ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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新庄のファッションは大嫌いだし、自己顕示欲の強い人間性もさほど好きではないが、話題性を作る才能があるから、不人気球団の監督には向いているだろう。
(以下引用)
(以下引用)
新庄新監督「ビッグボスと呼んで」 監督オファーは“1秒で快諾” 新庄節さく裂の就任会見
4日 14時39分
日本ハム新庄剛志新監督(49)の就任会見が札幌市内で行われ、「プロ野球を変えるために帰ってきた」と語りました。新庄新監督は「ビシっと監督ぽい格好で」と、チェック柄の赤いスーツにシャツの胸元を開け登場。「優勝なんか目指しません」「これからは顔を変えずにチームを変えていきたい」と新庄節がさく裂した。
新庄監督:
今日は集まってもらいありがとうございます。1946年今から75年前、横沢監督第1代目時代、そこから21代目の栗山監督その次に22代目の監督として選ばれたことが嬉しくまた選手兼監督として契約を結んでもらいました。いや、すいません監督だけでした(笑)。今日はビシっと監督っぽい格好で来ました。これからは顔を変えずにチームを変えていきたいなと思います。
―今の心境は
新庄監督:
ただいま、帰ってきました。正直自分が一番びっくりしています。僕でいいのかなという思いの半面、僕しかいないなと。日本ハムも変えていきますし、僕がプロ野球を変えていきたいなという気持ちで帰ってきました。
―オファーはいつから?どう反応した?
新庄監督:
2年前、僕が48歳でトライアウトを受けるという発言をして、それで1年間海外のほうでトレーニングしました。トライアウト前に日本ハムの球団の方から「新庄さんお元気ですか。トライアウト頑張ってください。いつかまた会える日を楽しみにしてます」って来たんですよ、一通のメールが。「よしよし選手に戻れる」と。そのオファーだなと思い、トライアウト受けました。6日間という日にちしか待たないと。6日間来なかったらもう野球はやめると。で、5日経ち、6日経ち来ない。「あら?おかしいじゃないか」と。そこで選手は復帰できなかったんですけど、そこから必ず何かあると自分で勝手に信じて1年間12球団2軍の選手のプレーを一生懸命自分で勝手に勉強して、こういう姿を必ず誰かが見てくれているだろう、それを信じて10月12日になんと僕が描いていたこの監督の話をいただいて。自分がやってきたことは間違いじゃなかったんだという、本当にやってきてよかったなという気持ちでしたね。
―オファーの理由、期待してることなど、どのように伝えられたか
新庄監督:
優勝なんか一切目指しません。僕は。優勝、高い目標を持ちすぎると選手っていうものはうまくいかないと僕は思ってるんですよ。一日一日地味な練習を積み重ねてシーズンを迎えて、それで何気ない試合、何気ない一日を過ごして勝ちました、勝った、勝った、勝った、勝った、勝った。それで9月あたりに優勝争いをしたら、さあ優勝目指そう、そこの気合の入り方っていうものは違うと思うので、そういうチームにしていきたいなと。優勝なんかは目指しません。
―相談した人は
新庄監督:
いや相談は、僕はそういうタイプじゃないんで、僕の人生は相談する人なんかいません。相談する人は自分自身なんで、即行動に移しました。自分で決めます。1秒、1秒で「お願いします」。すぐですよ、当然でしょ。1年間それを目指してやってきたんですから。
―一番の決め手は
新庄監督:
いや、もう監督になりたい。やっぱりバリで生活してて、日本ハムの調子が上がってない3年間を見た時に、俺の出番だろうという気持ちで過ごしてましたね。
