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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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尾崎豊が、その歌とはまったく異なり、お行儀のよい若者だったこと、つまりその歌の歌詞は完全なフィクションだったことは知られているが、これは普通なら当たり前である。しかし、彼の悲劇は、その歌詞と彼自身が同一視され教祖的存在になったことである。そのために彼の低迷期と死に至った覚せい剤乱用が生じたのだろう。

(以下引用)


特に10代のころは「社会への反抗・疑問」や「反支配」をテーマにした歌を多く歌い、マスメディアからは「10代の教祖」などと呼ばれた[27][28]校内暴力や学生による飲酒・喫煙が横行し、偏差値教育や受験戦争のひずみが露呈していた時代世相と相まって一部の若者の間で社会現象となる[27][注釈 4]。10代最後の日に3rdアルバム『壊れた扉から』を発売しヒット、同時期に行われていたツアーも満員となるなど人気は絶頂を迎える。

無期限活動休止 -覚醒剤取締法違反で逮捕−完全復活[編集]

一世を風靡した尾崎は、20歳になり方向性を見失い突然無期限活動休止を宣言し単身渡米する[1][5]。当時曲を生み出せないことに苦悩していた尾崎は、何の収穫もないままその年の末に帰国する[29]。そんな中で所属事務所が立ち上げたレコード会社への移籍が決定[1][5]、プロデューサーの須藤ら懇意にしていた音楽スタッフとも離れてしまい、新しいアルバムの制作は何度も中断された[29]。その後、新曲の発売がないまま1年半ぶりのライブツアーが始まるも、9月に肉体的な疲労から倒れ、残りのツアーは中止となる[1][13]。その年の暮れには覚醒剤取締法違反で逮捕され精神的に低迷[30]、バックバンド「Heart Of Klaxon」のメンバーとも関係が悪化する[30]。復帰後にリリースした「太陽の破片」がヒット、フジテレビ系列の『夜のヒットスタジオ』に最初で最後のテレビ出演を行い、東京ドームにて復活ライブを行うが、同時期に制作していたアルバム『街路樹』は発売延期を繰り返し、シングル「核 (CORE)」の完成度を含め満足のいく活動からは程遠かった。


一方プライベートでは一般人の女性と結婚、長男が生まれ、新たな価値観を見出した尾崎は1990年(平成2年)、レコード会社を古巣のCBS・ソニーに復帰、2枚組アルバム『誕生』をリリースし、オリコン1位を記録。翌年には大規模ツアーを行うなど、尾崎は完全復活を遂げる。しかし同時に事務所やマスコミへの猜疑心は止むことはなく[31]、尊敬する浜田省吾の個人事務所であるロード&スカイも短期間で契約を解除した[31]。個人事務所「ISOTOPE」(アイソトープ)を立ち上げるも経営面の管理のほかにプロモートからライブスケジュールを自ら取り仕切らなければならず、多忙な日々を送る中で、再び精神的に追い詰められた尾崎は自殺を図るなど混迷を深めていった[32]。その後、遺作となる『放熱への証』の制作に取りかかるが、1991年(平成3年)末に母親が急死。交友関係も狭くなっていき、精神的状況はさらに悪い方向へ向かっていた。


20代になってからの尾崎は、かつての「自由」「反支配」といったものとは違い、「真実の愛」「贖罪」「罪」といったものを主題にした歌を多く作っていった。

26歳での突然死[編集]

1992年(平成4年)4月25日(土)早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを、家主の妻に発見された[33]。5時45分ごろ、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれる[34]。診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に診てもらった方がいい」と診断したが[35]、尾崎は妻と兄とともに自宅マンションに戻る[35]。しかし、10時頃になって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。日本医科大学付属病院で手当てを受けるも、午後0時6分に死亡した[1][36][37][38]。死因は肺水腫[39](詳細は後述)。


  • 1988年(昭和63年)
  • 1992年(平成4年)
    • 4月25日早朝、東京都足立区千住河原町の民家の庭にて泥酔状態で発見され、警察に通報される。救急車で墨田区の白鬚橋病院に運ばれ診察を受け、妻と兄とともに自宅マンションに帰宅する。その後、夫人、兄、マネージャーが見守るなか、自宅マンションで暴れたり眠ったりを繰り返しながら、突如危篤状態となり、救急車で日本医科大学の緊急病棟に収容される。蘇生措置がされるが午後0時6分に死亡[1]。26歳没(享年27)。
    • 4月30日、東京都文京区護国寺で行われた追悼式には3万7,500人ものファンが詰めかけた。

