10分に鎮火が確認されている。その他、低レベル放射性廃棄物の入ったドラム缶400本が倒れた。うち39本のドラム缶は蓋が開いており、床の1カ所で微量の放射性物質汚染が確認された。6号機の原子炉建物内において鉄製クレーンの駆動部が損傷していた事も分かった。

以下に確認された放射性物質漏洩を記載する。
  • 6号機の非管理区域で、微量の放射性物質を含む水が漏れ出し、一部が放水口を通じて海に放出されていたことが確認された[9][注 2]。東京電力は、これが、使用済み核燃料プールの放射性物質を含む水が原子炉建屋内の電線を通す管を通り下の階に流れ出たためであると報告した[10]
  • 7号機の排気筒からは18日夜までの間、放射性ヨウ素の放出が検出された。大気へ放出された放射能量はヨウ素が約3.12億ベクレル、粒子状放射性物質が約200万ベクレルで、これによる線量は1000万分の2ミリシーベルト(0.0002マイクロシーベルト)と算定されている[11]。操作手順のミスのため、タービンの軸を封じる部分から、復水器内の放射性物質が排気筒に流れ出たことが原因と報告された[12]。なお、排気によって、主排気塔放射線モニタおよびモニタリングポストに有意な指示は確認されていない。[13]
  • 10月21日、点検中の7号機の原子炉建屋2階で、コンクリート壁にひびが入り、放射能を帯びた水約6.5リットルがしみ出しているのを、20日午後5時20分頃パトロール中の作業員が発見したと発表。水は幅約0.1ミリ、長さ約3.5メートルのひびから漏れていた。この時点で採取した水からは放射能は検出されなかった。しかし、21日午前6時段階で再採取し検査したところ、250ベクレルの放射能(ラドン温泉の約30立方cmに相当)が検出された。東京電力は、使用済み燃料プールが損傷している可能性の他、地震時にプールから溢れた水がひびを伝わって出てきた可能性なども含め原因を調査するとしている[14]

施設内部は地震発生から5日後の7月21日には報道機関などに立ち入りが許可され、公開された。

IAEAによる調査 [編集]

国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長は、地震発生後に調査協力の用意があると表明。日本政府はIAEAに調査団の受け入れを当面見送る意向を伝えたが、泉田裕彦新潟県知事7月21日、「IAEAの調査が必要だ」との考えを表明[15]原子力安全・保安院はIAEAの調査を受け入れると7月22日に発表した。8月14日にIAEAは予想より被害は少ないとの報告を行っており、同機関による事故評価レベル0から8で「0」である。

設計時の予想を超えた加速度 [編集]

東京電力から発電所本館に設置されている地震計の記録が発表されており[16]、それによると観測された記録は、耐震設計時の基準加速度を上回っている。

その後、3号機タービン建屋1階で2058ガル(想定834gal)、地下3階で581ガル(想定239gal)、3号機原子炉建屋基礎で384ガル(想定193gal)を観測したとの発表もなされた。

柏崎市の緊急使用停止命令 [編集]

こうした地震の影響を受け、会田洋・柏崎市長は、東京電力に対し1-7号機のすべての貯蔵タンクなどを対象として、消防法に基づく緊急使用停止命令を出した[17]。また、経済産業省も同社に対して、耐震安全性が確認できるまで、原子炉の運転を再開しないよう指示を出した。

風評被害の発生 [編集]

今回の地震では放射性物質の漏れは健康に問題があるとされる量を遙かに下回っているとされる[18]が、たび重なる報道により、観光・漁業・農業などで「買い控え」がおきると言った二次的な風評被害が発生している。さらには2007年7月26日から8月まで秋田、静岡、千葉の3試合を日本で行う予定だった、セリエAカターニアは、放射性物質の流出を理由に日本遠征を中止した。泉田裕彦新潟県知事は「日本全土が放射能に包まれているような報道が海外でなされ、サッカークラブの来日中止どころじゃない甚大な風評被害が生じている」と語っている[19]。地震後の優先順位は電源確保が最優先され変電機の火災(煙)に対する消火は地震発生時全体に比べ危険度は微々たるものであったが、媒体などで煙をあげる変電機の映像を繰り返し、正確さよりも事故の危険性を煽ることを中心とした報道がなされた。[20]

