「ミカド」が欧米で長い人気があるのには、何か大衆の心に訴えるものがこの作品にはあるからだろう。いわば、現代版「物語原型」的なものがあると考えれば、これをリメイクするのは、かなり成功する確率が高いのではないか。
(以下、引用)
ストーリー[編集]
日本の都ティティプーの死刑執行大臣ココの屋敷に一人の見知らぬ旅芸人がやってきた。彼の名はナンキ・プー。身分を隠しているが、実は日本の若くハンサムな皇太子である。彼は父の帝(みかど)が決めた年増で醜女のカティーシャとの結婚から逃れるため、家出して流しの旅芸人に身をやつしていたのだった。そこで皇太子は美しい娘ヤムヤムと出会い恋に落ちる。しかし、ヤムヤムは彼女の後見人であるココと婚約していることを知り、大いに落胆する。ココはもともと服の仕立て屋で身分が低かったのだが、貴族のピシュ・タッシュへの賄賂が功を奏し死刑執行大臣に昇進したばかりであった。
ここで事件が起きる。ココとヤムヤムが「いちゃつきの罪」で死刑を宣告されてしまう。しかしココは自身が死刑執行大臣であるため死刑執行は不可能である。この法律は代わりに死刑になる者が見つかれば助かるというものであった。そんな折、皇太子ナンキ・プーはあの美しいヤムヤムが死刑になると聞き、絶望のあまり自殺を考える。それを聞いたココは、しめたとばかりにナンキ・プーに死刑の代役を依頼する。ナンキ・プーが死刑の代役を引き受ければヤムヤムは命が助かるが、それでは同時にココも助かってしまう。そうなるとナンキ・プーとしては、自分の死後に二人が結婚するのが面白くない。そこでナンキ・プーはココに条件を一つ出す。「1ヶ月間はヤムヤムを自分の花嫁にすること」という条件である。ココは自分が助かるので大喜びで受諾する。
悲劇のヒロインとなったヤムヤムだが気を取り直し、ナンキ・プーとの1ヶ月間の新婚生活を徹底的に楽しむことにする。しかしその矢先、帝の定めた法律では「夫が死刑になった場合は妻は生きたまま埋葬される」という条項があることを知る。それだけは御免こうむりたいヤムヤムはナンキ・プーとの結婚に躊躇する。
一方、帝は近ごろ死刑執行が少ないと怒り、早く死刑を執行するようココ大臣に命じる。そこにナンキ・プーの許婚であるカティーシャが彼を追ってやってくる。カティーシャは死刑名簿の中にナンキ・プーの名前を見つけたので止めに入る。しかしヤムヤムとの色恋沙汰を知り憤慨したカティーシャは、今度は逆にナンキ・プーを死刑にしようと画策するが、ティティプーの民衆から追い出されてしまう。
プーバーとココは死刑をするのがいやなので、「既にナンキ・プーを死刑に処した」と嘘をつくことにした。そこへ帝がティティプーの街を来訪。ココ、プーバー、ピッティ・シングの三人は死刑執行の話をでっちあげて帝を納得させる。カティーシャから皇太子が街に来ていると聞いていた帝は皆に尋ねる。その皇太子の名がナンキ・プーであることを初めて知り、民衆は驚く。皇太子が死刑になったと聞いた帝は怒り心頭に発し、ティティプー市民全員を死刑にすると宣告する。街はパニックと化す。
ココはナンキ・プーに1ヶ月後に死ぬのはやめてほしいと頼む。しかしナンキ・プーはカティーシャと結婚するのがいやなので、生きることを躊躇する。するとピッティ・シングがココとカティーシャとの結婚を提案する。ココ以外が全員賛成する。しかしその後ココもカティーシャを好きになる。ココは帝にナンキ・プーの生存を報告し、自分とカティーシャの結婚のお伺いを立てて許可される。めでたし、めでたしのハッピーエンディング。
全チームがゲーム差2.5ゲーム以内、ということで、セリーグはリスタートである。最下位のチームにも優勝チャンスがあるわけで、これはこれで面白い。まあ、ドングリの背比べとも言う。
なお、横浜の失速の原因は、阪神戦の危険球で和田に凄まれ、中畑がびびって嶺井を二軍に生贄降格(あれは山崎の手元が狂ったのであり、嶺井にはまったく責任は無い)させたことだ、と私は考えている。あれは、選手全員の信頼を失う行為であった。選手たちにしたら、指揮官が選手を守ってくれないチーム、選手をエコヒイキするチーム(危険球を投げた山崎はお咎めなし)なんて、やってられないよ、という気持ちになったのではないか。その意味では、和田の嶺井脅しは中畑脅しとなり、横浜失速の原因を作ったことになる。ゲスな、ヤクザ的行為ではあるが、あれが結果的には阪神浮上の原因、混セの原因になったわけだ。