人物[編集]

クールで尖ったイメージのある尾崎だが、プライベートの尾崎は明るい好青年であった。


当時はロックバンド「OZONE」でボーカルとして活躍し、尾崎と同じCBS・ソニーに所属していた俳優の坂上忍は、インタビューで「尾崎はいつも暗い顔して写真に写ってたけど、プライベートはホントに明るくて。こっちのほうがよっぽど暗かったですから。『忍ちゃーん!』とか言って登場して来るぐらいですからね」と語っている[51]。別の対談では、坂上は尾崎のファースト・アルバムを聴いて「クドくない?」と思ったという。坂上は一度だけ尾崎と2人きりで飲む機会があったが、そこで尾崎から「もう曲が書けない」という本音を聞いた。それでも尾崎が(吉川晃司本田恭章を含めた)4人の中では最後まで歌い続けるだろうと思ったが、26歳の若さで誰よりも先に亡くなるとは信じられなかったと語っている[52]


2013年(平成25年)12月1日にWOWOWで放送された『尾崎豊デビュー30周年記念日-THE DAY』で、尾崎の曲のアレンジャーも務めたギタリストの町支寛二は「話を交わすときはいつも純真な青年ってイメージで。だから初めてライブを観に行ったとき、スイッチがひとつ入っちゃう感じに鳥肌が立ちましたね」と述べた。また、RED WARRIORSの小川清史は「リハーサルの間に「実は尾崎、俺『Bow!』って曲凄く好きなんだ」って言ったら、顔をくしゃくしゃにして『本当?』って喜んでくれて」と語っている[53]


1991年(平成3年)の「1991 BIRTH TOUR」のサポート・ベーシストを務めた渡辺茂は「初対面のときに、それまでいろんな仲間から変わってる奴だと散々聞いてたが、普段は礼儀正しくて大人しかった。でもステージの上では破壊的で、跳ぶわ、ピアノの上に寝るわでびっくりしました」と述べた。サクソフォーンを担当した関誠一郎は「服装は派手だけど、普通の人で、気さくな感じだ」と、パーカッションの里村美和は「熊本(熊本県・阿蘇で行われたロックイベントBEAT CHILDのこと)で僕が佐野元春とやってるときに初めて会ったんだけど、真面目で礼儀正しいやつだと思った」と語っている[54]


また、10代のころは尾崎自身のカリスマ性やイメージを保つために、写真はすべてモノクロームで掲載され、笑顔の写真も自粛された。

死因について[編集]