その後の経過 [編集]

  • 10月17日、炉内点検中の7号機で、燃料集合体の取り出し作業を行っているが、制御棒1本が引き出せないことが判明した[21]
  • 11月27日、6号機において引き抜けなかった制御棒2本を緊急時の手順により引き抜くことができた[22]
  • 12月24日、読売新聞は東京電力が震度7の揺れを観測したにもかかわらず国や自治体に報告していなかったと報道した。これに対して東京電力は、「「震度7」というのは気象庁が算出した正式なものでなく参考値であるため報告しなかった。地震観測データはすでに公表済みであり、個々の問い合わせにも応じており、隠していたわけではない」としている[23][24]
  • 2008年1月に行われた2度目のIAEAによる調査では、「安全上重要な機器などに地震による有意な損傷は認められなかった。」「今回の地震は、想定された地震動のレベルをはるかに上回っていたが、安全上重要な機器は予想以上にいい挙動を示していた。こうした内容を国際的な安全基準に反映させたい[注 3][25]」「原発には安全余裕度[注 4]が設けられていて、今回の地震による原発の揺れも許容できる範囲内だった」とのコメントが発表された[26]
  • 2009年3月27日、新潟県消防本部は1-7号機全てを対象にした火気作業や危険物の取り扱いを全面的に禁止した命令を3週間ぶりに解除した。
  • 2009年5月11日新潟中越地震で被災し、1年10ヶ月ぶりに試験運転を開始した7号機で、緊急時に炉内に冷却水を送る原子炉隔離時冷却系などに一時不具合が発生した。9日にも類似の不具合があった。試験運転は継続している。
  • 2009年5月14日、11日に試験運転開始したばかりの7号機で、漏電警報が鳴っていたことが分かった。試験運転3件目の不具合である。
  • 2009年12月28日、7号機が地震から2年5カ月ぶりに営業運転を再開した[27]
  • 2010年1月19日、運転再開に向けて試験運転を行っていた6号機は、地震後2年半ぶりに営業運転を再開した。この日、午前中に1号機と2号機で作業員が右手薬指の骨折や右手にかすり傷を負う事故が発生している[28]
  • 2010年8月4日、1号機の営業運転を再開した[29]
  • 2011年2月18日、5号機の営業運転を再開した[30]

福島第一原子力発電所事故後の措置 [編集]

2011年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)で高さ14~15mの津波をかぶり浸水、原子炉冷却機能が失われた福島第一原子力発電所事故の発生を受け、東京電力は本原発において海抜高さ15mの防潮堤2013年6月までに設置すると発表。1~4号機の防潮堤延長は800m以上、5~7号機は500m以上となる。併せて2012年9月までに原子炉冷却機能を失った場合の注水の溢れを貯める貯水池も設ける[31]

現在、同原発は1~7号機全てが停止している状況であり、東京電力は対策工事などを施したのち2013年度中の運転再開を目標にしている。東京電力は福島原発事故の賠償のため、原子力損害賠償支援機構と策定した特別事業計画の中に、2013年度中の再稼働を見込んでいることを明記した[32]。この特別事業計画は2012年4月27日に枝野幸男経済産業大臣に申請されたが、経済産業相の認定を受けてから正式発表予定である[32]

市民団体「みんなで決める会」は、再稼働の是非について新潟県での住民投票条例の制定を求める署名運動を行うため、2012年4月から活動を開始した[33]

気になる情報を見つけたのでメモしておく。


(以下「Donのブログ」というブログから引用)

新潟県柏崎市の地熱が6/11 8:13には37.3度まで上昇、観測史上最高記録を更新し続けている

(管理人)これって地下の鉱物が、常温核融合反応を起こしている証拠ですよね


6/11 8:13に、新潟県柏崎市の地熱が観測史上最高値である37.3度まで上昇したとのこと。

6/10には37.0度、6/8には36.1度~36.4度、6/6には34.9~35.0度、5/30には31.5~31.6度、5/29には29.9~30.0度・30.6~30.7度、5/28には29.9~30.0度と、観測史上最高値を更新し続けているようだ。