異常事態!セ全チーム貯金ゼロ&1~6位が2・5ゲーム差以内
スポニチアネックス 6月23日(火)23時45分配信
プロ野球のセ・リーグで23日、全チームの貯金がなくなった。22日まで貯金1だった首位の巨人がDeNAに2―7で敗れて貯金ゼロに。勝率5割で2位だった阪神の引き分け以下が確定した。
また、ヤクルトが中日に勝ったため、1~6位が2・5ゲーム差以内に。
1996年に開幕2戦目を終えて全チームが1勝1敗で並んだ例はあるが、60試合以上を消化した時点では“異常事態”に。交流戦でセが44勝61敗3分けとパ・リーグに大きく負け越したことが、この事態を出来事を引き起こしている。
なお、ここに挙げられたこと以外に、「スーパーサイズミー」などで世界的に知られた、「体に悪い食い物である」という事実もマクドナルド凋落の大きな原因だろう。
考えれば、プラスチックの椅子テーブルって、客を馬鹿にするにも程がある、という話である。それがこれほど長い間通用していた、というのが、客というのがいかに馬鹿か、ということを示しているとも言える。
(以下引用)
注文取りに来るわけでもなく
料理運んでくるわけでもなく
プラスチックの椅子テーブルで
片付けもセルフで
そこらへんの定食と変わらない値段のセットってすごいですね
よっぽど自信があるんだろうね
ラミレスは頭もいいし性格もいいし、親分肌で外人選手間の尊敬も集めている。ショーマンシップもあるから、営業面でも好影響があるだろう。私も、いずれ監督になってほしいと思うが、まずは巡回アドバイザー(具体的にどういうポジションかは分からないがwww)に迎えただけでもオリックスの英断だろう。
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/22(月) 12:07:00.42 ID:7FJE2QTf0.net
独立リーグ・ルートインBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスは22日、アレックス・ラミレス・シニアディレクター(40)がNPBオリックス球団の巡回アドバイザーに就任したことを発表した。
ラミレス氏は大リーグ・パイレーツを経て2001年からヤクルト、巨人、DeNAで活躍。
14年には群馬で打撃コーチ兼任でプレーしたが、シーズン終了後の10月に現役引退とシニアディレクター就任が発表された。
群馬はまた、同球団のジョヘルミン・チャベス外野手(26)がオリックスへ移籍入団することも併せて発表した。
ラミレス氏と同じベネズエラ出身のチャベスは今季、打率・302、4本塁打、24打点の成績を挙げている(17日現在)
2: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/22(月) 12:07:52.50 ID:7FJE2QTf0.net
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150622-00000032-dal-base
あと何か外国人選手も取った模様
4: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/22(月) 12:08:40.69 ID:MLlcuat90.net
もう監督やってもらったら
5: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/22(月) 12:08:52.12 ID:4n/I3I800.net
選手獲得がおまけ扱いで草
7: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/22(月) 12:10:05.73 ID:3FNCDagtK.net
巡回アドバイザーって非常勤一軍二軍打撃コーチか?
8: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/22(月) 12:10:08.19 ID:m8MCK//40.net
この前阪神がコーチやってもらうとか言うてなかったか?