―新庄監督の中で監督というものはどういう存在か
新庄監督:
イメージ的にはかたい真面目な顔して腕組んでやってるようなイメージなんですけど、これからは僕が監督像というものを変えて行きます。
―今思い描いてることは
新庄監督:
これから1年目だしどういうふうになるかはわかんないんですけど、やっていくうちに僕がやることに対して、全国のみんなが僕の監督像っていうのを作ってくれると思うんで、それを期待したいですね。
―肩書きに“ビッグボス新庄”と書かれてたが、その意味は
新庄監督:
“監督”って皆さん言わないでください。ビッグボス!“ビッグボス”でお願いします。ビッグボスが好きなんですよ。新庄監督、とか僕いらないですね。監督ぽいじゃないですか、選手も(ビッグボスで)。
―“ビッグボス”とした理由
新庄監督:
インドネシアバリ島の方で、ビッグボスと呼ばれてたので、それで(笑)。僕の人生ってそんなもんなんですよ。その時その時で、“カン(勘)ピューター”で、こういうふうにしたいというものに突き進んでるだけなんで、小学校3年生がちょっと中学生になったくらいですかね。
―引退してからの野球との距離感は
新庄監督:
まったくないです。引退して野球を見ることがほとんどなかったです。だからある意味今のプロ野球、若い子が、「時代が時代が」ってなんか時代に逃げてる感じがするんですよね。ある意味いい意味でも悪い意味でも16年間向こうにいて、時代をわかっていないので新庄剛志らしくどんどんどんどん時代の怖さなんか関係なく突き進んでいけたらいいなと思ってます。
―トライアウトを受けた時、野球との距離が再接近したのはどのような心境の変化があったのか
新庄監督:
もちろん選手にもなりたかったんですけど、最終的な目標っていうのは僕ここ(監督)だったんですよね。野球が大好きで、やっぱり僕は野球が好きなんだな、まずはとりあえず話題性というか、本当に真剣に受けに行ったんですよ。最終的な目標はトライアウトで皆さんに注目をしてもらい、ファンを集め、この次の年に監督になれたら、そのファンたちが流れてきてくれたら、最高だなという気持ちでトライアウトは受けました。
―外から見て感じた現在のプロ野球の印象は
新庄監督:
そうきたか・・・印象はね、あんまりね、ないですね。コロナというそういう時代でファンがね、球場のほうに足を運べなかったのでちょっと暗かったような印象はありますね。でも僕が帰ってきたからにはコロナがなくなり、球場も満員になりますね、そういう運命なんで僕は。
―ビッグボスとしてファイターズのどこを変えたいか、どのような色を出すか
新庄監督:
まずは顔を変えていこうかなと・・・いいですか?やっぱり気持ちの面ですね。プロ野球っていう世界に入ってくる選手っていうのは、一緒なんですよ、レベルは。ほぼほぼ一緒。ただメンタル的な問題であって、メンタル的に伸ばせないコーチ、監督がいたと思うんですけど、僕はそのメンタル的なものに関してはすごく引き出す力が自分にあると思うんで、メンタル的なものを鍛えながら、あとはチームにピッチャー3人、野手4人のタレントを作り上げていけば、楽しいチームになるし、そういうタレントが生まれるっていうことは全国に名前も背番号も顔も名前も覚えてもらえるんで。その時には強くなってると思うんで、そういうチームを作っていきたいと思ってるし。
今年ドラフト、(終わりで)80人弱取ったんですよね?すいません、今年僕が監督になって、(日本ハムの選手)全員がドラフトでかかった選手と思ってるんで、レギュラーなんか一人も決まってません。新人、2年目、3年目の選手がキャンプでがっと伸びた時に、全部若い選手でかためるかもしれないし、開幕投手が誰とか全く決めてないし、今年入ったドラフト1位の子が開幕投手で投げてるかもしれないし、そういった争いをどんどんさせたいと思いますね。