当初の公表と死体検案書との乖離
初めは事件性がないとして行政解剖が行われる予定だった。しかし千住署、警視庁、検察庁が前日夜に協議した結果、全身にすり傷があり右目の上にコブもあることから司法解剖に切り替えられ、午前10時から東京監察医務院の医師らによって検視、その後解剖が行われた[58]。その結果、死因は肺に水がたまる肺水腫であると発表され、極度の飲酒によるものだと考えられた[58][59]。しかし1994年(平成6年)、司法解剖時に尾崎の体内から覚醒剤が検出されていたことが明らかとなった。覚醒剤について記された「死体検案書」がマスコミに流出すると、尾崎の死因について様々な憶測を呼んだ[59]
司法解剖医による見解
検視を担当した支倉逸人によれば、尾崎の死因は肺水腫であることのみを発表し、肺水腫の原因が覚醒剤中毒であることは伏せられていた。中毒は経時的な悪化によるものではなく、大量の覚醒剤服用(オーバードース、薬の多量摂取)による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論づけられている。内臓も覚醒剤を経口摂取した形跡があり、肺にも覚醒剤中毒の症状が見られたという[60]
他殺の疑惑
尾崎の遺体には全身のほとんどに多数の傷やあざがあり、亡くなった当初は傷害致死の可能性も指摘された。しかし警察は状況捜査や司法解剖を行った結果から「事件性なし」として調査を終結している。検死をした支倉逸人の著書によれば、擦過傷と打撲傷をじっくり調べた結果、他者からの暴行によって生じるものとは異なる状態であったとの記述がある。またそれを裏付けるように尾崎が転倒したり暴れて転げ回っていたという証言を警官が確認しており、このような異常行動は覚醒剤中毒者によく見られるものである。なお、支倉によれば頭部に小さな外傷性くも膜下出血も確認されているが極めて微量の出血であり、死に至るほどの重症ではなかったという[60]
1994年(平成6年)にはテレビ朝日が、流出した「死体検案書」のコピーやジャーナリストが取材した結果を元に妻と知人が覚醒剤を飲ませて殺害したとする説を主張、尾崎の死を検証する番組を製作した。ところが尾崎の妻がテレビ朝日と記事を執筆したジャーナリストを相手取り訴訟を起こしたため、番組はお蔵入りとなり放送されることはなかった[61]。結果は原告の尾崎の妻が一審・二審・最高裁すべてで勝訴した[60]。(テレビ朝日は一審判決後原告と和解)。
7年後の1999年(平成11年)には週刊誌『フライデー』に蘇生措置を施されている尾崎の写真と死体検案書が掲載された。しかし、この記事は検死を行った支倉に対して一切の取材を行わずに書かれたものであったことが著書で述べられている。支倉は著書内で覚醒剤の致死量は個人差が大きく、薬殺の手段として用いるには酒と同じくらい不確実性が高いと述べている[60]
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232は面白い意見だが、正しいかどうかの判断は難しい。素人は素人であるだけで素人っぽいのではないか。玄人が素人の演技をするほうが難しい気もする。
素人くさい演技がいいのかどうか、ということが問題の根本だろう。
234には完全に同意。「風立ちぬ」を見ていないので庵野は知らないが、立花隆とか糸井重里とかは、やはり観客の「作品への没入を阻害する」障害になっていたと思う。宮崎駿の声優嫌いというのは彼の唯一の欠陥だろう。
(「声優の作り声は嫌い」のような)自分の単なる好悪を何か正しいことのように思い込むと、それがドグマになるというのは誰でもあることだ。そして、「自分の信念」が自分を価値ある存在にしている、という思い込みが、実はその人の客観性を奪い、価値低下を起こすということもあると思う。


232名無しのアニゲーさん :2022/08/26(金) 03:26:55 ID:- ▼このコメントに返信
いつも思うが素人が素人っぽい自然な演技できるわけないよな
Good 7 Bad 1
233名無しのアニゲーさん :2022/08/26(金) 03:33:02 ID:- ▼このコメントに返信
合ってるから気にならない
Good 1 Bad 2
234名無しのアニゲーさん :2022/08/26(金) 03:36:01 ID:- ▼このコメントに返信
ラピュタまではいちいち見てる最中に「声優は誰?」とか「声の人」とか意識する事もなく作品に引き込まれ集中出来てたんだが、トトロ以降は必ず棒読みで「アニメ映画観てる自分」に引き戻される役が必ず混ざってる。宮崎監督が声優嫌いらしくて素人臭いのが好きみたいだけど、この人の作品の唯一と言って良い欠点だと思う。
まあ金が無くてやりたいことできなくて稼ぐために大衆に迎合したと監督が思ってるナウシカやラピュタと、金と権威が確立された以降のトトロその他とでは姿勢が違うのかもしれん。だからか俺の三大宮崎作品(映画)はカリ城・ナウシカ・ラピュタで他は格下扱いなんだよな
芸能界裏歴史の豆知識である。なつかしい名前だ。初期の外人タレントはCIA関係者が多かったのではないか。で、芸能界を手中に入れるのはユダヤの常套手段である。そして芸能人の周辺には暴力団と麻薬販売人が集まる。




竹熊健太郎《Aタイプ》
@kentaro666
ねずみ講やマルチ商法は親に近いほど儲かる仕組みだが、水道橋博士の動画を見ていたら、博士も若い頃にアムウェイをやっていたと告白していた。なんでも日本アムウェイの総元締めだったE・H・エリックの下が役者で歌手の荒木一郎で、博士はその下の下くらいという滅茶苦茶有利な位置。
彼の作品は幾つか見たが、シャーロック・ホームズの兄のマイクロフト・ホームズをやらせるのにぴったりの俳優だと思う。