9: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/22(月) 12:11:28.60 ID:DpUekRof0.net
>>8
そらラミレスは阪神がどういう球団か知ってるんだし避けるだろ
10: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/22(月) 12:11:39.77 ID:zz6XWrgo0.net
来年は打撃コーチやね、、、
まぁサトシン消えて下山がやってるような現状よかええけど
下山はまだまだ2軍でコーチやっといてくれよ
引用元: ・ラミレス、オリックスの巡回アドバイザーに就任
6人のシリアルキラーと1人の独裁者が描いた絵
広瀬すずは好きでも嫌いでもないが、「芸能界特別推薦枠」で特別レールの上を歩いてきた無知で馬鹿な女の子が、眼の前の悪意の障害物に気づかずに落とし穴に落ち込んだ、という事件だろう。
だが、これで広瀬すずファンのほとんどはファンをやめたのではないか。彼女の良さは、「一見人の良さそうな、普通に可愛い子」というところにあったのだから。
人がいいか悪いか、ということと、差別に鈍感か敏感かは別問題かもしれず、彼女は人は悪くはないのかもしれないが、あの発言は、「下層階級」の人間全部を敵に回す発言であり、それは大衆人気を生命線とする芸能人にとっては致命的なものだろう。
MCのとんねるず・石橋貴明から「テレビ局で働いている照明さんなんか見るとどう思うの?」と
聞かれると、「どうして生まれてから大人になった時に照明さんになろうと思ったんだろう?」と回答。
続けて、音声スタッフについても「なんで自分の人生を女優さんの声を取ることに懸けてるんだろう?」
「きっと大人になって年齢を重ねると共に、本当に…声を録るだけでいいの?」と語った。
| 2015年6月20日 02:10 | 返信
>かめさま
発言の流れを見せてくださってありがとうございます。確かに、この子はおろかな子だと思うけど、煽ってるのはおっさんの方ですね。しかし、薄ら笑い浮かべて見ている佐々木の方が気になった。京都のいけずってやつか?一言しゃれたこと言って流れを変えることだってできたのに、黙ってバカどもが収拾つかなくなっていくのをヘラヘラ楽しんでる感じ。私、この俳優好きだったんだけど、ちょっと引いた。
出来の良い推理小説を読むような、「考える楽しみ」、「へえ、そうなのか」と納得する快感がある。竜骨型のメインアーチのスラスト(横圧力)を支える手段が現場の条件とこのデザインからはありえず、それだけでもザハ案は落第だ、ということが「デザイン優先」の名ばかり建築家(安藤ね)には分からず、ザハ案をコンペで優勝させ、収拾がつかなくなったということだ。この、スラストについての考察は、素人が読んでも良く理解できる。
さて、この新国立競技場問題は、「官僚無謬論」や「有識者会議無謬論」がはびこる日本の政治世界でどういう決着がつくか、楽しみである。そもそも、東京オリンピック自体、フクシマ問題がある以上は、実行不可能だと思われるのだが。
(以下引用)
今回の審査委員長の安藤忠雄さんは、ザハの案について
「大丈夫や、やろうや」までは元気よく言いますが、
「わしが責任をもつ!」はまったく言いません。
むしろ
「わしは、、、デザイン(見た目)のことしか、、、わからへんのやし、、、」
と声が小さいです。
超歯切れ悪い感じ。
そして、「構造とかわし、、わからんし、、、和田先生がええ言うたから、、、」
とか、全然、闘ってない感じ。
逃げ腰。
なんやねん!どないなっとるんや!どこが、どうおかしいんか教えてくれよ!
と言っても誰も答えないので、
しょうがないんで、もう一回例のモデル図を見始めたんです。
すると、ヤヤヤ!これは!アカンやろ!というところを発見してしまったんです。
巨大な橋だというのは以前やりましたが、この絵のMain arch(truss)と書いてある主構造に注目してください。
メインアーチとうたってはいますが、、、これアーチになっていない。
アーチ風味。
アーチというのは元々、組積造いわゆる石積建築のときに窓や入口を開けるための手法です。
石は構造素材として押されることには強いが曲げや引っ張りは苦手なのですが、圧縮にはめっぽう強いんです。
これはどういう仕組みかというと、落ちそうな石が隣り合った石を押し合うことで落ちないで地面に垂直に荷重を伝達できるのです。
ローマの時代に大いに発展しているのは皆さんご存じと思います。
アーチで一番大事なことは荷重を垂直に変えるということなんです。
次に大事なことはその垂直荷重が支持地盤(この場合は岩盤でしょう)まで届いているというのが大事です。
と、いいますのもみなさん、とりあえず地面は固いもの、という認識だと思うのですが、建築や土木構造的にはそれほど固くはないのです。
