忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
30
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
[438]  [439]  [440]  [441]  [442]  [443]  [444]  [445]  [446]  [447]  [448
2万7千円も散髪にかけるというのは高すぎる、とスレタイを見て思ったが、写真を見て「散髪するほど髪が無いだろう。1000円カットでいいんじゃないか」「いや、この髪で少しでもマシに見えるようにカットするのは大変かもしれない」とも考えた。
あちらで「このハゲー」などと言ったら、王室侮辱罪になりそうである。チャールズはそれほどハゲていなかったと思うが、ダイアナの家系の遺伝子か。






イギリスのマスゴミ「ウィリアム王子が散髪に2万7千円もかけてるンゴw」

2018年01月21日コメント(0)海外ニュース・世界事情 
1風吹けば名無し :2018/01/20(土) 13:44:53.75 ID:QqWdba2x0.net
One's number one cut! William pays £180 for a buzzcut from Kate's hairdresser 'after Prince Harry teased him about his baldness' 






http://www.dailymail.co.uk/news/article-5283807/Prince-William-sports-shaven-head-backs-NHS-scheme.html






5風吹けば名無し :2018/01/20(土) 13:45:54.43 ID:YmOLPP6er.net
かわいそう



PR
「大盗賊」は、たぶん三船敏郎の無国籍大活劇映画で、子供のころに見て結構面白かった記憶があるが、このシーンはまったく覚えていない。写真はなかなか美人のお姫様のようだが、第二次性徴以前の男の子というのは美人にはまったく関心が無いのが普通なのではないか。(これは最近の漫画やアニメへのアンチテーゼである。最近のそれは、幼い男の子でも女や女の子に関心を持っているように描かれるが、それは間違いだろう。それに、母親に固着する男の子というのもわずかな割合にすぎないのが事実だと思う。男の子にとって母親は面倒くさい、うるさい存在だろう。)ちなみに、私はカッコいい男優が好きだったし今でも好きだが、ホモっ気はゼロである。男と肉体的に接触するのは、肩を組むのすら虫唾が走る。





「カリオストロの城」2大元ネタ、「やぶにらみの暴君」と「大盗賊」。





筆者は、創作する場合の注意として下の文章を書いているのだと思う。つまり、下に書かれている火器を自分で実際に撃った経験があるようには思えない。そういう視点で読むべき文章だろう。
私が海外ドラマを見ていて可笑しく思うのが、最近は素人までも刑事ドラマ警官ドラマの真似をして、拳銃を両手持ちすることである。両手持ちのメリットは、安全性が高い(暴発時に自分の足を撃ちにくい)ことと、狙いの正確さが高まることだろう。しかし、その反面、両手で保持していたら、狙いを急に変えにくいのは自明である。体全体を撃つ方向に変える必要があるのだから当然だ。つまり、動く相手に対して臨機応変に狙いを変えていくのには片手持ちのほうが有利であることは、理屈だけで考えても分かる。
西部劇で拳銃を両手持ちしている例が希であることからも、「相手が動く」想定では片手持ちが合理的であることは明らかであり、刑事ドラマ警官ドラマで刑事や警官が両手持ちするのは、相手に「動くな」と声をかければ、相手は止まる、という想定の下でのことだと思う。そして、体を少しでも動かせば射殺すればいいのだから、両手持ちで十分、となる。

なお、銃の横撃ちは香港映画などで一時期よく見られたが、これはただのファッションでしかないと思う。二丁拳銃は、左手も右手と同じ精度で使える撃ち手なら、ある程度の意味はあるだろう。




32/66

映画での銃の扱いその3(横撃ちと片手撃ちについて)

 今回は、銃の横撃ちと片手撃ちについての解説です。

 両方とも、映画だけでなく、漫画などでもよく見る撃ち方ですね。
 現実でもやれない技術ではないですが、当たるかどうかと言われれば、もちろん両手でちゃんと持った時に比べれば命中率は格段に落ちます。

 片手撃ちは、変に大口径の銃でもない限りは可能です。
 あとは自分の筋力と相談、といったところでしょうか。

 アサルトライフルを片手で持つにはかなり力が必要ですからね。
 サブマシンガンくらいなら、比較的軽量のものもあるので片手撃ちも可能でしょう。 
 大口径の銃でも、銃自体に重さがあるものは反動も多少緩和され、案外撃てるものもあるかもしれませんね。

 ですが、実戦で片手撃ちをする機会は、そう多くはありません
 片手で銃を持つということは、それだけ銃の保持が甘くなり、取り落としてしまったりする危険も多くなります。
 片手だけで反動を受け止めるので、疲れやすくなり長期戦には向きませんし、しっかりと反動を受け止めることが出来ずに照準が狂ったり、動作不良を起こしてしまう可能性も高くなってしまいます。