主な出演作品

公開年邦題
原題
役名備考
1936勝鬨
Lloyd's of London
エヴェレット・ステイシー
奇蹟人間
The Man Who Could Work Miracles
1937恋は特ダネ
Love Is News
Count Andre de Guyon
奴隷船
Slave Ship
レフティ
1938四人の復讐
Four Men and a Prayer
ワイアット・リー
1939暗黒街に明日はない
The Saint Strikes Back
サイモン・テンプラー
戦慄のスパイ網
Confessions of a Nazi Spy
Schlager
アリゲニー高原の暴動
Allegheny Uprising
スワンソン
1940レベッカ
Rebecca
ジャック・ファヴェル
海外特派員
Foreign Correspondent
フロリオット
1941天国の怒り
Rage in Heaven
ウォード・アンドリュース
マン・ハント
Man Hunt
Major Quive-Smith
砂丘の敵
Sundown
Coombes
1942激闘
Son of Fury: The Story of Benjamin Blake
サー・アーサー・ブレイク
運命の饗宴
Tales of Manhattan
ウィリアムズ
海の征服者
The Black Swan
ビリー
1943自由への闘い
This Land Is Mine
ジョージ・ランバート
1944謎の下宿人
The Lodger
ジョン・ワーウィック
アラブの陰謀
Action in Arabia
マイケル・ゴードン
夏の嵐
Summer Storm
Fedor Mikhailovich Petroff
1945戦慄の調べ
Hangover Square
アラン・ミドルトン
ドリアン・グレイの肖像
The Picture of Dorian Gray
ヘンリー・ウォットン卿
1946パリのスキャンダル
A Scandal in Paris
Eugéne François Vidocq
1947美貌の友
The Private Affairs of Bel Ami
ジョージ
幽霊と未亡人
The Ghost and Mrs. Muir
マイルズ
誘拐魔
Lured
ロバート・フレミング
永遠のアムバア
Forever Amber
チャールズ2世
1949サムソンとデリラ
Samson and Delilah
ガザのサラン
1950イヴの総て
All About Eve
アディソン・デウィットアカデミー助演男優賞 受賞
1952黒騎士
Ivanhoe
ド・ボワ=ギルベール
1954殺人目撃者
Witness to Murder
アルバート・リヒター
獅子王リチャード
King Richard and the Crusaders
リチャード1世
イタリア旅行
Viaggio in Italia
アレックス・ジョイス
1955ムーンフリート
Moonfleet
アシュウッド卿
1956口紅殺人事件
While the City Sleeps
マーク・ラヴィング
すてきな気持
That Certain Feeling
ラリー・ラーキン
1958宇宙冒険旅行
From the Earth to the Moon
Stuyvesant Nicholl
1959私はそんな女
That Kind of Woman
A.L.
ソロモンとシバの女王
Solomon and Sheba
アドニヤ
美女と詐欺師
A Touch of Larceny
チャールズ・ホランド
1960最後の航海
The Last Voyage
ロバート・アダムス
青ひげの末裔
Bluebeards Ten Honeymoons
ヘンリ・ランドルー
未知空間の恐怖/光る眼
Village of the Damned
ゴードン・ゼラビー
1962難破船
In Search of the Castaways
Thomas Ayerton
1963金庫破り
The Cracksman
Guv'nor
1964暗闇でドッキリ
A Shot In The Dark
Thomas Ayerton
1965モール・フランダースの愛の冒険
The Amorous Adventures of Moll Flanders
銀行家
1966さらばベルリンの灯
The Quiller Memorandum
ギブス
1967ソニーとシェールの グッド・タイムス
Good Times
Mr. Mordicus/Knife McBlade/White hunter/Zarubian
ジャングル・ブック
The Jungle Book
Shere Khan the Tiger声の出演
1969SF空中蒸発
The Body Stealers
アームストロング
狼の館
The Best House in London
サー・フランシス・レイボーン
1972エンドレスナイト
Endless Night
リッピンコット
1973サイコマニア
Psychomania
シャドウェル
「野球が変わった」とは、チームの勝利のために、個々の選手が、「自分のやるべきこと、できることは何か」と考え、勇気をもって実行するようになった、ということだろう。ダメチームはそれがまったくできないし、やる気もないのである。