―北海道の印象、楽しみにしてることは
新庄監督:
僕、ふるさといっぱいあるんですけど、その一つが北海道であって。住みやすいし寒いのは僕好きな方なので、あとおいしいものもたくさんあるし、これから家のほうを探していい家が見つかれば最高ですね。
―積極的なSNS発信は続けるか
新庄監督:
それは球団の方と話し合いをして、僕至らんことをよくあげるからそのへんちょっとルールを作ってもらって。本当はね、今の時代SNSっていうのはものすごく大事なものだと思うんですよ。だから、試合中にインスタライブとかさせてもらったら、最高かなって。ちょっとその辺はあの話し合いを、つめていくんで、また報告します。
―全国の皆さんにメッセージを
新庄監督:
暴れまっせ、ほんまに!楽しみにしといてください。新しい野球というものを作っていきますんで乞うご期待。あと最後に僕とあっちゃん稲葉君(稲葉篤紀GM)とタッグを組んでいくんですけど、僕たち1年目じゃないですか。この上で吉村浩前GMという人の力っていうのはものすごく大事になってくると思うし吉村GMがいてくれないと僕は嫌だし、吉村GMの推薦で僕はこの場にこの場所にいれるんで。これからはわからないことがあったら吉村GMに聞いて相談して、ケンカしながらあっちゃん稲葉GMと一緒にタッグを組んで球団もあとファンのみんなと一緒に楽しく厳しくやっていきたいなと思います。
―数年にわたり下位低迷してたが、サプライズな改革案はあるか
新庄監督:
これね、よその球団にね、パクられたくないから、言いたくないんだけど、まあ天井から降りたいなとは思うね。しかも俺だけじゃなく、選手も一緒にね。降りたいなっていうのはちょっとしたことなんだけど、伝えてもいいかなっていう。
―ビッグボスとしてのスローガンは
新庄監督:
夢はでっかく根は太く、土台をしっかり作って夢に向かって突き進んでいきたいなという今の僕のイメージですね、大丈夫かな。
―もう一度選手契約はあるか。「代打、俺がやるばい」はありますか?
新庄監督:
実は今年の一年、野球の勉強をしながら、身体は作ってきました。あと1回トライアウト受けるチャンスはあるんで、それは今ちょっと考えてます。そこ(トライアウトの球場)で監督の僕があの選手いいやんって。取ったろかなっていう考えはちょっと頭の中にあります。あとは球団と話し合います。今後も宜しくお願い致します。
■新庄剛志(しんじょう・つよし)新監督経歴
1972年1月28日生まれ、49歳。福岡県福岡市出身。西日本短大付属高校卒業。1989年のドラフトで阪神タイガースから5位指名を受けプロ入り。2001年からメジャーリーグに挑戦、ニューヨーク・メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツでプレー。2004年に日本ハムに復帰し2006年に現役引退。今回の監督就任で、16年振りに古巣のユニフォームに袖を通す。
新庄監督:
今日は集まってもらいありがとうございます。1946年今から75年前、横沢監督第1代目時代、そこから21代目の栗山監督その次に22代目の監督として選ばれたことが嬉しくまた選手兼監督として契約を結んでもらいました。いや、すいません監督だけでした(笑)。今日はビシっと監督っぽい格好で来ました。これからは顔を変えずにチームを変えていきたいなと思います。
―今の心境は
新庄監督:
ただいま、帰ってきました。正直自分が一番びっくりしています。僕でいいのかなという思いの半面、僕しかいないなと。日本ハムも変えていきますし、僕がプロ野球を変えていきたいなという気持ちで帰ってきました。
―オファーはいつから?どう反応した?