身近にあるもので例えると、筆立てが机に乗っている状態、
これは固い岩盤の上にビルが建っているのと似た状態です。
では、岩盤ではない普通の地盤の場合はどうか?というと、
机じゃなくてもっと柔らかいもの、スポンジよりも固くて多少粘りのあるような、、
「ういろう」くらいじゃないかと思います。
この「ういろうの生板」の上に先ほどのペン立てを置いた状態が、通常の地面と建築の関係に似ています。
なので、重量で微妙に凹む感じ、揺らすとプルンプルンする感じです。
で、ザハ案の構造に戻りますと
アーチと書いてアーチでないのはライズが低いということによりますが、同時に、ライズが低いけどアーチなので、構造的に非常に不利なことが起きています。
それは、巨大なスラストの発生です。
スラストというのは、ちょうど氷の上でスケート靴履いて外向きに股を広げたらどうなっていくかを想像していただくとわかりやすいでしょう。
手近にあったティッシュペーパーの箱の蓋を切って実験してみました。
軽く曲げるだけで自重は支えられるアーチになったようですが
ということになってしまいます。
そこで、ちょっと細工をしてみたのがこれです。
これはタイバーと言われる処理です。
アーチをもたせるには、このスラストという横に滑る力、股裂きにならないように端部に水平変位が起こらないように拘束する必要があるのです。
ザハ案にはビラビラをとった最新形の模型を発表しています。
このメインアーチの部分を赤く塗ってみました。
なんか、メインアーチの周りの縁も大層デカいんですが、主構造に絞って現在どのようになっているかを分析してみましょう。
断面形状をわかりやすく模式化するとこうなっています。
メインアーチの端部よりも競技フィールドは下がっているため、そこにタイバーとかを通すことはできません。
無理に入れようとするとこうなります。
競技観戦どころではないですね。
ただの使えない橋の周りに屋根かけた状態です。
なので、上からのパースを見ても空間です。水平部材はない。
とすると、基礎梁でスラスト抵抗を負担させるのか?ということになり、途中から地中に埋まっていくのですが、実質の橋のスパンが今まで以上に大きくなり600mを超えてきます。
なので、構造モデルの説明では夢みたいなこと書いてあります。
左下のThrust block foundation直訳すると、スラスト止め基礎。
なんだろう、この希望的観測的な部材、本当に建築の構造わかっている人が書いたものなんだろうか、、、超怖いんですけど
しかも垂直方向に向かって、、、
これだけのスパンの横力をもっとも非合理な垂直方向に向かって、引き抜きで対処しようというものですが、
これが、国立競技場周辺の地盤データです。
地下30mまでいっても全然岩盤とか出てこないんだけど、、、
地下50mとかまでアンカーするつもりなんだろうか。
Thrust block foundationというのは下図の赤丸ようなものなのですが、これはエドモントンにあるスパン250mの橋の図面です。これ見てもお分かりのように、アーチのスラスト(横すべりと跳ね上げ)を押さえようというのが目的なので軸力方向に圧縮と引っ張りに効かすように斜めに打ち込まれているのが分かりますよね。
新国立競技場の今の配置でそれやったら、超ヤバイんですけど。
なぜなら、すぐ近くに地下鉄大江戸線が通っているからなんです。
地下ホームがちょうど地下30mくらいだから、
斜めにアンカーするのはかなり危険だと思いますしそもそも地盤が、データ見る限りシルトから細砂とかだからまだ「ういろう」状態だと思うんですよね。
このアーチのライズとスパンと敷地断面を模式化してみるとこんな感じです。
ドンピシャで駅に当ててんじゃないでしょうか、、
以上、この新国立競技場が根本で抱えているであろう構造的諸問題を私なりにあぶりだしてみました。
こんなんじゃ、どこから手をつけていけばいいのか、本当にわからなくなっているのではないかと、とても心配です。
杞憂であればいいのですが、、、
この件、友人の構造家ともう少し詰めてみたいと思います。
ちなみに、今年おこなわれたロシアのソチ冬期五輪のメインスタジアムが同様に二本の巨大なトラスアーチを掛けたものですが、
大きさは新国立ザハ案の半分くらいですからね。
この工事中の橋のはしっこに見えるスラストブロックの部分、ぱっと見ちょっとした川の土手?コンクリートの護岸?くらいに錯覚しそうですが
とてつもなくデカいです。
5~6階建てのビルくらいあります。
ソチは地盤がいいのか、杭打たないで、地面に鉄板敷いて直接基礎みたいなのですが、この根本部分で原発工事並みの物凄い鉄筋工事やっています。
現場の周りも空いているし、すぐ海ですしね。
