ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「たんぽぽ日記」より転載。
石原慎太郎という人間の筋金入りの冷酷さには、昔から違和感を覚えていたが、その由来は、彼の家にあるようだ。つまり、彼は日本のユダヤ人とも言うべき家に育った人間なのである。金と権力こそが彼の生き方のバックボーンなのだから、あれほどに冷酷でも当たり前なのだろう。
タイトルの「ユダヤ人」は、もちろん「金持ちユダヤ人」のことである。
(以下引用)
金持ちのユダヤ人たちの強欲のために、つつましく暮らしているユダヤ人たちまで巻き添えを喰った。
ヒトラーによるホロコーストの時とよく似た状況だ。
実際にその金持ちユダヤ人たちが、宮廷ユダヤ人として政治・経済・貿易・医療まで動かしていたのだから。
けれどキリスト教徒として再征服を推し進めるフェルナンドは、ユダヤ庶民には救いの手を差し伸べなかった。
王の動産と呼ばれた廷ユダヤ人と違い、利用価値がなかったためであろう。
人間の命は金や才能によって救われることもあるのだ。
それを持たない我ら庶民は、戦争の中で打ち捨てられてゆく。
第二次世界大戦中、日本でも同じことが起きている。
一部の商社や、軍人たちは戦争を利用して、国家の財産を吸収していた。
私は小樽市で、市役所に勤めていたという人と知り合いになった。
その身の上話に、非常に興味深い話があった。
Sさんは12歳で本州から小樽市に出てきた。
当時の小樽は物資の運搬や、兵隊を送り出す拠点となっていて、経済の動きが活発だった。
(現在の観光だけになってしまった小樽とは比較にならない。北海道における銀行や郵便局の拠点も、札幌ではなく小樽にあった)
そんな小樽に仕事を探しにきたSさんは、
船で貨物を運ぶ仕事に就いた(年齢は詐称していたらしい)。
そのSさんが乗った日本の商社が雇った貨物船は、武器や弾薬などを運んでいたのだが、
なんとその運んだ弾薬を、
沖合いで敵対する外国船に積み替えていたという。
―これで外国の部隊は、遠い自国からはるばる運ばなくとも、敵国に居ながらにして武器や弾薬を手に入れることができるわけだ。
戦争を行うものどもは、世界的なネットワークで協力している。それはブラザーシップと呼ばれていて、政府、軍隊、大企業の上層部を形成している―
残念なことに、Sさんがいた会社がどの商社であるか聞き出すことはできなかった。
ただ、これはまったくの憶測だから、その会社であると断言することはできないが、
私にはたったひとつだけ思い当たる会社がある。
それが「山下汽船」である。
かの石原裕次郎、石原都知事の父親、石原潔氏が勤めていた会社である。
潔氏は山下汽船に丁稚奉公から入り、後に役員まで上り詰めた。
ご存知のように、小樽には裕次郎記念館がある。
それは石原一家が小樽にかつて住んでいたためである。
潔氏は小樽で、おもに樺太から運ぶ紙の原料となる木材の切り出し作業の監督などにあたっていたという話が伝わっている。
―政府は、樺太から切り出した木材を、王子製紙などに無償で与えていた。なぜなら国民に対するプロパガンダを流し続けるためには、新聞の材料となる木材はなくてはならないものだから―
その木材を運ぶために、小樽から請負の低賃金で雇われた男たちが樺太に向かった。
彼らは木材の下敷きになるなど、劣悪な労働条件の中で働き、小樽に帰ってくると安宿に泊りながら、
当時、小樽に存在していた遊郭で女郎を買った。
私の祖父の家も、そうした遊郭の近くにあった。そして裕次郎の家も、祖父の家からそう遠くないところにあったのだ。
しかし山下汽船は、実際には軍事物資を取り扱っていた。武器弾薬の輸送も手掛けていたのである。
石原潔は国民の多くが貧しい暮らしを送る中、
小樽の高級料亭「海洋亭」に通いつめ、連日どんちゃん騒ぎを繰り返していたと言う。
そして日中は名門コースと言われ、現在もサン・クロレラクラシックが開催されている、「小樽カントリークラブ」でゴルフを楽しんでいた。
当時、芋ばかりたべていたと言う、私の両親たちなどからは想像もできない贅沢な暮らしを送っていた。
はたしてそのような贅沢は、ただ木材の輸送だけによってもたらされたものなのであろうか。
高級料亭で酔いつぶれ、朝帰りも珍しくなかったという石原潔の生き様に私は、
金は持ってはいるが、
心の苦しみを払うために、稼いだ金、そして会社の接待費をすべてつぎ込んんでゆく、悲しい人間の性を垣間見た気がする。
彼の豪遊には、特別の事情があったのではないだろうか。
戦争が終わると、その役割を終えたかのように山下汽船は消えていったが、
三大船成金と言われた山下財閥は、第一次世界大戦を始めとする戦争によって莫大な利益を上げていた。
いずれにしても、生き証人が残っていない現在では、口に出せないことは「墓場まで持ってゆく」という、ユダヤ人に似た、ある種、世界共通の海の男たちの世界が実在する。
死の商人の哲学は、敵味方に関係なく武器を売ることだ。
そこには人間の血が通ってはいけない、善悪を超えた「死と再生」のドラマ、
すなわち歴史で言う神話、
秘密のブラザーシップによって刻まれた、
一般人にはしられていない歴史が隠されている。
