ゴーン日産社長の年間報酬が10億円を突破するそうだ。10億円と言われても、筆者のような貧乏人には実感がわかない。当のゴーン氏によれば、別に取り分けて高い金額ではなく、世界の相場からすればリーズナブルな金額なのだそうだ。
しかし、10億円と言えば、日本の大多数の中堅企業にとっては、会社の命運を左右するような金額だ。10億円の黒字を出すことは、殆どの企業にとっては、血のにじむような努力を前提にしているはずだ。
ゴーン氏は、いったんはつぶれかかった日産自動車を立て直すために、ルノーから送り込まれた切札だった。その日産を短期間で再生させ、今では国際的な競争力も備えるまでに回復した。だから、その経営能力の対価として、これくらいの報酬を受け取るのは当たり前だ、そういう感覚が伝わってくる。
だが、日産の回復過程をよく調べれば、ゴーン氏は別に特別な能力を発揮したわけではないし、日本経済にとって多大な貢献をしたわけでも無い。
ゴーン氏がやったことは、ひとつは従業員の犠牲の上で人件費を浮かせたこと、もうひとつは下請け企業や取引企業に対して納入価格の切り下げや借金の棒引きをせまったことだ。つまり近隣窮乏化政策だ。
近隣窮乏化政策とは、窮地に陥ったものが、苦し紛れに良くやることで、要するに他人の犠牲にうえに、自分だけいい思いをするという、あまりフェアとは言えないやり方だ。
ゴーン氏にも、ひとつだけとりえがあったとしたら、それは、こうした近隣窮乏化政策が、当座のやりくりには効果があることがわかっていても、日本人なら義理にほだされて、とてもできないことを、あっさりとやってのけられたことだ。
こういうのを、由緒正しい日本語では、つけ回しと言う。ゴーン氏のやったことは、自分のツケを他人に付け回すことで、借金苦から逃れ出たということに過ぎない。
しかし、ゴーン氏のおかげで日産が立ち直ったことは確かだ。そのことをとらえて、ゴーン氏を賛美する向きもある。
しかし、それは間違っているのではないか。たしかにゴーン氏は、日産という一企業を立て直したかもしれないが、その陰には、日産に踏み倒されて苦汁を飲まされたものがいたことを忘れてはならない。その苦汁から生まれた余剰を独り占めにしている、日本的な感覚ではそう映る、いい悪いは別にして。
ともあれ、一企業について、プラスでありえたことも、国全体としてみればマイナスになることもある、つまり合成の誤謬が働くこともある。日産という一企業が立ち直ったからと言って、それが日本の自動車産業全体、ひいては日本経済全体にどれほどのインパクトをもたらしたか、もうすこし巨視的に見る必要がある。