五輪の実行委員に選ばれた方々も今回のコンペ審査員の先生方も、
ソチのドーム計画を調べてみれば、新国立競技場のコンペ案が非常に危ういものであると分かっていただけるんじゃないかと思います。
とくに新国立競技場コンペの建築審査員の方々はもしかしたら、その見識は本当にデザイン(見た目の形)のみで、構造エンジニアリングや技術的知識や施工や実施設計について、今まで人任せでなんにも考えてきてないんじゃないか、、、とすら思えてくる事態なんです。
リベラル派の大半は、日の丸が日本の戦争犯罪と結びつくから日の丸に反対し、保守派は日本の戦争犯罪を否定するから日の丸を擁護するのが常である。だが、本当は、下の意見のように、日本の過去の悪事を反省するためにこそ、それを忘却させないために日の丸を「血塗られた国旗」として日本の国旗にし続けるべきだろう。
(以下引用)
例えばわたしは日の丸を国旗とするべきだと思っているのですが、なぜかというと、それが忌むべき過去を抱えているからです。それを自分たちの印とすることは、その過去を忘れないということです。反省と後悔を自分事として携えないと、未来などないと思います。
つまり、アイデアや粗筋を思いついただけでは「金の取れる作品」あるいは「視聴者や読み手を感動させる作品」にはならない、ということで、そこ(平面的な設計図)からスタートして、「その骨子をどう立体化していくか」という辛苦の作業が必要になる、ということだろう。すなわち、「見せ方」「演出」の問題である。この「演出」が、小説では「プロット」に当たるのではないか。プロットの訳語は粗筋とか筋とされているが、むしろ「演出」が適切かと思う。
●期待賞『僕らの時間 ∫17-25(僕x-君x二乗)dx』相澤亮
▼投稿歴
2011年度 講談社月刊アフタヌーン四季賞 秋 落選
▼あらすじ
不死の生物と謳われるクマムシ。もしその生態を人体に応用できるとしたら―?
父親の実験によって、体の時間の狂ってしまった少女と、その少女に恋をした少年の物語。会えない時間と共に、二人の距離も段々と離れていき……。
▼選評
うめ これは、彼女が仮死状態になってるから、何年かに1回しか会えなくなっていくんですね。
三河 それで、何年かに1回会うと、彼女は年をとってないから彼ばかりが成長していくという話です。
うめ 新海誠さんの『ほしのこえ』(注1)のような。
三河 これは最終選考作の中では一番いいなと思いましたよ。
竹熊 話とかテーマがちゃんとできてますね。
三河 淡々と描いてるところがまたいいじゃないですか。
竹熊 絵も悪くない。この人、キャラクターから嫌な感じを受けないんです。
三河 ただ、すごくいい話なんですけど、実験シーンから入るじゃないですか。ここに引っ張られるんですよ。クマムシの生態を女の子に当てはめることで人類にどういう影響があるのかなって。SFなのかと思って読んでいると、真ん中あたりで「あ、これは切ないラブストーリーなんだ」とようやくわかるんです。だったら別にこの設定じゃなくてもいいんですよ。
うめ 未知の病気にしてしまう、通称クマムシ病と呼ばれている、でいいんですよね。
三河 それで、お父さんも治しようがないと言って苦悩してる、とか。
うめ これだと、なんで父親が自分の娘を危険な実験に巻き込んだのかっていう説明も何もないんですよ。
竹熊 作者はまずクマムシの生態を知って、この知識が面白いと思って、作品にしようと考えたんじゃないでしょうか。
三河 テーマ的に、この実験は重要じゃないんですよ。数年に1回しか会えないという事の方が重要なんですから。
うめ 最初はもう彼女が寝ていて、お父さんみたいな人が涙ながらに、名前を呼んでるぐらいのところから入っていけばいいんですよね。
竹熊 これけっこうページ数もありますよね。56ページあります。
うめ 16ページとかで描けるはずです。
三河 長いスパンの話ですが、そのくらい短くした方が面白いです。これは長いスパンの話だから、長いページ数がかかるんだという思い込みから入ってるような気がします。
うめ 漫画は1ページで100万年の時間を描けますからね。
三河 筋はいいんですけど、そこに演出がないんですよね。こういう構想があって、じゃあこれを何ページの漫画にしましょうって言った時に、その長いスパンの話を短いページで、どう描けば効果的なのかという事を考えられていないです。青春のやりとりとか、細かいところは結構面白いんですけど…。
竹熊 はじめに全体の構成を考えてないで、1ページ毎に「次は何を描こうかな」って考えながら描いている節すらありますね。