 と、デメリットは確かにありますが、メリットが無いというわけでもありません。
 反対側の手がフリーになるので、ナイフやライトといった道具を持つことができますし、敵の接近を警戒をしながら作業をしなければいけない場合にも有効でしょう。
 必ずしもやってはいけない行為というわけではなく、状況次第ではやってもいい行為、ですね。創作の場合は、かっこいいから、なんて理由で使ってももちろんいいと思いますが。

 次に、銃を横に向けて撃つやり方ですが、こちらはほとんどメリットがありません。
 照準器を使えないというのもありますし、拳銃なら多くは横に倒すと片手撃ちになってしまうんじゃないでしょうか。
 照準器を使用しなくても当たりそうな距離で、咄嗟に射撃を行う必要がある場合や、遮蔽物に隠れながら狙わずに撃つ時なんかはやってもいいでしょうが。

 映画でこれをするのは、正面から見た時に人物の顔が見えるようにするため、らしいです。

 ただ、最近は射撃時のテクニックの1つとして、銃を斜めや横に構えたりするやり方も登場しています。
 ですが、これはあくまで戦闘時に有効なテクニックとしてしっかりと作られているものであり、単に銃を横に向けるだけの撃ち方とは訳が違います。

 銃を横にする撃ち方というと、馬賊撃ちというものもありますね。
 その名の通り馬賊が使った射撃法で、馬上から銃を撃つ為のものですね。
 某ステルスゲームで登場したので、案外知っている方も多いのではないでしょうか。
 ただ、あのゲームで使用した射撃法は正確には馬賊撃ちではなく、ただの水平方向への流し撃ちなのでやり方を誤解されている方も多いでしょうが。 
 馬賊撃ちの詳細はこの記事では解説しませんが、もし希望される方がいましたら、感想欄にでも書いていただければ記事を作るなり感想で返信するなりの対応をさせてもらいます。

 横撃ちも片手撃ちも、創作上で出すのならば現実以上にメリットはあるのかもしれません。
 現実でも必ずしもやってはいけない行為ではないので、そこを気にされている方も大丈夫ですよ。
 リアル重視の作品で気を付けるべき点としては、それが必要な状況なのか、持っている人物がちゃんと片手保持でも扱いきれる銃なのか、といったところでしょうか。
 特別拘りが無い作品なら、特に気にせず使ってしまってもいいと思いますよ。




まあ、あれだ。「売れること」「世間ウケ」を第一に考えるあまり、原作の魂が完全に抜けたアホ作品になる、というのは漫画のアニメ化でよく起こることである。いわゆる「マーケティング優先」の制作の弊害である。制作委員会方式だとそこにさらにスポンサーの口出しがとめどもなく入り込むことになる。









わたモテは今回、キバコ地獄編だったわけだが、改めて下の4コマを見ると感慨深い。
キバコの性格が如実に表れている。
真子は内心辟易しているわけだが、うっかり読むと、そういう細かい心理に気づかない読者も多いだろうし、この時点ではキバコが将来ああいう状態になると予想していた人も少ないだろう。しかし、改めて読むと、この4コマの中に将来の芽生えがきちんと描かれているのである。真子とゆりが親友であると知りながら、隣席のゆりを無視して真子にばかり話しかけているというところにキバコの性格の浅さがよく表れている。その点、その状況をはらはらしながら見ているもこっちの方がキバコよりは人間性に敏感な部分があるわけだ。
それが現在、なぜかもこっちを中心に太陽系あるいは星雲が出来ている、という状況につながっているのではないか。
もこっちの良さは何か、というのは案外誰も論じていない部分だが、偶然的部分もあるとはいえ、ネモやゆり、あるいは真子や吉田さん(ヤンキー)までも引き寄せる何かを持っているのは確かであり、それは「うわべだけのつきあいを本質的に嫌う」自尊心の高さのようなものではないか、という気がする。もちろん、クズな部分もたくさんあるのだが、「表面を飾って人間関係を維持する」ことに不快感を持つ人々には好感を持たれるところがあるわけだ。だから、加藤さんのようなスクールカースト上位の生徒でも、案外もこっちに好感を持っているのではないか。

なお、真子は、メンバーの中で一番、今江会長に近い聖人キャラだと思う。ただし、どこか違うのだが、それは多分、今江会長は本能的に行動しても間違わない聖人であるのに対し、真子はまだその域に達していない、というところかと思う。