新庄監督:
2年前、僕が48歳でトライアウトを受けるという発言をして、それで1年間海外のほうでトレーニングしました。トライアウト前に日本ハムの球団の方から「新庄さんお元気ですか。トライアウト頑張ってください。いつかまた会える日を楽しみにしてます」って来たんですよ、一通のメールが。「よしよし選手に戻れる」と。そのオファーだなと思い、トライアウト受けました。6日間という日にちしか待たないと。6日間来なかったらもう野球はやめると。で、5日経ち、6日経ち来ない。「あら?おかしいじゃないか」と。そこで選手は復帰できなかったんですけど、そこから必ず何かあると自分で勝手に信じて1年間12球団2軍の選手のプレーを一生懸命自分で勝手に勉強して、こういう姿を必ず誰かが見てくれているだろう、それを信じて10月12日になんと僕が描いていたこの監督の話をいただいて。自分がやってきたことは間違いじゃなかったんだという、本当にやってきてよかったなという気持ちでしたね。
―オファーの理由、期待してることなど、どのように伝えられたか
新庄監督:
優勝なんか一切目指しません。僕は。優勝、高い目標を持ちすぎると選手っていうものはうまくいかないと僕は思ってるんですよ。一日一日地味な練習を積み重ねてシーズンを迎えて、それで何気ない試合、何気ない一日を過ごして勝ちました、勝った、勝った、勝った、勝った、勝った。それで9月あたりに優勝争いをしたら、さあ優勝目指そう、そこの気合の入り方っていうものは違うと思うので、そういうチームにしていきたいなと。優勝なんかは目指しません。
―相談した人は
新庄監督:
いや相談は、僕はそういうタイプじゃないんで、僕の人生は相談する人なんかいません。相談する人は自分自身なんで、即行動に移しました。自分で決めます。1秒、1秒で「お願いします」。すぐですよ、当然でしょ。1年間それを目指してやってきたんですから。
―一番の決め手は
新庄監督:
いや、もう監督になりたい。やっぱりバリで生活してて、日本ハムの調子が上がってない3年間を見た時に、俺の出番だろうという気持ちで過ごしてましたね。
―新庄監督の中で監督というものはどういう存在か
新庄監督:
イメージ的にはかたい真面目な顔して腕組んでやってるようなイメージなんですけど、これからは僕が監督像というものを変えて行きます。
―今思い描いてることは
新庄監督:
これから1年目だしどういうふうになるかはわかんないんですけど、やっていくうちに僕がやることに対して、全国のみんなが僕の監督像っていうのを作ってくれると思うんで、それを期待したいですね。
―肩書きに“ビッグボス新庄”と書かれてたが、その意味は
新庄監督:
“監督”って皆さん言わないでください。ビッグボス!“ビッグボス”でお願いします。ビッグボスが好きなんですよ。新庄監督、とか僕いらないですね。監督ぽいじゃないですか、選手も(ビッグボスで)。
―“ビッグボス”とした理由
新庄監督:
インドネシアバリ島の方で、ビッグボスと呼ばれてたので、それで(笑)。僕の人生ってそんなもんなんですよ。その時その時で、“カン(勘)ピューター”で、こういうふうにしたいというものに突き進んでるだけなんで、小学校3年生がちょっと中学生になったくらいですかね。
―引退してからの野球との距離感は
新庄監督:
まったくないです。引退して野球を見ることがほとんどなかったです。だからある意味今のプロ野球、若い子が、「時代が時代が」ってなんか時代に逃げてる感じがするんですよね。ある意味いい意味でも悪い意味でも16年間向こうにいて、時代をわかっていないので新庄剛志らしくどんどんどんどん時代の怖さなんか関係なく突き進んでいけたらいいなと思ってます。
―トライアウトを受けた時、野球との距離が再接近したのはどのような心境の変化があったのか
新庄監督:
もちろん選手にもなりたかったんですけど、最終的な目標っていうのは僕ここ(監督)だったんですよね。野球が大好きで、やっぱり僕は野球が好きなんだな、まずはとりあえず話題性というか、本当に真剣に受けに行ったんですよ。最終的な目標はトライアウトで皆さんに注目をしてもらい、ファンを集め、この次の年に監督になれたら、そのファンたちが流れてきてくれたら、最高だなという気持ちでトライアウトは受けました。
―外から見て感じた現在のプロ野球の印象は
新庄監督:
そうきたか・・・印象はね、あんまりね、ないですね。コロナというそういう時代でファンがね、球場のほうに足を運べなかったのでちょっと暗かったような印象はありますね。でも僕が帰ってきたからにはコロナがなくなり、球場も満員になりますね、そういう運命なんで僕は。