(以下引用)


 
 
 
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7回2死一、二塁、バント安打を決める代打・関根大気(カメラ・石田 順平)© スポーツ報知/報知新聞社 7回2死一、二塁、バント安打を決める代打・関根大気(カメラ・石田 順平)

◆JERAセ・リーグ 阪神4―0DeNA(24日・京セラドーム大阪)


 エッ~!? 代打のセーフティーバントなんて思いもよらなかった。7回2死一、二塁で関根がドラッグバント。阪神も予想していないし、絶妙なところに転がしたので、見事に成功した。ベンチで首脳陣が「イチかバチかやってみろ」と指示したのか。正直、DeNAがこんな小技をやるのか、という衝撃も受けた。次の桑原が満塁本塁打。関根のバント安打成功が勝負の分かれ目になった。


 三浦監督の采配に、勝利への執念が強く出ていた。0―0の7回1死一塁で代走を送ってまでバントをさせた。2死二塁で阪神は代打・伊藤を敬遠。好投の浜口を交代させる狙いだったと思う。三浦監督も引かずに、代打を送った。浜口は6回3安打無四球と完璧な内容。勇気のいる交代だが、攻めを貫いた。この回無得点なら、浜口も消化不良の思いが残っただろうが、勝利投手になったので、次にもつながった。


 後半戦はDeNAの野球が変貌(へんぼう)している。投手が安定して防御の計算が立つことで、「1点」を取る攻撃が徹底されてきた。細かい作戦のほかにも、打者が中堅から逆方向を意識している。ブンブンと振り回す以前のチームではない。(スポーツ報知評論家・安藤統男)






三浦監督の采配に大胆さが出てきたようだ。自信がついてきたのだろう。
関根のセーフティバントは自己判断のようだが、見事である。桑原の満塁ホームラン以上のファインプレーだ。相手が左投手だから投げ終わった後に体が三塁側に重心が残り、一塁側にバントされると取れない確率が高く、ファーストやセカンドの選手が球を処理しても投手の一塁ベースカバーが遅れる。関根がこれほど野球頭脳のある選手だとは知らなかった。
なお、戸柱を伊藤に代える必要は無かったのでは、というコメントがあったが、同じレベルの打者なら左投手に右打ちの打者を当てるのは当然だろうし、そこで申告敬遠となるのも想定のうちだろう。つまりチャンスが広がるわけだ。
こうした盛り上がりの結果、桑原の満塁ホームランへとつながったわけである。これは、各選手が自分の仕事を明確に自覚し、自分の頭も使って完璧に働いた結果である。ダメチーム(これまでの横浜)にはこういうことがまったく不可能なのだ。
そして、すべては一死からのソトへの代走、柴田の送りバントから始まっている。


「サインじゃないですよ。本人が考えて。そこで代打で自分が決めたいって思うところをうまく決めてくれましたし、つなぐっていう意識が常に全員が持っているからこそ。
そういう気持ちが桑原にも伝わったからこそ、あそこで何とかしようというところで食らいついて見事に本塁打で最高の形になりましたけども、つないでつないでというのが全員でそういう思い持って打席に立っているのを、関根が表現してくれたかなと思います」
https://www.sanspo.com/article/20220824-YTUS5OMTRZPZVGAPQBHLBHC734/




       
       
       
       

22: それでも動く名無し (ワッチョイW 7f57-Ze9C) 2022/08/24(水) 21:12:36.82 ID:ylcPtHUs0
1アウトでソトに代走
bandicam 2022-08-24 22-38-02-136

柴田バント2アウト2塁
bandicam 2022-08-24 22-38-25-779

戸柱に代打伊藤→申告敬遠
bandicam 2022-08-24 22-38-34-560

6回87球無失点の濱口に代打関根
bandicam 2022-08-24 22-38-44-455

セーフティーバント2アウト満塁
Honeycam 2022-08-24 20-13-16

桑原グランドスラム
Honeycam 2022-08-24 20-12-02


うーんこれは名将!w

60: それでも動く名無し (ワッチョイW 1f06-Sftd) 2022/08/24(水) 21:13:19.44 ID:8GbL0vNx0
未来視でも出来るんか…
さすがに、昨日の試合の打順は擁護できないだろう。これで勝てばマスコミが騒ぐだろうという狙いが見え見えで、不真面目そのものである。ただし、新しい戦力を何人も発掘したのは功績ではある。