252: 風吹けば名無し 2018/01/18(木) 12:32:21.80 ID:AOOKk7h30
かわいそー(笑)
no title

341: 風吹けば名無し 2018/01/18(木) 12:33:46.70 ID:Wb6EQ1gZd
>>252
キバ子はここで気づくしかなかったな

356: 風吹けば名無し 2018/01/18(木) 12:34:00.18 ID:cihcQUscp
>>252
この後地獄編が待っているとはな



横浜高校の元監督・部長の小倉清一郎が松井、筒香、清宮を比較したものだが、清宮はいい投手と当たったことが無い、という指摘は大きいと思う。日本代表として外国投手、特に米国の投手と当たったくらいだが、ほとんど打てていない。逆に言えば、二流投手を打つのは上手い、ということだ。スイングスピードが速いから、甘いコースに来た球は簡単に対応できるのだろう。
では、プロに入るとどうなるか、という予測だが、アマで最高に評価された投手たちがプロに入るのだから、清宮がこれまで対戦したレベル以上の投手にこれからどんどん当たることになる。
早熟で「子供相撲横綱」の清宮が、本物の相撲取りと戦うことになるわけだ。
清宮が最初で自信喪失するか、それとも、強敵の存在に奮起してそこから上昇していくか、その確率は五分五分だと思う。王貞治のホームラン記録を塗り替えたい、という大言壮語から見られるように、清宮は自分の力を過剰に評価している可能性が高い。とすれば、プロ入り後には、思うように打てないことで迷走する可能性のほうがやや高いように思う。
ただ、二流投手を打つのは上手い、ということは、ある程度の数字は残せるだろうという推測もできる。いわゆる「帳尻合わせ」である。
大胆に、かつ無根拠に予測するなら、順調に成長した場合で

1年目1軍出場40試合60打席くらいで15安打、3本塁打
2年目1軍出場70試合100打席くらいで25安打、7本塁打
3年目1軍出場80試合140打席くらいで40安打、12本塁打


といったところではないかと思う。もちろん、高卒すぐの選手としてはなかなかだろうが、一塁やDHの選手の成績としてはとうてい満足できるものではなく、「客呼び」のための存在でしかない。この程度ではチームの足を引っ張るもの、ということになり、上記のような順調な成長をしない場合、4年目くらいからは今の斎藤佑樹のように世間の非難を浴びる存在になるような気がする。ただし、そこを我慢して使えば、筒香くらいの打撃成績を残す選手になれる可能性もあるだろう。その頃まで清宮人気が続いているとはあまり思えないのだが。何しろ、スターは毎年生まれるのだから、一般人は数年前のスターなどほとんど誰も覚えていない。まあ、プロは世間に騒がれなくなってからが本当の勝負である。



(以下引用)







──高校時代の松井秀喜、筒香嘉智、そして清宮を比較したら、誰を一番評価しますか。


小倉 3人を比較したら、松井が一番です。清宮は、まだ本当にいいピッチャーと当たっていないから判断が難しい。まだ筒香のほうがいいピッチャーと対戦していますから。


 筒香は横浜高校時代、故障があって、50試合くらいに欠場しています。当時はライトに打球を引っ張れなかったし、センターに打球が飛ぶことが多くて、なかなかホームランにならなかった。ライナー性の打球も多かったしね。もし故障せず、ライトに引っ張ることができていれば、清宮と同じくらいのホームランを打っていたんじゃないかなと思う。筒香と清宮は五分五分かな。  


──清宮は大学進学も噂されていますが、高校卒業後、すぐにプロ入りしたほうがいいと思いますか。


小倉 即プロに行かなきゃダメです。技術的な指導が全然違うので、大学に行ったら回り道になります。すぐプロに行ったとしても、一軍に出るようなるにはどうしても時間がかかります。中田翔(北海道日本ハムファイターズ)もそうだったけど、プロ野球はそんなに甘いもんじゃないですから。



小倉清一郎(おぐら きよいちろう)


1944年、神奈川県横浜市生まれ。77年から横浜高校野球部監督、78年から横浜商業コーチ。90年から2014年まで、横浜高校のコーチ、部長を歴任。独自のメソッドと徹底した分析力で松坂大輔、涌井秀章、筒香嘉智らを育てた。甲子園出場春夏通算32回、うち優勝3回。著書に『参謀の甲子園 横浜高校 常勝の「虎の巻」』(講談社+α文庫)など。








野球なら左サイドスロー、相撲なら左上手投げか左下手投げ。豪快なフォームである。なお、野口英世は私生活の不品行ぶりが広く知られるようになったが、今でも小学生向け偉人伝では扱われているのだろうか。黄熱病の業績も怪しいものだ、という話もあった気がする。
子供のころの本で読んだ、野口英世の「てんぼう(手が開かない。手が棒である)」といういじめニックネームは今でも覚えている。
不具を克服して偉大な業績を上げた例としては、広島で被爆して手が不自由でありながら最多安打記録を打ち立てた張本の方が上だろうが、彼は在日韓国人のため、あまり広く言及されない。





