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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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佐藤勝と佐藤允はたぶん無関係だと思うwww 佐藤允は、あの顔だけで「和製リチャード・ウィドマーク」みたいな印象だが、どちらかと言えば、宍戸錠に近い「ユーモラスだが腕の立つ、魅力的な悪役キャラ」という役柄が似合っていたと思う。笑顔は悪役を演じた時のバート・ランカスター風に「ニカッ」と笑う。
で、佐藤勝と言えば、何と言っても「用心棒」の劇伴が最高で、ラストシーンの最高に盛り上がって、パッと断ち切る、その気合(漱石の「猫」に出てくる「ようぜんいっけつ」という言葉が最適だが、漢字を忘れたし、パソコンの漢字検索機能では出てこない。)とリズムの素晴らしさは、映画史上に残る劇伴だと思う。ここで劇伴と書いたのは、通常の「名作映画」などで使われるような、「映画と切り離して演奏できる」類の曲(テーマ曲)ではなく、まさに映画の内容と一体化し、映画を盛り上げるための音楽である。
最近の映画で、こうした劇伴の名人には誰がいるのか、私はまったく知らない。






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私はシルベスター・スタローンの顔が嫌いなので、彼の出た映画はほとんど見ていない。見ても、最後まで見た作品は無いのではないか。しかし、映画作りのアイデアとして、「ロッキー」は良いアイデアだったとは思う。ただし、完全な無から作ったのではなく、モハメッド・アリが、無名の白人中年ボクサーを試合相手に選び、それをそのボクサーが受けて立ち、実に素晴らしい試合になったという事実が元になっている。ただ、試合に至るまでに無名ボクサーの日常や恋を描いていく、というのが私にはあまり好きになれない「ハリウッド的」映画作法(さほう、ではなく、さくほう)で、それなら、「あしたのジョー」のように恋話はあくまでさらりと描き、それを切り捨てて試合へ向かう主人公の気持ちの高まりを描いて行くほうがむしろドラマチックだよな、と思う。「ロッキー」を見るくらいなら、モハメッド・アリの試合を見たほうがいいと思うわけである。なお、ボクシング映画自体が嫌いなのではない。ポール・ニューマンの「傷だらけの栄光」や、カーク・ダグラスの「チャンピオン」は好きな映画である。
それはともかく、或る映画の面白さが分からない、という相手に、その映画のどこがどう面白いのか、説明できるものだろうか。映画に限った話ではない。面白さ、というものには普遍性があるわけではなく、ほとんどが鑑賞する側の主観の域を出ないと思うのだが。




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子供から「ロッキーの1がいまいち何が面白いのかわからない」と言う最高の質問されて、それに答えている時間が人生で1番楽しい瞬間のような気がする(笑)






町山智弘の社会的発言には賛同することが多いが、「映画評論家」としての姿勢は、御自分の言葉と逆に、「葉を虫眼鏡で覗いている」感じを彼のツィッターからは受ける。彼の映画評論自体は、動画で幾つか見たが、だいたいそんな感じ。つまり、映画的教養とか、映画のデティールへの拘りが強すぎて「木全体が見えない」印象があるわけだ。たとえば映画製作者の中のホモ的な視線やホモ的なつながり(昔なら、単なる仕事仲間の友情である)への異常な言及。黒澤映画にまでそういう見方を持ち込むのが鬱陶しい。
ただ、映画史的には無視されがちな名画をも拾い上げる姿勢はとてもいいと思う。

(以下引用)





映画や音楽は「表現」です。暗号やクイズではありません。葉を虫眼鏡で覗いてばかりだと木全体の形を見失います。レコードを逆回転で聴いて秘密のメッセージを探す前に、まず曲そのものを聴こうよと言ってるだけです。








DVDで出ているなら、ぜひご覧になったほうがいい。
三船敏郎が一番作りたかったのは「西遊記」だったと言う。「七人の侍」の菊千代の動きは、孫悟空のイメージがある。
この「大盗賊」は三船敏郎がプロデュースもした作品だったと思うが、まさに三船の童心が溢れていて、楽しい。子供のころに見た映画の中では、洋画の「魔法の剣」と並んで、面白さが抜群だった。まさしく、子供はこういうのが見たいのだよ。
宮崎駿の作品群は大人も子供も楽しめるのだが、大人の共感を得るために、やはり子供には難しい内容を籠めているところもあって、実は子供は完全には理解できないと思う。子供はもっと単純な面白さを好むものだろう。宮崎駿以外でも、たとえば、庵野秀明の「シン・ゴジラ」は大人が見て面白いものであって、あの中の政治部分は大人のためのものであり、製作者が子供を放りだしていると思う。

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DVDで東宝「大盗賊」見てるが、よくもまぁこんな和製アラビアンナイト活劇を作る気になってくれたもの。三船敏郎扮する呂宋助左衛門はまるでシンドバッドだ。日本人が日本語で堂々と異国人を演じる面白さ。江戸市井人情ものよりこっちが好きなのは、12歳のときも今も変わらないのだからしょうがない