2022年08月25日


日本ハムって元々戦力が低いって言うけど新庄のせいで相当負け数増やしてるよな?



no title
1: 風吹けば名無し 2022/08/24(水) 17:02:52.90 0
ちなみ昨年の最下位西武は補強無しで現在首位。
ハムヲタは日本ハムが昨年最下位だと勘違いしてる人多いけど

3: 風吹けば名無し 2022/08/24(水) 17:04:39.88 0
今日も負けて7連敗
安定して3割打つ近藤を6番
現在首位打者.350の松本が7番
打順上位は「お前誰やねん」っていう打率2割も怪しい2軍レベルだらけ


6: 風吹けば名無し 2022/08/24(水) 17:08:19.54 0
>>3
ガラガラポンで打順組んでるんやろなぁ

4: 風吹けば名無し 2022/08/24(水) 17:06:26.32 0
たまにまぐれで奇策が成功するとメディアが流石BIGBOSSって取り上げるけど、その奇策のせいで何倍もチャンス潰してる





私は、パソコンを前にして特に何もやる気が起こらない時は、昔100円で買ったダイソーのマージャンゲームをやることが多いのだが、それをやっていて気が付いたことがある。(このゲームは半分はインチキだと思う。つまり、特定の架空プレイヤーがやたらにツキがあるのである。まあ、それでも、合理的な打ち方をすれば自然と勝率が高くなるので学習用にいいゲームだ。ただし、私は未だに点数計算はできない。)それは、「絶対に相手に振らない」ということを心掛けて打つと勝率が格段に上がり、捨て牌を読むのも上手になる、つまりマージャンの腕が上がるということだ。「手作りより、振らないこと」を肝に銘じ、危険な状況では降りる、あるいは自分の手がいい時には回し打ちをする心がけて打つうちに、腕が上がると思う。
もうひとつは「カンチャン待ち」は初心者が思うほど不利な待ちではない、ということだ。カンチャン待ちだと、リーチ後の捨て牌が自然に迷彩になって、出やすいわけだ。一方、「シャボ待ち」(と言ったか。私は人間相手のマージャンは50年近くやっていないから、マージャン用語もはっきり覚えていない。)は、上がる確率は低い。もともと、待ち牌が4つしか無い上に、場に捨てられていたり、相手も同じ牌を手の中の役で使っていたりする。しかし、シャボ待ちの中でも、待ちのひとつが字牌であると、相手は安パイのつもりで捨てることも多いのである。
手作りの流れによって、単騎待ちになることもあるが、これも悪い待ちではない。見え見えのドラ単騎待ちでも、ツモる確率は4分の1あるのだから、恐れることは無いし、それで上がると相手へのダメージも大きい。
「スポルティバ」の記事の一部だが、私が近江の山田投手に感じていた違和感を見事に説明している。「投手としては柔らかさがない」この一言である。体の芯が強いと思われ、ピッチングでも打撃でも力感はあるが、投手としては、よく打たれていた原因が、この体の固さだろうと思う。打者としても、無茶振りが多く、今すぐプロでやっていける選手ではないと思う。
まあ、大学で「二刀流」で活躍して4年後を目指すのがいいのではないか。ドラ1に指名されてうっかりプロに入ると鳴かず飛ばずで終わりそうな気がする。
闘争的な性格はプロ向きかもしれないが、まだまだ実力不足だろう。
奪三振の多さは

「高校野球の広いストライクゾーンだから結果が出ている感じもします。」

という言葉が的を射ていると思う。過去の高校野球の優れた投手たちとはランクがひとつ下だろう。



(以下引用)

2022.08.18

140キロ超えは50人以上。この夏の甲子園でスカウトが「指名間違いなし」「将来が楽しみ」と評価した10人の投手は?