さんがリツイート

本日1月16日は「囲炉裏の日」。
囲炉裏に落ちた幼い野口英世を助けんとマッハで駆けつける母。
その形相とポーズから囲炉裏に我が子を投げ込んでいると勘違いされてしまうのだった。




東北スポーツというのはサンスポの系列かと思うが、その記事の一部である。楠本の大学時代の成績がある程度わかるので貴重だ。
東北六大学のレベルは東京六大学と比べてどうか知らないが、最近はプロ野球選手を輩出しており、低いレベルではないだろう。そこでの通算打率0.337というのは、かなりの巧打者で、通算本塁打6本というのは、長打者ではないがツボにはまれば一発もある、という感じか。99安打打つ間に三振はわずか22個というのは素晴らしい。つまり、ボールへのコンタクト能力が非常に高いわけである。
これで守備と走塁と肩が良ければレギュラー候補なのだが、はたしてどうなるだろうか。私の予感では、守備走塁は神里、打撃は楠本が上、という感じかと思う。どちらがレギュラーに近いだろうか。なお、細川に関しては、打撃と守備の確実性が固まるまでは二軍で鍛えるべきだと思う。筒香だって、二軍で鍛えたから、確実な力が身に付いたのであり、そんなに早く出てきたわけではない。









DeNA・D8楠本、地元・横浜で勝負/東北スポーツ

新入団発表でラミレス監督に激励される楠本。プロ1年目からの活躍が期待される

新入団発表でラミレス監督に激励される楠本。プロ1年目からの活躍が期待される【拡大】



 以降、リーグ戦においては数々のタイトルを獲得した。2年春に最多打点賞、同秋はMVP。3年春は最多本塁打、最多打点の2冠と遊撃手でベストナインに。4年春は2度目のMVPに最高打率賞、今度は外野手でベストナインに選ばれ、秋には4度目のベストナインとなった。


 昨年は、2年連続で選出された侍ジャパン大学代表でも存在感を見せた。楽天入りする慶大・岩見雅紀ら並み居る打者の中で、4番を務め続けた。中距離型ながら確実性を見込まれ、日米大学野球では18打数7安打、打率・389で首位打者賞を獲得。続くユニバーシアードでも29打数9安打8打点の活躍で、チームの優勝に貢献した。


 そんな楠本が、大学野球に心残りがあるとしたら、東北福祉大の選手として史上初となる、リーグ戦通算100安打に届かなかったことではないだろうか。


 残り9安打で迎えた昨秋リーグ戦。最終戦の仙台大2回戦で、阪神入りする馬場皐輔投手から安打を放つなど、2安打して大台に王手をかけたが及ばなかった。ユニバーシアード出場のため、序盤の2試合を欠場したのが響いた。


 だが、リーグ通算84試合で293打数99安打62打点6本塁打は堂々たる成績だ。三振はわずか22個。届かなかったあと1本を追求し、プロでもそのバットコントロールに磨きをかける。






私は熊原が試合で投げる場面を見たことが無いので、これまでの結果から彼を過小評価していたが、確かに凄い球を投げる。25メートルくらいの距離から投げて、この伸び。広島のノーコン投手たちのように、コースを気にせずに気楽に投げたら、あまり打たれないのではないか。
ノーコンも、相手打者にとっては嫌なもので、かえって武器にもなるのである。阪神の青柳を巨人の長野がまったく打てないのはそれ。横浜捕手陣は、ノーコン投手のリードというものを考え直したほうがいい。







さんがリツイート

熊原選手のストレート。

グラブ外したら不思議くんですが…

ちょっとでも野球少年の参考になれば\(^o^)/と思いUPさせていただきます!


