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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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趣味で物理をやっている人のツィートだが、こんなのは徒然草の中で「すべては機縁による」と書かれている。つまり、筆を執れば、何かを書きたくなる、という類である。(「筆執れば物書かれ」の「れ」は「自発」の「る」の活用形で、自発とは自然発生ということだ。なぜ自然発生するかが「機縁による」のである。)
人間に自由意志があると言っても、その意志がどのようにして発生するかと言えば、すべて機縁である。(つまり完全な自由ではない。)思考そのものが偶然の発生と後続的連想で動くのだから、意志もまた機縁で生じるのは当然だ。
それを「電気信号」がどうこうと考えるから分かりにくくなる。その電気信号は常に発生しては消滅し、それがたまたま「腕を動かそう」という信号になったりするだけだろう。腕を動かすにしても無意識で動かす場合も意識して動かす場合がある。どちらも、生じては消える無数の電気信号のひとつでしかない。
下のツィートのような疑問を持つなら、「では内臓はどうして動くのか」と考えればいい。「最初の思考や意志」など無くても動いている。なぜ、意識された動きだけを特別視するのか。我々の思考も意志もかなりは「不随意運動」なのである。
ただ、人間には記憶があるから、その意志や思考の方向性に習慣性や統一性(個性)も生まれ、思考や意志が随意であるという錯覚を与えるわけだ。


(以下引用)

量子力学関連で昔から疑問に思ってることがあって、これは大学時代に友人からもらった質問なのだが 「人間が、例えば腕を動かそうとする時、その電気信号は、初めは脳内で発生しているはずなんだけど、最初の電子を動かすのはどういうメカニズムでやっているのか?」
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