田尻賢誉●文 text by Tajiri Masatakaphoto by Ohtiomo Yoshiyuki

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 山田は身長175センチ、体重78キロと投手としては小柄。3回戦の長崎・海星戦で満塁本塁打を放った打撃を評価する声もある。

「投手としては、柔らかさがないので故障が心配です。高校野球の広いストライクゾーンだから結果が出ている感じもします。個人的には、多少強引に引っ張る傾向はありますが、バットが振れるし、打者としてのほうが面白いかなと思っています」(パ・リーグスカウトC氏)

 次に名前が挙がったのが、田中晴也(日本文理)だ。186センチ、92キロの堂々たる体躯から投げ込むストレートが武器の本格派右腕だ。この夏は新潟大会で右手人差し指の皮が破れた影響もあり、本来のピッチングができなかった。甲子園では148キロ止まりだったが、最速は150キロを誇る。

「もともと今年の高校生投手は、田中を中心に回るんじゃないかと言われていた逸材です。指の故障があったとはいえ、それなりにゲームをつくっていたし、ピッチングに強弱をつけられるのは高く評価できます。欲を言えば、爆発力がほしい。今年に入って150キロは出ましたが、それ以上の上積みが感じられなかった」(パ・リーグスカウトA氏)

「真っすぐはいいですね。ただ、スマートに投げようとしすぎている印象を受けました。もう少し、ガツガツした気持ちがほしいなと。体のサイズはあるし、柔軟性もあるので2、3年後にはすごいピッチャーになるかもしれないという可能性は感じました」(セ・リーグスカウトD氏)

 プロ志望か、それとも大学進学か。本人の決断に注目が集まる。
DeNAのようにもともと戦力は高いチームに足りないのは経験と精神力だから、ここで書かれている石井コーチの「精神教育」は非常に大事だと思う。監督自身がそれをやったのが西部やヤクルトを優勝させた広岡であるが、下の記事のようにその役をコーチがやってもいい。
私は三浦を無能監督だと思っていたが、部下を使う懐の広さと融通性はあるようだ。
別の言い方をすれば、考えるのは選手の仕事ではなく監督やコーチの仕事だということだ。選手は、自分の置かれた位置での仕事だけをすればいい。今のDeNAは控え選手も含め、各選手にそれができている。これは石井コーチのミーティングのためだろう。「何をしたらいいのか分からない」状況で、仕事などできるはずはない。

(以下引用)


     
今シーズンのDeNAの粘り強さについて

佐野「僕の中ですごく大きいなと感じるのは」
2022-08-22 00-41-37-047

佐野「毎日練習行く前に琢朗コーチがミーティングをしてくれて」
2022-08-22 00-41-42-734

佐野「昨日までの戦いでの反省だったり きょうしていかないといけないことの確認」
2022-08-22 00-42-21-245

佐野「明確に練習に入るところから全員で確認できているので」
2022-08-22 00-42-29-665

佐野「すごく今いい戦いができている要因の大きなひとつ」
2022-08-22 00-42-31-953

佐野「今までだと3点先制されると"うわぁ"ちょっと厳しいのかなって」
2022-08-22 00-43-48-640

佐野「ただそんなことを全く思わせないぐらい 今の戦いぶりとしては」
2022-08-22 00-43-55-312

佐野「間違いなく選手の自信になっている」
2022-08-22 00-44-04-293

佐野「本当に楽しい毎日」
2022-08-22 00-44-11-279

佐野「朝起きて球場に来るまでもワクワクしながら」
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佐野「そういう雰囲気でチームメートみんなやっているので すごくいい状況なのかな」
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48: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:06.10
やっぱり石井かよ
50: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:10.54
やっぱ琢朗よ
53: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:14.60
優勝請負人石井琢朗
58: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:21.93
サンキュータクロー
67: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:32.69
やはり琢朗は神
68: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:34.74
やはり琢朗効果なのか
69: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:36.40
タクロー有能やなあ
71: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:41.31
タクロー名指導者すぎるだろ

行くとこ全部優勝させる勢い
73: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:51.00
やっぱ有能なんやな
78: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:55:01.48
有能コーチ
 
63: それでも動く名無し 2022/08/21(日) 21:54:29.37
やっぱ98年メンツの存在はでかいんかね
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