236,560回再生済み
0:06 / 0:07



小田嶋隆ブログから転載。
相手の死によっても自分の意見を変えない、というのは言論者として立派だと思う。
私自身の星野仙一への意見も、ほぼこれと同様である。実は投手としてもさほど評価していない。勝ち星相当の評価である。



2018/01/06

鉄拳への挽歌


  プロ野球球団、東北楽天ゴールデンイーグルスが6日、星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことを発表した。冥福をお祈りする。  感想を求める声がいくつか届いているので、星野氏について書いた文章を再掲することにした。

 以下の原稿は2008年の11月にソフトバンククリエイティブが配信していたメールマガジン「ビジスタニュース」内でオダジマが連載していた「大日本観察」という連載コラムに向けて書いたもので、タイミングとしては、2009年開催のWBC監督問題で、星野氏の去就が騒がれていた事態を受けてのコラムということになる。


いまさら星野仙一をマナ板に乗せてどうしようと言うのか。確かに、WBC監督問題は終わった話だ。星野氏本人の資質についても、週刊誌誌上で議論(←星野氏本人によれば「バッシング」ということになるが)が一回りして、既に結論(「消えろ」ということ)が出ている。
 でも、近い将来、星野問題は、必ずや再燃する。そんな気がする。
 なんとなれば、来たるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)において、原ジャパンが優勝するとは限らないからだ。
 というよりも、確率論的に言って、原監督とそのチーム(←「サムライ・ジャパン」と呼ぶことになったようです《笑》)は、8割方、優勝できない。ベスト4に残れない確率も5割ぐらいはあるし、アジアシリーズで力尽きる可能性すら2割やそこいらは残っている。つまり、順当に行けば、原巨人は「負ける」のだ。
 と、優勝できなかったすべての場合において、
「ほーら、やっぱり星野にしておけば」
 式の議論がまき起こる。これは避けられない。だって、星野派は滅び去ったわけではなくて、時にあらずと思って雌伏しているだけなのだから。
 サンスポあたりは、おそらく予定稿を書き始めている。「ニュースゼロ」も原ジャパン惨敗の想定で構成原稿を用意している。もちろん、仙一氏本人も、「原バッシングを」擁護するカタチの談話の中で、「負けた監督に対するメディアの非難が、いかに理不尽で残酷なものであるのか」を訴えるつもりでいるはずだ。で、最終的には、「原よ。言いたいヤツには言わせておけ。掛け値無しの真実は、ベンチの中央を占める孤独な指揮官にしか分からないのだから」ぐらいなところに着地するシナリオを思い描いているに違いないのだ。
 とすれば、その時(星野復活シナリオ発動の瞬間)に備えて、こちらもそれなりの構えをとっておかねばならない。
 戦術的には、星野仙一が水に落ちた犬の構えでいる今この時にこそ、思い切りそれを叩いておこうということだ。手負いのキツネを森に放ってはいけない。完全に息の根が止まるまで、踏みつけておかねばならない。二度と巣穴を掘り始めないように、だ。
 