―ビッグボスとしてファイターズのどこを変えたいか、どのような色を出すか
新庄監督:
まずは顔を変えていこうかなと・・・いいですか?やっぱり気持ちの面ですね。プロ野球っていう世界に入ってくる選手っていうのは、一緒なんですよ、レベルは。ほぼほぼ一緒。ただメンタル的な問題であって、メンタル的に伸ばせないコーチ、監督がいたと思うんですけど、僕はそのメンタル的なものに関してはすごく引き出す力が自分にあると思うんで、メンタル的なものを鍛えながら、あとはチームにピッチャー3人、野手4人のタレントを作り上げていけば、楽しいチームになるし、そういうタレントが生まれるっていうことは全国に名前も背番号も顔も名前も覚えてもらえるんで。その時には強くなってると思うんで、そういうチームを作っていきたいと思ってるし。
今年ドラフト、(終わりで)80人弱取ったんですよね?すいません、今年僕が監督になって、(日本ハムの選手)全員がドラフトでかかった選手と思ってるんで、レギュラーなんか一人も決まってません。新人、2年目、3年目の選手がキャンプでがっと伸びた時に、全部若い選手でかためるかもしれないし、開幕投手が誰とか全く決めてないし、今年入ったドラフト1位の子が開幕投手で投げてるかもしれないし、そういった争いをどんどんさせたいと思いますね。
―北海道の印象、楽しみにしてることは
新庄監督:
僕、ふるさといっぱいあるんですけど、その一つが北海道であって。住みやすいし寒いのは僕好きな方なので、あとおいしいものもたくさんあるし、これから家のほうを探していい家が見つかれば最高ですね。
―積極的なSNS発信は続けるか
新庄監督:
それは球団の方と話し合いをして、僕至らんことをよくあげるからそのへんちょっとルールを作ってもらって。本当はね、今の時代SNSっていうのはものすごく大事なものだと思うんですよ。だから、試合中にインスタライブとかさせてもらったら、最高かなって。ちょっとその辺はあの話し合いを、つめていくんで、また報告します。
―全国の皆さんにメッセージを
新庄監督:
暴れまっせ、ほんまに!楽しみにしといてください。新しい野球というものを作っていきますんで乞うご期待。あと最後に僕とあっちゃん稲葉君(稲葉篤紀GM)とタッグを組んでいくんですけど、僕たち1年目じゃないですか。この上で吉村浩前GMという人の力っていうのはものすごく大事になってくると思うし吉村GMがいてくれないと僕は嫌だし、吉村GMの推薦で僕はこの場にこの場所にいれるんで。これからはわからないことがあったら吉村GMに聞いて相談して、ケンカしながらあっちゃん稲葉GMと一緒にタッグを組んで球団もあとファンのみんなと一緒に楽しく厳しくやっていきたいなと思います。
―数年にわたり下位低迷してたが、サプライズな改革案はあるか
新庄監督:
これね、よその球団にね、パクられたくないから、言いたくないんだけど、まあ天井から降りたいなとは思うね。しかも俺だけじゃなく、選手も一緒にね。降りたいなっていうのはちょっとしたことなんだけど、伝えてもいいかなっていう。
―ビッグボスとしてのスローガンは
新庄監督:
夢はでっかく根は太く、土台をしっかり作って夢に向かって突き進んでいきたいなという今の僕のイメージですね、大丈夫かな。
―もう一度選手契約はあるか。「代打、俺がやるばい」はありますか?
新庄監督:
実は今年の一年、野球の勉強をしながら、身体は作ってきました。あと1回トライアウト受けるチャンスはあるんで、それは今ちょっと考えてます。そこ(トライアウトの球場)で監督の僕があの選手いいやんって。取ったろかなっていう考えはちょっと頭の中にあります。あとは球団と話し合います。今後も宜しくお願い致します。
■新庄剛志(しんじょう・つよし)新監督経歴
1972年1月28日生まれ、49歳。福岡県福岡市出身。西日本短大付属高校卒業。1989年のドラフトで阪神タイガースから5位指名を受けプロ入り。2001年からメジャーリーグに挑戦、ニューヨーク・メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツでプレー。2004年に日本ハムに復帰し2006年に現役引退。今回の監督就任で、16年振りに古巣のユニフォームに袖を通す。
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