メガヌロンとは、たぶん、映画「ラドン」で、ラドンが登場する少し前に、その予兆みたいに出現する小怪獣で、体長5メートルから10メートルくらいのヤゴみたいな奴である。確か、ラドンがそれを捕食するのではなかったか。誰かが書いていたが、人間を捕食するメガヌロンをさらにラドンが捕食する、ということでラドンの大きさが現実的な感覚で捉えられて恐怖が体感的になるわけだ。
「ラドン」は、ラドン登場までが最高で、その後の印象は薄い。
「モスラ」も同じである。小美人(ザ・ピーナッツ)が歌を捧げることで、モスラの神話性が観客に伝わる。おそらく、モスラが一部で人気が高いのは、その作劇術の巧妙さにあると思う。
なお、小美人は、ドラクエ3のラーミア登場の時にも換骨奪胎されて使われている。明らかに、あの双子が声を揃えて語る場面は「モスラ」を意識して作っていると思う。






  1. いろいろな怪獣がいて、それぞれに思い入れがあるが、俺にとって一番怖い怪獣は「メガヌロン」一択である。他の怪獣は町を破壊するついでに死を振りまくが、あいつは建物を壊さず縁側からあがりこんでくるんだよ、俺を喰いに。



  2. みんなモスラ好きだなー。いや本放送の時にも言った気がするけど「釣られた蛾やんけ」としか思えないんだけどな。
    幼虫は好きなんだが。釣られたイモムシだけど(笑)



いいキャスティングだと思う。岸田森のレクター博士がぴったりなのは言うまでもないが、山口百恵の「被害者役が抜群に似合う」薄幸そうな顔が、クラリス刑事(と言ったか)にぴったりだろう。実際には三人娘の中でもわりと幸せな後半生を生きたと思うのだが。
あるいは、逆に、ガッキーのようなラブコメが似合う女優にクラリス役をさせるとエロいかもしれない。
今にして思えば、岸田森とか成田三樹夫(字はこうか?)のような「特殊な役が似合う俳優」は貴重な存在であり、そういう俳優がいないのが今の映画界のつまらなさのひとつの原因かもしれない。






山口百恵主演で「羊たちの沈黙」みたいな映画、見たかったな。
獄中の人喰い博士が岸田森で。








一部では旭日旗騒動もある「実写版ダンボ」ポスターだが、そんなことより、起用された俳優たちがなかなかの大物(と言っても、少し前の大物だが)であるのが目を引く。
コリン・ファレル、マイケル・キートン、ダニー・デビートがそれだ。
その3人と同格扱いにされているエバ・グリーンは知らないが、若手女優(だろうと思うが)は、駆けだしでも主演俳優クラスと同格扱いされるのが映画界というものだ。
まあ、どうせ、アニメなどには無い、人間男女の恋模様を強引に入れるだろう、というのは予測できる。それがアメリカ映画界の病弊、宿痾である。米国民が子供のころから色キチガイに育つわけである。


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きたろうという俳優は特に好きでも嫌いでもないが、その独特な風貌には「存在価値」があると思っている。優れた監督は、俳優の風貌の大切さを知っている。ダメな監督は、役者の風貌に合わない役をさせて作品をダメにする。なお、黒澤明が軽演劇(大衆演劇)の役者を自分の映画によく起用したのも、彼らの風貌の持つ力を良く知っていたからだろう。それが高じて「トラ、トラ、トラ」では、完全な素人を重要な役(山本五十六役とか)に起用したりしたわけだ。なお、「影武者」でも徳川家康役に素人を使っている。
近年のハリウッド映画に魅力が無いのは、特に脇役に面白い風貌の俳優が使われなくなったせいもある。また、面白い風貌の俳優を活かす脚本や演出になっていない。





-デビュー当時から個性を確立していた気がします


きたろう ライブはやっていたけど、そんなに仕事があったわけじゃない。不安はありました。18年目くらいの頃、伊丹(十三=監督、97年没)さんの作品に出してもらった辺り(88年「マルサの女」)に転機があったのかもしれない。伊丹さんから「きたろう、お前の背中には哀愁がある」って言われて。単なる猫背なんだけど(笑い)。僕は役者やっていていいのかなって思えたんですね。ちょうどそのころバラエティー番組でご一緒した鈴木清順監督(17年没)から、「あなたは黙って口を開けていれば、仕事はどんどん入ってくる」って言われた。あくせくしなくていいんだってあの時思えたんですね。役者は待つのが仕事で、本当は待つの大嫌いなんだけど(笑い)。