 この度の「星野バッシング」は、北京五輪の惨敗を受けて始まったもので、表面的には、彼のチーム運営や采配を批判する議論だった。
 が、本質は違う、と少なくとも私はそう思っている。真実は、もっと深い部分に隠れている。
 単に、負けた監督に対する戦術的な批判や、チームの運営法をめぐる戦略上の議論であったのなら、こんなに長引くこともなかったし、これほど盛り上がることもなかったはずだ。といよりも、なにより、うちの国の野球ジャーナリズムは、戦術論で読者を引っ張れるほど成熟していない。
 別の言い方をするなら、野球は、そもそも一年間をかけてペナントを争う不確実性のスポーツ(←優勝チームでさえ、6割台の勝率しかあげられない。それほど実力差が結果に表れにくい競技だということ)だということだ。だから、トーナメントの短期決戦で実力を決するようなことは、原理的に不可能なのだ。その意味で、北京の惨敗について、星野氏が担うべき責任は、せいぜい半分までだ。残りの半分は、勝利の女神の気まぐれ。っていうか、丁半バクチ。それだけの話だ……と、野球ファンは、この程度のことは、わかっている。
 にもかかわらず、彼らの一部が星野を批判してやまなかったのは、星野が負けたからではない。星野が星野だったからだ。
 つまり、この度の、星野氏をめぐるあれこれは、「星野」という御輿を担いで商売をたくらんでいた勢力と、彼らが用意した「星野」という物語のうさんくささに辟易し、それの撤回と滅亡を望んだ側の人々による、かなり根の深い暗闘だった。
 だからこそ、星野の側に立つ人間たちと、それを葬り去ろうとする人々の間で闘わされた議論は、白熱し、迷走し、ネットを巻き込んだ一大ムーブメントとなって、最終的には球界のちゃぶ台をひっくり返すに至った次第なのである。
 ざっと経緯をふりかえっておく。
1. 北京五輪惨敗:ま、時の運。細かいことを言えば色々と問題はあったが。
2. 采配批判勃発:ダルビッシュ起用法、岩瀬の続投、GG佐藤のポジション、川崎、新井の怪我、などなど。
3. 星野反論:帰国後の成田到着ロビーにて記者会見「失敗してもチャレンジするというのがオレの人生。それをたたくのは時間が 止まっている人間だよ」と。
4. ナベツネによる擁護:WBCの監督問題について「星野くん以上の人物がいるかね? いるなら教えてくれよ」と語る。
5. 出来レース:10月の中旬、WBCの監督を選任する有識者会議に委員の一人として招かれた野村楽天監督が「出来レースちゃうんか」と、会議の内幕について一言。
6. 最強:星野監督で一本化されそうな流れを受けて、イチローが「本気で最強のチームを作ろうとしているとは思えない」と発言。
7. 辞退:野村発言、イチロー発言、ネット上での星野批判の盛り上がりを受けて、星野氏が、自身のブログ上で、WBC監督の依頼を辞退する意向を表明。「パパ一人、こうまで悪者にされて……」という娘さんの発言を引用しつつ(笑)。
8. 追い打ち:週刊Pでは、江夏豊氏による《星野仙一「WBC監督辞退」の真相は「鉄拳制裁」醜聞だ!》という旨の暴露記事を掲載。
9. 一矢:サンスポの阪神コラム「虎のソナタ」に、星野問題総括の記事が載る。
 《要するに最有力候補に「星野仙一氏」という空気になったとたんに外野席がうるさくなった。後講釈で理由はなんとでもつくが、ズバリ「男の嫉妬」がウズ巻いていた。五輪に負けたことでこんなにひどい批判という名の“みそぎ”を受けさせられるとは星野氏は想定外だったろう。》《イチローさん、これでご満足ですか。一選手の発言が『監督のクビ』を飛ばしたのです。すごい時代になったもんだ。下克上…昔、阪神に巣食っていた“亡霊”が生き返ったのか…と思いましたョ。》だとさ。
 引用が長くなってしまったが、私としては、読者の皆さんに「色々な経緯があった」ということを知っていてほしかったのだ。決して、「バッシングがあって星野が辞退した」という単純な流れではなかったということを、だ。
 いまのところは、星野退場で幕が降りているかに見える。が、ここに至るまでは、様々な紆余曲折があった。種々雑多な観測気球が上がり、あれやこれやのプロパガンダが発動され、アジテーションが炸裂し、奇妙な説得が流れていたのである。
 星野氏自身について、思わぬ方向から復活の狼煙が上がったりもした。で、もう一歩のところで「星野リベンジ物語」というシナリオが動き出す運びになっていたのである。おそろしいことに。
 星野バッシングの流れを「男の嫉妬」と決めつけるような原稿が、全国紙の紙面に掲載されたりもした。
 おどろくべき記事だ。
 いったい誰が星野氏に嫉妬をしたというのだ?
 江夏豊氏か?
 野村克也氏か?
 理由は何だ? 
 どうして彼らが星野氏に対して「男のシット」を燃やさねばならなかったというのだ?
 監督候補として名前が挙がらなかったから?
 星野氏みたいにメジャーなテレビ局の専属になっていないからか?
 
