「姉」の美香が咳止めシロップを飲んで病院行きになったようだが、ブロンの一気飲みは麻薬に似た効果があることを中島らもの本で読んだことがある。
芸能人だのに、本物の麻薬や覚醒剤ではないところが貧乏くさいww
叶姉妹はなんで金持ちなんですか?本当の姉妹じゃないんでしょ?正体は??
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2人は設定上は異父姉妹だが、実際は姉妹でも異父姉妹でもない。まれに誤解されるが、叶姉妹は芸能ユニットであり、メディアでの行動や発言は、あくまで商業上の設定に基づく職務として行っているものである。
もともとは個別にそれなりに芸能活動をしていたが(後述)、注目を浴びるようになったのは雑誌『25ans』のスーパー読者として登場した事から。芸能活動自体が無名に近かった為、「素人・一般人」という設定が無理なく受け入れられた。写真集、ハウツー本、エッセイなどの書籍類も出版している。
キッズステーションで放送される小児向け教育番組『モンすたージオ』にCGキャラクター「スーパービューティー」として出演。「ココ」(恭子)と「ミカリン」(美香)
DHCのCMキャラクターとしても活動中。同社の会誌などにも美香が時折掲載される。
ユニット結成当初は「三人姉妹」であった。恭子と美香の間に次女 ・晴栄(はるゑ)がおり「叶三姉妹」として取りあげられていた。結婚を理由に脱退したが2000年に離婚。現在は2人のマネージャーをしている(晴栄は恭子の実の妹)
ゴージャスな衣服を身にまとい、豪遊しているが芸能活動以外の収入源が謎だということを宣伝することにより、「個人スポンサーが付いているのではないか」「海外セレブ相手の高級娼婦ではないか」という設定が、バブル崩壊後のデフレや質素倹約が叫ばれる世情の中で非常に目立ち、よく受け入れられた。「お金持ちの芸能人」という分かりやすいキャラクターを提示したことが、成功の秘訣だったと言われる。またそれに尾ひれがつき「セレブを1回相手するだけで200万円前後貰っている」「石油王がパトロンだ」など詳細な事が囁かれ始め、イメージダウンするどころか、今までに無い不思議さに一気にブレークした。余談であるが、本人達に「収入源は?」と聞く事は芸能界におけるタブー(野暮な事)となっている(と言うよりは執拗に問おうとする芸能人がいない)。
実際は、衣服や宝石などは、その企業が広告主となって宣伝のために提供している。これを叶姉妹が「自分で選んだ」という設定で宣伝している。彼女らが自称する「トータルビューティーアドバイザー」「トータルライフアドバイザー」を分かりやすく言い換えれば、巧妙な宣伝・広告のためのモデルである。
「殿方の」を「メンズ」と呼ぶ。その中でも特別に容姿端麗な男性の事を「グッド・ルッキング・ガイ」と呼んでいる。日本人が和製英語を使う中で、こういった英語表現も、雰囲気作りに一役かっており、記号化された叶姉妹らしさといえ、魅力のひとつと言える。
2人とも抜群のスタイルとゴージャスな装い、若干浮世離れした言動が特徴で、男性のみならずライフスタイル自体を崇拝する女性からも支持される。ただその人気の一方で極端なゴージャス指向を「気持ち悪い、海外セレブを真似ただけ」と受け止める人も少なくはない。また完璧すぎるスタイルは「豊胸サイボーグ」と言われる。2002年7月に青山で開催されたファッションブランド「プレイボーイ」のパーティーに参加。その際フローラン・ダバディーが「どんな姿勢になっても、動かない胸を持つ、叶姉妹。大和にもロボット(ここでは「人工的に作られた美しさを持つ女性」の意味)がいた。」と評している。常々、整形疑惑は絶えず、ネット上で過去と現在の写真を比較するサイトまである。
テレビ番組などに出演を始めた当初は「親が大変なお金持ちであるため、ゴージャス」という設定を使っていた。これはアメリカで注目されているヒルトン姉妹の日本版ということで叶姉妹を売りたかったためと思われるが、この設定を本気にした多数の人間が二人の実家におしかけ、寄付を求めたりセールスをしたりと大変な騒ぎになったため、この設定は封印された。実際の二人の両親は、普通の生活水準である。
テレビ番組に出演する事も多く、映画の試写会にはなぜかよく招待されていることが多い。テレビに出演するとき、夏でも冬でも常に露出度の高いノースリーブで出演している。
近年は“姉妹”である事を強調するが、テレビに出始めの頃は恭子が「姉妹でも異父姉妹でもありません、それっていけない事ですか?」と笑いを取っていた。
それまで“セレブ”という言葉に馴染みの無かった日本人に、セレブという言葉の意味を知らしめた人物である。但し「ただお金持ちの人」という日本特有の意味合いを知らしめただけで、本来のセレブの定義を定着させた訳では無く、強いて言えば誤解を生じさせた。また本人達はセレブと言われるが、本来の意味合いを知る人からすれば、疑わしい面があるのが事実である。