うめ 全体的に演出が単純じゃないですか。コマ割がつまらないのと、カメラワークがなってないんですね。寄りとロングの使い分けが全然なってないので、そこをもっと変化をつけるというのが王道の“直し”です。ただ、「いや、こういう淡々としたのが描きたいんです」って言うんだったら、『7と嘘吐きオンライン』(注2)ってあったじゃないですか。あれみたいに5段切りとか4段切りとかで全部同じコマの構成にしてしまって、その代わりページ数を16にしてって言うと、できるかもしれない。
三河 あと、どうして彼女のことがそんなに好きなのかという理由がイマイチ伝わらないんです。彼女のここが好きとか、どうして彼女じゃないとダメなのかとか、本当にちょっとしたことでもいいんですけど、1つわかっていれば、その筋を通して短くできるんじゃないかと思います。彼女が若いままで、彼がどんどん大人になっていって、たまに会うとスーツが似合う青年になっていて…という、そのへんは結構ツボがあって、いいんです。
うめ 恋愛物の絶対必須条件って二人の間にどう障害をつくるかであって、そういう意味でそこの障害として時間があるという、時空恋愛ものみたいなジャンルがあるんです。それのちょうどいい変化球としてアイディアがすごく良いんですよ。
三河 でも、それが埋もれてるのが、もったいないです。時空恋愛を軸にして、自分はどんどん大人になっていくのに彼女は19のままという、その悲しみと共に、もう次会えるのはいつなのかな、というような感じで終わらせてほしいですね。
うめ 最後、主人公が107歳とかになっていてもいいですよね。次に彼女が目覚める時、もう君は生きてないはずだって言われてたんだけどもそこまで長生きして、そこで初めて告白、でもいいですよね。
●PC用見開きビュワーはこちら →http://mavo.takekuma.jp/pcviewer.php?id=79
●スマホ用縦スクロールビュワーはこちら→ http://mavo.takekuma.jp/ipviewer2.php?id=79
ところで、「リベラリズム」とは何か、と基本に立ち戻るなら、「コトバンク」に次のように書かれており、必ずしも「自由主義」を訳語としては限定できないようだが、「個々人の自由を認め合い、共生すること」がその基本思想であることは疑いないだろう。そして、政治思想としてのリベラリズムは「政府や支配権力の圧制や抑圧からの自由」(liberateは自由にする、解放する意)を求めるものだと言えるのではないか。
その意味で、リベラリズムに反対するのがしばしば被支配的立場の人間(2ちゃんねる住人に多いネットウヨなどはだいたいそうだろう)であることは奇妙きわまる話なのである。
(引用1)
異質な価値観を持った者同士の共存は個々人の自由を認め合い、共生することでしか解決しないという考えに基づき、ホッブズ、ロック、ルソー、カント、ヘーゲルといった近代哲学者は、「自由」を権利の基本原理とするリベラリズムの立場を深めてきた。ところが現在、リベラリズムに対しては様々な立場からの批判がある。フェミニズムや多文化主義は、その普遍性と公私の区分を批判する。また共同体主義はリベラリズムの想定する人間を、共同体の伝統や慣習から切り離されて具体的な内実を失った抽象的な個人とみなし、批判する。伝統的価値や人種や性別のような具体的な属性なしに、諸個人が「善き生」の構想を持つことはできないとするのである。また現代のリベラリズムは、権利や政治的正当性の基礎となる原理として必ずしも「自由」に依拠するわけではなく、論者によって様々な考え方がある。その意味でリベラリズムの一般的な訳語としての「自由主義」は適切とはいえない。例えば初期のロールズは公正を、ドゥオーキンは平等を基底的理念として提示した。ロールズは初期にはリベラリズムを人類的普遍性を持つものとして基礎付けようとしたが、後に近代市民社会という特殊な社会だけに適応できる政治思想としてその普遍性を否定した。その結果、権利の基礎の哲学的探求を放棄し、ローティやグレイらと同様に「政治的リベラリズム」の立場に立った。このようにリベラリズムの根本原理は何であるのか、またそれは必要なのかを巡っては、現在でも多くの議論がなされている。
(野口勝三 京都精華大学助教授 / 2007年)
(引用2)或る人の、ある本の感想とメモ。
駒場の東大の生協で発売されたばかりのこれを買ってきた。 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門』(毎日新聞出版) 「タイトルがね〜」とくさしながら読み始めたが中身がすごく真摯でかつ単刀直入なので引き込まれてしまって、タイトルなど気にならなくなった。
“帯には「偽善と欺瞞とエリート主義の「リベラル」は、どうぞ嫌いになってください!井上達夫」なんて宣言してある。”
石橋と木梨が煽ってるわけで、
バカを煽って、商いしてる初老のオッサンが見苦しい
佐々木はずっと黙ってるよ。
https://www.youtube.com/watch?v=Fk_7n2o3dEI