 当然のことながら、批判を「嫉妬」と決めつけるテの記事をそのまま鵜呑みにするほど、われら日本の野球ファンはおバカではない。2ちゃんねるの捨て台詞じゃあるまいし。まったく。チラシの裏以下じゃないか。
 とはいえ、この種の低次元な立論は、スポーツ新聞読者の読解力水準が、ある限界を下回った瞬間(←具体的に言うと、原ジャパンが惨敗して、野球ファンがトチ狂った状態に陥っているしばらくの間)に、あるいは、不気味な力を発揮することになるかもしれない。
 つまり、
「負けた時に足の引っ張り合いをしていたのでは、日本の野球は強くならない。こういう時にこそ、球界が一つになれる人材を」
 てなことで、またぞろ星野が引っ張り出されてくることは、案外あり得るぞ、ということだ。
 ボロ負けに直面したファンは、一時的に、大変に愚かな人間になる。
 私は、それを恐れている。
 老婆心だと思うかもしれない。が、老婆にとって、明日はとても近い。ほとんど昨日と区別がつかないほどに。
 思うに、星野仙一は、日本プロ野球界に巣食う古い体質にとっての、最後の切り札の如き存在だ。
 昭和の時代を通じて、ずっと長い間、野球の周辺には、常に封建ニッポンの残り香がまとわりついていた。たとえば、戦前の一時期を軍隊で過ごした人々や、戦後生まれでも、体育会的秩序の中に自らの青春を捧げたタイプの人々は、野球のうちにある戦前的な要素に郷愁を抱いている。というのも、古い歴史を持つ団体競技である野球は、その発生当初から、軍隊の教練を模したトレーニングを取り入れ、軍隊ライクな秩序と精神性を柱に発展してきたスポーツだったからだ。
 なにしろ、右翼手、左翼手、遊撃手といったポジションの名前から、死球、捕殺、二重殺のような戦術上の用語にしてからが、既にして軍隊用語だったりする。
 ついでに言えば、野球における「塁」は、白兵戦における「塁」(防塁:戦術上の橋頭堡、ないしは土で作った砦)とほとんど選ぶところがない。そんな中で、攻撃側の選手は、「塁」を確保しつつ吶喊してくる突撃兵そのものであり、防御側の選手は、基地(ベース)にあって敵を迎え撃つ防人に相当する。すごい。
 要するに、野球は、人間をコマに使った軍人将棋みたいなゲームなのである。
 とすれば、指揮官が兵士に死を求めるのは、これは歴史の必然であり、兵が将に求める要素が「献身に値する父性」ぐらいなことになるのもまた、理の当然てなことになる。
 死と侵略をめぐるロマン。
 無論、こんな議論は、ファンタジーだ。
 それも、はるか昔に滅びた、古くさい軍靴のニオイのする、カビの生えたイカサマに過ぎない。
 現在、この種のメタファーは、若い選手にはまるでアピールしない。アピールしないどころか、お笑いぐさだ。
 が、野球ファンの一部には、今なお、チームに軍隊の幻を追い求める人々がいることは事実で、そういう彼らの目から見て、星野仙一が、最後の将軍に見えていることもまた、おそらく事実なのだ。島岡人間力野球の衣鉢を継ぐ黄金の熱血精神力野球。明治の父の如き威容……と、それが、私にはうっとうしいのだよ。「サムライ・ジャパン」だとかいう、間抜けなキャッチもさることながら。
 いいかげんに近代化しようではないか。でないと、今度こそ本当の終わりだぞ、と、そういうふうに私ども野球の古くささに辟易してきた古手の野球ファンは、プロ野球の行く末を懸念しているのである。
 もっとも、星野氏の軍隊式野球そのものは、その実、単に古くさいだけのものではない。それなりの内実を備えてもいる。
 が、星野野球それ自体の戦術や采配については、ここでは論評しない。というのも、私はその任ではないからだ。野球経験も無い一運動音痴が、こんなところで半可通の識見を振り回しても仕方がないわけだし。
 ここでは、星野氏の処世について語る。
 星野氏一流の処世術は、彼の背景を見事に演出せしめている。
 それゆえ、星野氏は、数社の一流企業のCMキャラクターに収まり、そのことで球界の集金構造の一端を担う存在に登り詰めた。で、事実、WBCのスポンサーとなっている企業のいくつかは、星野氏の個人的スポンサーと重複している――ということは、つまり、星野仙一を後押ししているのは、老野球ファンの郷愁だけではないということだ。むしろ、野球に理解を示す財界人を糾合するための御輿として、星野仙一氏を利用せんとする一派がいたと言った方が実態に近いのだと思う。
 それはそれで良いのだ。
 野球はカネが無いと動かない競技なのだし、代表監督にとって、スポンサーを集めてくることは、ある意味で、ベンチで選手を操縦する能力よりもずっと重要な任務だ。その意味で、星野を推す人々が、彼の人脈や財界コネクションを重視したことは、必ずしも的はずれではない。
 さよう。重要なのは、星野氏の処世だ。
 彼が、支持されている理由は、おそらくそこにある。
「あいつは、世渡りが上手い」
 と。だから、
「代表チームの監督として、国際舞台に打って出る人物は、なにより世渡り上手であるべきだ」
 という見識は、それはそれで一理あると私もそう思っている。
 でも、その一方で私は、星野氏がその処世上、ずっと看板として掲げているドラマに、どうしても同調できずにいる。
 具体的に言うと、私は、彼がある時期から掲げて来た「男・星野」という仮構に、ずいぶん前から食傷していたのである。それに、オリンピックに先立って「星野の夢」を商標登録しているみたいな、そういう彼自身の抜け目の無さが、なんだか信用できないわけです。
