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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「日の当たらない邦画劇場」から転載。
最近の映画プロデューサーは馬鹿ばかりだから、ヒットする映画を作ることができない。それは監督や脚本家のせいでもあるが、まず漫画などを原作にするのが間違っている。というのは、映画にしようというほどの漫画は、それ自体が傑作なのであって、それをどうやっても原作の漫画を超えることはできないのである。(あ、「寄生獣」は実写特撮映画で成功する可能性はある。)
過去の名作映画をリメイクするのはそれ以上に愚かであって、世界がひっくり返っても過去の名作を超えることはありえないのである。まあ、稲垣浩の「無法松の一生」のように、同じ監督が、何かの理由で自分の作品をリメイクするのは別である。
で、「日の当たらない邦画劇場」は、現在の馬鹿な映画プロデューサーに教えるには惜しいが、これからヒットする映画を作りたい、と思っている人には貴重な情報の宝庫であると言っていい。過去の無数の邦画について書かれた記事を読んでいけば、「あ、この作品は、今作ればヒットする」というのが見えてくるのである。
たとえば「鴛鴦歌合戦」などもその一つで一部ではカルト的人気のある作品だが、このような「時代劇ミュージカル」は、うまく作れば、「映画を見る幸福感」を与えるという、まさしく今の映画に欠けている要素を持ったヒット作品になる可能性がある。ただし、チャン・ツィイーとオダギリ・ジョーの「歌う狸御殿」は失敗したが、あれはAKBと嵐あたりで作りなおせば、大成功作になる可能性が大いにある作品だ。監督のセンスの良さと悪さが半々に出て、トータル的には失敗した作品である。それに、日本ではチャン・ツィイーのファンはそれほどの数はいないのだから、「アイドル映画」のヒロインに使うべきではなかった。
あるいは「網走番外地」などは、シリーズ物のテレビドラマとして面白そうだし、いろいろと使える作品は多い。
一つだけ例として引用しよう。
言うまでもなく、この映画はエドモン・ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」の翻案だが、映画的感動、細部の面白さという点で、「シラノ」は古今有数の作品である。もとは舞台劇だが、映画向きの筋だ。
で、下に書かれた内容紹介だけでも、これが映画的に成功する可能性が高いことは分かるだろう。
今なら、シラノは役所広司あたりか。だが、役所は「剣豪」とか「豪傑」の雰囲気が無いから、たとえば西田敏行のような喜劇系統の俳優のほうがいいかもしれない。
監督は中島哲也あたりか。とにかく、今の日本では「楽しい映画」を撮れる監督が払底しているのである。
とりあえず、「オリジナル」を紹介しておくことにする。
結論を言っておく。リメイクをするなら、過去の「ヒットしなかった作品」に目を向けることである。「早過ぎた傑作・良作」が、今ならぴったりということがあるわけだ。また、過去のチャチな映画技術による不成功は、今ならCGなどで簡単に乗り越えることができる。


(以下引用)

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或る剣豪の生涯


■公開:1959年
■制作:東宝
■監督:稲垣浩
■助監:
■脚本:稲垣浩
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:三船敏郎
■寸評:ナイーブな三船敏郎


 石田三成の配下、十人槍・田島義文上田吉二郎瀬良明中丸忠雄他、中でも随一の暴れもの、兵八郎・三船敏郎は鼻が大きい事を気にして、幼馴染みの公家・織田政雄の千代姫・司葉子にも想いを打ち明けられない純情男。彼は武芸はもちろんだが、文芸にも秀でており、近所の子供を集めて私塾を開く心優しい人物でもあった。

 出雲の阿国・三好栄子の舞台に乱入した兵八郎は、徳川家康の家臣・河津清三郎に求愛されて困っている千代姫を結果的に救ってやったので、後日、彼が住む貧乏長屋を訪問した彼女にドギマギするのだが、実は千代姫にはすでに慕っている人がいた。

 十人槍の新入り、十郎太・宝田明は容姿端麗(タッパあり)だったが口下手。兵八郎は、この十郎太を紹介して欲しいと千代姫に頼まれる。芸術を愛好する公家の姫との仲立ちを、生意気だがまっすぐな性格の十郎太からも懇願された兵八郎は、自分の思いをグッと胸にしまって恋文の代筆を引き受ける。

 やがて関ヶ原の合戦となり石田三成の軍は敗走する。十人槍は最後まで勇敢に戦ったが、仲間の一人・平田昭彦(様)の裏切りにより徳川軍の待ち伏せにあい全滅する。なんとか生き延びた兵八郎は負傷した十郎太だけはなんとか千代姫のもとへ帰そうと必死にかばって奮戦する。

 しかし、兵八郎の千代姫に対する思いに気付いた十郎太は今までの兵八郎の行為に感謝しながら、彼の足手まといにならぬようにと急流に身を投げてしまう。

 十年後。関ヶ原の残党狩りは今だに続いていた。居酒屋のおやじ・藤原釜足の気づかいで追っ手を逃れていた兵八郎は、十郎太の命日になると、尼となった千代姫の元へ通い、世情の様子を面白おかしく話してやり束の間の逢瀬を楽しんでいた。

 徳川の密偵となっていた平田昭彦(様)の密告によりあやうく捕まりそうになった兵八郎は、頭に重傷を負ったが、なんとか千代姫のいる寺にたどり着く。千代姫が形見として肌身離さず持っていた十郎太の恋文を誦じる兵八郎の姿を見た千代姫はすべての事情を察し、兵八郎の優しさと品格に感動する。意識朦朧となった兵八郎は千代姫に看取られて死んでいった。

 なーぜかあんまり人気無いんだよね、本作品は。稲垣監督に期待されているモノが表現されていないっつう事なのかしら?派手なチャンバラがないとか、三船が豪快じゃないとか、合戦シーンが使い回しだとか(それはともかく)。

 ところがね、この「らしくない」ってのが意外と面白かったりするのよね。

 下品で軽い(役どころが多い)宝田明が女にオクテで口下手で、武骨で寡黙な(役どころが多い)三船がスラスラと乙女心をゲットする台詞をスラスラと吐くというのがミスマッチ。

 阿国の三好栄子の事を「ブサイク!」と罵倒する(イヤ、実際、そのとおりなんだが)三船は「シラノ・ド・ベルジュラック」のように小鼻が異様にデカい野蛮人顔。彫りの深い三船が目の玉をひんむいたり、表情をクルクルと変えて作り出す珍妙な顔は、元の整った顔とのギャップが大きいもんだからストレートに笑える。

 二枚目が演じるブサイク、ここんところがよろしいね。逆は悲惨だけど。そういうのは「演技派」とか「個性派」とか「性格俳優」とか呼ばれるわけだ。そんなの、嬉しいのか?呼ばれた本人は。

 デリカシーのなさそうな兵八郎のところへ通ってくる狂女・淡路恵子はちょっとタカビーな司葉子に対して、観客の憐れを誘い印象に強く残るもうけ役。貧乏な子供や狂女、それに市井のオヤジ夫婦だけが結局は兵八郎の理解者だったわけだ。

 三船さんとタメ口とはいい度胸だな、オマエ全然チョンマゲ似合わねーじゃん!など三船ファンの怒りを一身に背負った(そんなたいそうな、、)宝田明も十八番のナイーヴな優男ぶりからは予想外の身投げをして名誉挽回。

 地味で真面目で心根が奇麗な人が最後に幸せになる話というのは、普遍的な感動を観客に与えてくれる。 三船敏郎のアクションはもちろん、お茶目と、優しさと、繊細さを一気に楽しめる本作品は、三船敏郎の隠し球。

1999年07月26日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■



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