ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「日経ビジネス」記事から抜粋転載。
一見傲慢な発言に見えるが、むしろプロの誇り、と見るべきだろう。そもそも、まだ存在しないもの(これから作り出そうとするもの)について、大衆がイメージを抱きようも無い。つまり、マーケティングは、「現在についての不満」を探り出すことは可能だが、「これから生まれるもの」についての参考にはなりえない、と見るべきだろう。そもそも大衆自身が、自分自身について分かっていない、と考えるべきだ。つまり、岸田秀流に言えば、セルフイメージはほとんど幻想であるのだから、大衆のセルフイメージも幻想であると見るべきではないか。ならば、そのセルフイメージの聞き取りであるマーケティングは、あてにならない、ということである。
(以下引用)
一見傲慢な発言に見えるが、むしろプロの誇り、と見るべきだろう。そもそも、まだ存在しないもの(これから作り出そうとするもの)について、大衆がイメージを抱きようも無い。つまり、マーケティングは、「現在についての不満」を探り出すことは可能だが、「これから生まれるもの」についての参考にはなりえない、と見るべきだろう。そもそも大衆自身が、自分自身について分かっていない、と考えるべきだ。つまり、岸田秀流に言えば、セルフイメージはほとんど幻想であるのだから、大衆のセルフイメージも幻想であると見るべきではないか。ならば、そのセルフイメージの聞き取りであるマーケティングは、あてにならない、ということである。
(以下引用)
既存の需要を見ているだけではイノベーションは起こせない。昭和30年代から日本でも導入されるようになったマーケティングリサーチについても、宗一郎は懐疑的だった。
「なぜ物をつくる専門家が、シロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とはいえない。(略)大衆の意表に出ることが、発明、創意、ニューデザインだ」(『本田宗一郎からの手紙』より)
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