 若手選手に対して鉄拳制裁を辞さない秋霜烈日な指導を繰り返す一方で、ベテラン選手やコーチ陣の夫人たちの誕生日を暗記し、その当日にバラの花を贈る気遣いを怠らない繊細さを併せ持っている……とか、そういうエピソードを、私はすっかり聞き飽きてしまったのだな。もう何年も前から。
 母子家庭に生まれ、人生半ばにして伴侶(奥さん)の死に遭遇したという、民放でドラマ化されがちなプロットのドラマ性も、だ。
 こういう種類の悲劇性をまとった「父性」に憧憬を抱く者が、今の時代にも少数ながらいることそれ自体は、理解できないでもない。
 が、「理想の上司」を尋ねるテのアンケートの上位に、必ず星野仙一の名前がランクインしていることは、これは、鵜呑みにするわけにはいかないデータだと思っている。メディアは、スポンサーのために動いているわけだし、そのスポンサーは、星野を通して何かを成し遂げようとしている存在であったりするからだ。
 私がいま言っていることはあるいは邪推なのかもしれない。
 でも、事実がどうであれ、はっきりしているのは、感覚として私がこの人をどうしても信用できずにいることだ。
 保険会社や、カレーの会社や、胃薬の会社は、星野氏が「理想の上司」だから起用している、と、事実は、その通りなのかもしれない。
 でも、私の目には、保険の会社や、カレーの会社や胃薬の会社が広告会社と結託して、星野氏を「理想の上司」に仕立て上げている、というふうに見える。
 だって、そういうことにしておけば、関係者の全員が得をするから。野球ファン以外の全員が、ということだが。
 結論を述べる。
 星野氏については、その「鉄拳」がいけない、と私は考えている。
 指揮下にある人間を対象とした暴力は「論外」に属するお話で、指導者としての資質を云々する以前の、人としての最低限のモラルおよび市民社会のメンバーとしての基本的な資格を問われるべき問題だ。
 これまでの、議論は、前置きに過ぎないと言い直しても良い。
 ともあれ、二十一世紀の人間は、どんな理由であれ、下の立場の者に向けて暴力を発動する人間を容認してはいけないのである。
 私自身、オトナになる前に、かなりの頻度で「鉄拳」を浴びて来た側の生徒だった。その経験から申し上げるに、熱意が暴走して手が出てしまったり、部下を思う気持ちの強さゆえに、思わず叩いてしまうというタイプの上司がいないわけではないし、彼らの「体罰」を、全否定しようとも思ってはいない。いずれにしても、そういう人々(自ら痛みを持って生徒を叩く教師)は、必ず、謝罪する。だから、彼らの体罰は、繰り返されない。逆に言えば、継続的に暴力を繰り返す人間の暴力には、そもそも愛情も誠意も情熱も宿っていないと見なさなければならない。 
 部下に対して日常的に発動されていた星野仙一氏の鉄拳は、確信を持って繰り出される、組織運営上の手段としての暴力である。いったい誰がこんなものを容認できるだろうか。
 「鉄拳」体質については、ある時期から(たぶん、阪神に移ってから)、突然報道されないようになった。
 もちろん、中日で監督をやっていた時代も、鉄拳についての記事は、ごく控えめにしか書かれなかったし、記事化される場合でも、「熱血の行きつく果ての鉄拳」「男星野、情熱のコブシ」ぐらいな、講談調の文脈で語られるのがせいぜいではあった。
 二十一世紀に入って後、ジャーナリズム的に、体罰は、どの角度からどう描いても弁護のしようの無いものになり下がってしまって、それゆえ、記者は一行も触れられなくなったということであって、星野氏の暴力が終息したわけではない。
 この件については、マーティ・キーナート氏が興味深い記事を書いている。「キーナート」「燃える男」「鉄拳制裁」ぐらいで、ググってみてほしい。「中村武志」「眉毛」でググっても良い。面白いテキストが読めると思う。
 原ジャパンは、おそらく優勝できない。
 でも、原ジャパンの敗北に伴って発生する、原バッシングは、たいして盛り上がらないはずだ。
 なにより、原辰徳は、涙目の似合う日本一の謝罪キャラだし、それに、日本の野球ファンは、この20年でずいぶん成熟したはずだから。
 もし、原辰徳が人格攻撃含みの猛バッシングを浴びて、星野待望論がマジで力を持つのだとしたら、今度こそ私は日本の野球を見捨てようと思う。
 勝てば無問題なわけだが。
 
         (了)

 

  以上です。
現役時代、投手としての星野仙一氏には敬意を感じていました。
ただ、監督に就任してからの「鉄拳」を辞さない指導方針には共感できませんでした。
星野氏の高圧的なチームマネジメントを「熱血指導」として持ち上げるスポーツマスコミの報道に対しても、強い忌避感を抱きました。
故人の死去を受けて、その「熱血指導」が、不当に美化されつつある空気を感じたので、上記コラムに不快感を持つ読者もいるだろうことは承知しつつ、あえて掲載することにしました。
 あらためて星野仙一氏のご逝去に心からの哀悼の意を表します。
※ なお、上記テキストは、掲載分ではなく、ハードディスクの中にあった校閲前のナマ原稿であったため、2018年1月6日の時点で誤字脱字を修正し、あわせて文章の調子を若干整えています。


忍者ブログ [PR]