石原慎太郎という人間の筋金入りの冷酷さには、昔から違和感を覚えていたが、その由来は、彼の家にあるようだ。つまり、彼は日本のユダヤ人とも言うべき家に育った人間なのである。金と権力こそが彼の生き方のバックボーンなのだから、あれほどに冷酷でも当たり前なのだろう。
タイトルの「ユダヤ人」は、もちろん「金持ちユダヤ人」のことである。
(以下引用)
金持ちのユダヤ人たちの強欲のために、つつましく暮らしているユダヤ人たちまで巻き添えを喰った。
ヒトラーによるホロコーストの時とよく似た状況だ。
実際にその金持ちユダヤ人たちが、宮廷ユダヤ人として政治・経済・貿易・医療まで動かしていたのだから。
けれどキリスト教徒として再征服を推し進めるフェルナンドは、ユダヤ庶民には救いの手を差し伸べなかった。
王の動産と呼ばれた廷ユダヤ人と違い、利用価値がなかったためであろう。
人間の命は金や才能によって救われることもあるのだ。
それを持たない我ら庶民は、戦争の中で打ち捨てられてゆく。
第二次世界大戦中、日本でも同じことが起きている。
一部の商社や、軍人たちは戦争を利用して、国家の財産を吸収していた。
私は小樽市で、市役所に勤めていたという人と知り合いになった。
その身の上話に、非常に興味深い話があった。
Sさんは12歳で本州から小樽市に出てきた。
当時の小樽は物資の運搬や、兵隊を送り出す拠点となっていて、経済の動きが活発だった。
(現在の観光だけになってしまった小樽とは比較にならない。北海道における銀行や郵便局の拠点も、札幌ではなく小樽にあった)
そんな小樽に仕事を探しにきたSさんは、
船で貨物を運ぶ仕事に就いた(年齢は詐称していたらしい)。
そのSさんが乗った日本の商社が雇った貨物船は、武器や弾薬などを運んでいたのだが、
なんとその運んだ弾薬を、
沖合いで敵対する外国船に積み替えていたという。
―これで外国の部隊は、遠い自国からはるばる運ばなくとも、敵国に居ながらにして武器や弾薬を手に入れることができるわけだ。
戦争を行うものどもは、世界的なネットワークで協力している。それはブラザーシップと呼ばれていて、政府、軍隊、大企業の上層部を形成している―
残念なことに、Sさんがいた会社がどの商社であるか聞き出すことはできなかった。
ただ、これはまったくの憶測だから、その会社であると断言することはできないが、
私にはたったひとつだけ思い当たる会社がある。
それが「山下汽船」である。
かの石原裕次郎、石原都知事の父親、石原潔氏が勤めていた会社である。
潔氏は山下汽船に丁稚奉公から入り、後に役員まで上り詰めた。
ご存知のように、小樽には裕次郎記念館がある。
それは石原一家が小樽にかつて住んでいたためである。
潔氏は小樽で、おもに樺太から運ぶ紙の原料となる木材の切り出し作業の監督などにあたっていたという話が伝わっている。
―政府は、樺太から切り出した木材を、王子製紙などに無償で与えていた。なぜなら国民に対するプロパガンダを流し続けるためには、新聞の材料となる木材はなくてはならないものだから―
その木材を運ぶために、小樽から請負の低賃金で雇われた男たちが樺太に向かった。
彼らは木材の下敷きになるなど、劣悪な労働条件の中で働き、小樽に帰ってくると安宿に泊りながら、
当時、小樽に存在していた遊郭で女郎を買った。
私の祖父の家も、そうした遊郭の近くにあった。そして裕次郎の家も、祖父の家からそう遠くないところにあったのだ。
しかし山下汽船は、実際には軍事物資を取り扱っていた。武器弾薬の輸送も手掛けていたのである。
石原潔は国民の多くが貧しい暮らしを送る中、
小樽の高級料亭「海洋亭」に通いつめ、連日どんちゃん騒ぎを繰り返していたと言う。
そして日中は名門コースと言われ、現在もサン・クロレラクラシックが開催されている、「小樽カントリークラブ」でゴルフを楽しんでいた。
当時、芋ばかりたべていたと言う、私の両親たちなどからは想像もできない贅沢な暮らしを送っていた。
はたしてそのような贅沢は、ただ木材の輸送だけによってもたらされたものなのであろうか。
高級料亭で酔いつぶれ、朝帰りも珍しくなかったという石原潔の生き様に私は、
金は持ってはいるが、
心の苦しみを払うために、稼いだ金、そして会社の接待費をすべてつぎ込んんでゆく、悲しい人間の性を垣間見た気がする。
彼の豪遊には、特別の事情があったのではないだろうか。
戦争が終わると、その役割を終えたかのように山下汽船は消えていったが、
三大船成金と言われた山下財閥は、第一次世界大戦を始めとする戦争によって莫大な利益を上げていた。
いずれにしても、生き証人が残っていない現在では、口に出せないことは「墓場まで持ってゆく」という、ユダヤ人に似た、ある種、世界共通の海の男たちの世界が実在する。
死の商人の哲学は、敵味方に関係なく武器を売ることだ。
そこには人間の血が通ってはいけない、善悪を超えた「死と再生」のドラマ、
すなわち歴史で言う神話、
秘密のブラザーシップによって刻まれた、
一般人にはしられていない歴史が隠されている。
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