異常現象に気付いたらお知らせください。

⑦『柏崎・M情報』 今朝、更なる追い討ち情報あり。 08:13に遂に37.3℃。最高記録を更新した。 合歓の木電流は徐々に下がり、略。。 一方、天文トリガーを鑑みると太陽活動弱。そして最遠距離、月は短 …

 

 

一つ気がついた。風浦可符香の認識記号である前髪の髪留は、あれは「十字架」を表していたのである。つまり、最初から彼女は天使として設定されていたということである。
なんと、それを300話に至るまで隠していたとは!
疑う人は、199話かどこかで、彼女が0.001秒の天使として出現した時の髪留を見るがよい。はっきりとした十字架である。(このブログの数回前に転載した画像があるはずだ)
最近は「In deep」の過去ログをずっと読んでいるので、引用もそこからのものがどうしても多くなる。
本当は、「さよなら絶望先生」の最終回についても書きたいのだが、まだよく印象が整理されていないので、後廻しである。しかし、最後のページは美しかった。花嫁&天使姿の可符香の絵で終わるとはね。
この最終シリーズのせいで、今後死後の臓器提供を申し出る人間が増えるかもしれない。いや、これは本気。他人の体の中で生き続けるのも悪くないかもしれない。まあ、親になれば子供に自分のDNAを残すことはできるが、独身で一生を終るなら、臓器提供で他人の体の中に生きるのも悪くはない。
おっと、「In deep」の方の話がそっちのけだが、これはまあ、読めば分かるからいい。この、四畳半でちゃぶ台をはさんで語り合う宇宙人というシュールな光景は有名だが、こういうのを思いつく人間の頭は尊敬に値するね。


(以下引用)

このウルトラセブンで、子ども心にも強く印象に残っているのが、メトロン星人という宇宙人が出るくだりで、この話には「四畳半のアパートの一室で、ウルトラセブン(モロボシダン)とメトロン星人がちゃぶ台を挟んで向かい合い、"お互いの目的"について語る」という形而上的なシーンがあります。埴谷雄高さんの「死霊」の「屋根裏部屋」という章のような世界です。

metron-1.jpg

▲そのシーン。外は隅田川(神田川かな)沿いの夕焼け。

今のインターネットは何でもあるもので、こちらのページに、このエピソードのストーリーと台詞が載っていました。メトロン星人は地球の人間の頭脳を改変しようとしています。

(1967年11月 ウルトラセブン第8話 「狙われた街」より)

モロボシダン 「君たちの計画は全て暴露された。おとなしく降伏しろ」

メトロン星人 「ハッハッハ、我々の実験は十分成功したのさ」

モロボシダン 「実験…?」

メトロン星人 「そうだ! 赤い結晶体が人類の頭脳を狂わせるのに、十分効力があることが分かったんだ。教えてやろう。我々は人類が互いにルールを守り、信頼しあって生きていることに目をつけたのだ。地球を壊滅させるのに暴力をふるう必要はない。人間同士の信頼感をなくせばよい。人間たちは互いに敵視し傷つけあい、やがて自滅していく。どうだ、いい考えだろう」


ちゃぶ台で向かい合ったヒーローとエイリアンの間でこのやりとりが続くのです。
しかし、今の地球を見ていると、このメトロン星人の計画は成功したのかもしれないですね(苦笑)。


ちなみに、ウルトラセブンでは最後にナレーションが入りますが、この物語のラストのナレーションが、当時のこどもたちに、さらにショックを植えつけました。そのナレーションはこれです。


「ご安心ください。このお話は遠い遠い未来の物語なのです。え? なぜですって? われわれ人類は今、宇宙人に狙われる程、お互いを信頼してはいません」



(;゚д゚)・・・ ←このナレーションにアセりまくる幼稚園時代の私。


まあ、なんかムチャクチャ話が脱線してしまいましたが、私たちの一部は、このような年齢まで宇宙関係やエイリアン関係の話に興味を持ち続けられた大きな要因のひとつが、「かつての日本の科学空想ドラマがあまりにも素晴らしかった」ということはあります。あの世界がフィクションだとわかってはいても、むしろ心の真実はそちらに近いという思いがずっとあったのかもしれません。


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