経済産業省は20日の衆院経産委員会で、27日に退任する東京電力の16人の常勤役員(取締役と監査役)のうち8人が、退任後にグループ企業や業界団体の役員に就いたり、そこでの役職を続けたりすることを明らかにした。
東電は16人の退任について、福島第一原発事故や1兆円の公的資金を受け入れざるを得なくなった経営責任を明確にするためと説明している。ただ、勝俣恒久会長が、日本原子力発電の社外取締役に再任されるなど、8人がグループ企業のトップなどに就く。
原発事故のあと、初めて福島県沖で漁が行われ、放射性物質が検出されなかった魚介類が25日、水揚げされた相馬市と福島市で販売されました。
福島県漁連は、原発事故のあと漁を自粛していましたが、今月22日、相馬市の沖合で「ミズダコ」と「ヤナギダコ」、それに「シライトマキバイ」に限って試験的な漁を行い、水揚げされた3種類の魚介類から放射性物質は検出されませんでした。
これを受けて25日、地元の相馬市と福島市で販売が行われることになり、相馬市内のスーパーマーケットでは、ゆでたタコと貝が並べられました。
値段は原発事故の前に比べて7割ほどの価格に設定され、買い物客は、店員に勧められて試食をしたあと、次々に買い物かごに入れていました。
購入した男性は「地元の魚はやはりおいしいです。これから、ほかの魚ももっとたくさん店頭に並んでほしいです」と話していました。
スーパーで鮮魚の販売を担当している有馬善二さんは「待ちに待った福島の魚の復活の第一歩に協力できて、うれしいです。漁協での検査に加え、スーパーでも再検査をしているので安心して買ってほしいです」と話していました。
県漁連によりますと、25日一日で、3種類、合わせて680キロが販売されるということで、県漁連は、消費者の反応を見たうえで、今月中にも行う予定の次回の漁で、東京などの大消費地への出荷を目指したいとしています。
「楽天ニュース」から転載。
こういうのも「責任を取った」ことになるのかね。
(以下引用)
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経済産業省は20日の衆院経産委員会で、27日に退任する東京電力の16人の常勤役員(取締役と監査役)のうち8人が、退任後にグループ企業や業界団体の役員に就いたり、そこでの役職を続けたりすることを明らかにした。
東電は16人の退任について、福島第一原発事故や1兆円の公的資金を受け入れざるを得なくなった経営責任を明確にするためと説明している。ただ、勝俣恒久会長が、日本原子力発電の社外取締役に再任されるなど、8人がグループ企業のトップなどに就く。
「チェルノブイリの住人は被曝していると言われても、他に知っている土地はないし、その場で暮らし続けて、この芋は汚染されてるんだよって、笑いながらそれを食べるという生活をしていた。あれが我々の未来図」
これは、ずいぶん前に、宮崎駿が言っていたこと。
現在の日本と近いんじゃないでしょうか。
原発事故による、避難区域の総面積は、約3000平方kmだそうです。神奈川よりも広い空間が、この先20年から30年住めなくなることは確実で、日本の国土の1%近くが失われたことになります。
宮崎駿といえば、風の谷のナウシカで環境汚染について問題提起してきましたが、もうひとつ、汚染された地球を舞台にした作品が、チャゲ&飛鳥のPVとして作られた「On Your Mark」です。
この作品について、15年ほど前のインタビュー記事があるのですが、いま読むと、まるで現在の状況が来ることを想定して言っているようです。
悲観的な人の予想が当たってしまうなんて、皮肉なことです。
歌詞をわざと曲解して作りました。
――「警官」と「天使」なんて、まるで押井守さんの作品のようですね。
宮崎:
押井さんが天使が生まれるの、生まれないのとか、もったいぶってやっているから、さっさと出しちゃった(笑)。
といっても、天使だとは言っていないし、鳥の人かもしれない。それはどうでもいいんです。――6分40秒の中に、映画1本分の内容が詰っていると感じました。
宮崎:
暗号のようなものは、いっぱい入れてあるけれども。音楽映画だから、見た人の感じたように受け取ってもらってかまわないんです。――冒頭の、のどかな田園風景の中に建つ奇怪な建物は何ですか。
宮崎:
どう解釈してもらってもかまいませんが。その直後に出てくる放射能注意のマークのついたトラックを見て、何となくわかってもらえればいいと思うんです。地上には放射能があふれていて、もう人間が住めなくなっている。でも緑はあふれていて、ちょうどチェルノブイリの周囲がそうだったようにね。自然のサンクチュアリ(聖地)と、化している。で、人間は地下に都市を作って住んでいる。実際はそんな風には住めなくて、地上で病気になりながら住むことになると思いますが。――このアニメは「On Your Mark」の音楽映画作品として作られていますね。
宮崎:
「位置について」という意味のタイトルだけれど、その内容をわざと曲解して作っています。いわゆる世紀末の後の話。放射能があふれ、病気が蔓延した世界。実際、そういう時代が来るんじゃないかと、僕は思っていますが。そこで生きるとはどう言うことかを考えながら、作りました。
きっとそういう時代は、ものすごくアナーキーになっていく一方で、体制批判というようなことについて、ものすごく保守化しているんじゃないか。それはまだ失うものがあると思っているから。何にもなくなると、ただのアナーキーになっていって、のたれ死にが始まるんです。そういうものを紛らわしてくれるのは、「ドラッグ」や「プロスポーツ」や「宗教」でしょう? それが蔓延していく。そういう時代に、言いたいことを体制から隠すために、隠語にして表現した曲と考えてみた。ちょっと悪意に満ちた映画なんです(笑)。――例えば「いつも走り出せば、流行の風邪にやられた」という歌詞の、「流行の風邪」というのは、放射能や病気に覆われた世界のことでしょうか?
宮崎:
(肯定も否定もせず)地球全体の歴史から見れば、人間の問題なんて流行の風邪みたいなものですからね。――……二人の警官が救い出す天使は、混沌とした世界の一筋の希望のようにも見えます。「僕らがそれでも止めないのは……」という歌詞の通り、天使を救出するシーンが何度も繰り返されていますが。何度かの失敗の後、混沌とした世界から、一筋の救いのように彼女は青空に飛び立つ。でも、警官たちは地上に取り残されて……。
宮崎:
彼女が救世主だったり、救出を通して彼女と心の交流があったというわけではないんです。ただ、状況に全面降伏しないで、自分の希望、ここだけは誰にも触らせないぞというものを持っているとしたら、それを手放さなければならないのなら、誰の手にも届かないところに放してしまおうという。そういうことですよ。放した瞬間に、心の交流がちらっとあったかもしれないけれども。それでいい、それだけでいいんです。……きっとまた彼らは警官の仕事に戻るんです。戻れるかどうか知らないけれど(笑)。――戻る世界は、また「流行の風邪」の世界。
宮崎:
結局、いつもそこから始まるしかない。メチャクチャな時代にも、いいことや、ドキドキすることはちゃんとある。ナウシカの「我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ鳥だ」です。
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