日本映画は、黒澤小津の時代が黄金期であるのは言うまでもないが、外国人の「羅生門」に対する評価の高さはいつも驚く。ベネチア映画祭だけの特別な評価だったというわけではなさそうだ。面白さという点では、黒澤映画の中でも中位から下位だと私は思う。
ここで評価されているのは、「文芸映画」が多く、娯楽映画は少ないが、その中で第一位が黒澤の「七人の侍」であるのが面白い。後世の映画に与えた影響と、「映画的文法」のお手本として外国の映画人が必見としている映画だからだろう。外国人は字幕で見ているのも大きいか。録音のひどさは、日本人にはほとんど聞き取れないほどだと思う。
フェリーニでも「道」ではなく、「8 1/2」を選んでいるあたりが映画通を気取るスノッブらしい選択だ。もちろん、「8 1/2」は素晴らしい映画であるが、感動性や人間の深さを描いた作品としては「道」に数段劣ると思う。まあ、映画技法として、現実と幻想が交錯する手法が知識人好みだろうと想像はできる。



英BBC「史上最高の外国語映画100本」、第1位は「七人の侍」、中華圏からは12作品―台湾メディア

配信日時:2018年10月31日(水) 22時0分
英BBC「史上最高の外国語映画100本」、第1位は「七人の侍」
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30日、英BBCが「史上最高の外国語映画100本(The 100 Greatest Foreign-language Films)」を発表。中華圏から12作品が選ばれた。
2018年10月30日、英BBCが「史上最高の外国語映画100本(The 100 Greatest Foreign-language Films)」を発表。中華圏から12作品が選ばれた。中央社が伝えた。

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2015年に「史上最高のアメリカ映画100本」を発表している英BBCが30日、優れた非英語作品を選ぶ「史上最高の外国語映画100本」ランキングを発表した。これは世界43カ国・地域の映画評論家209人へのアンケートを実施し、その結果をまとめたもの。67人の映画監督が手掛けた、24カ国・地域からの19言語の作品が登場している。

1位に選ばれたのは日本映画で、黒澤明監督の「七人の侍」だった。日本映画はトップ10に3作品が登場し、同じ黒澤監督の「羅生門」が4位、小津安二郎監督の「東京物語」が3位となった。

中華圏からは、9位に登場したウォン・カーウァイ(王家衛)の「花様年華」が最高位につけた。ウォン監督作品は「恋する惑星」が56位、「ブエノスアイレス」が71位と計3作品が選ばれている。

中国からはチェン・カイコー(陳凱歌)監督の「さらば、わが愛/覇王別姫」が12位に登場。チャン・イーモウ(張芸謀)監督の「活きる」が41位、「紅夢」が93位に選ばれている。

このほか、台湾からホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の「悲情城市」が18位、エドワード・ヤン(楊徳昌)監督の「ヤンヤン 夏の想い出」が25位、「クー嶺街少年殺人事件」38位に。アン・リー(李安)監督の「恋人たちの食卓」が54位、「グリーン・デスティニー」が78位に選ばれている。(翻訳・編集/Mathilda




いや、男はダークナイトが大好き、と一括りにされても困るわけで、それは、杉田水脈は女だから女性有権者はみんな彼女に投票すべき、みたいな話であるwww
私は、たぶんだが、ダークナイトは2度見ている。たぶんと言うのは、一度目は映画館で見たが、待ち合わせ時間の合間に見るつもりが、長くて間に合いそうにないので途中で映画館を出た(途中で出て惜しいと思うほどの映画とも思わなかった)のと、二度目はあまりにネットなどでの評判がいいので、確認のためにネットテレビで見たのだが、最後のあたりをまったく覚えていないのである。何やら、正義の検事が何やら絶望して悪の味方になるが、その男の悪事をバットマンが隠して、自分は悪役になり、その検事を正義のヒーローの象徴にする、という話だったような気がする。
で、見ていて、少しも面白くなかったのだが、面白いと思った人たちは、どこが面白かったのだろうか。このレベルのアクション映画、ヒーロー映画は2年に一度くらいは大ヒット作が出るもので、映画としてのレベルで言えば、たとえばずいぶん昔の「大脱走」とか「ナバロンの要塞」と比べても、かなり落ちる作品だ、としか私には思えないのである。なお、町山氏が神格化している「ロッキー」も未見である。



(追記)今見つけたツィートだが、一部分だけ見ても面白い(あるいは興味深い)のが本当に面白い(すぐれた)映画、というのはいいところを突いていると思う。つまり、それだけ、細部に手を抜いていない、ということだ。分かりやすい例で言えば、「バック・ツー・ザ・フューチャー」は若い人でもそのエンタメとしての完璧さは賛同されるだろう。昔の映画はそういう秀作の「打率」が高かった。それだけ映画界に人材が集まっていたということだ。だが、最近の洋画も邦画も、「当たり」は1年に1本あるか無いかで、見て損したというのが大半だ。評判のいい作品も、昔から映画を見てきた人間にはさほど感心するものではないことが多い。


  1. 映画「大脱走」は一部分だけ観ても面白いなー。面白いってコレだよなー(*´д`*)






(以下「町山智弘ツィッター」にリツィートされた画像)


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