ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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私は、野球が好き、という点や野球の記録を大事にしているという点では広尾晃を評価しているが、そのブログのコメント欄に見られるその人間性には好感は持てない。
物凄く、自己防衛意識が強く、基本的に他者を蔑視しているように思えるのである。彼がスポーツマンの健康問題にあれこれ言うのも、単に「錦の御旗」で使っている気がする。これを使えば、他者を威圧するのが容易だからだ。
彼の「自己防衛」の事例を、コメント欄での下記の応答で見てみる。
第一に、相手のレベルを、「自分より下であり議論に参加する資格が無い」と勝手に決めつける。実際は、書き手、つまり広尾氏の文章力の問題かもしれないのに、相手の「読解力」の問題だ、としている。菅官房長官の記者への答弁によく似ている。
第二に、厄介な議論の相手だと、「もうコメントしてほしくないのですが」と排除する。ここも菅官房長官が望月衣塑子記者を排除した行動に似ている。
そして、この問答でははっきりとは見られないが、「自分(広尾)の間違いが明らかだと判明した場合」は、「たかが趣味のブログにそんな正確さを求められても」と逃げるくせに、下のコメントのように「議論に参加する資格」が云々と、まるで厳密な議論の場であるかのようにふるまう。ここも、「都合が悪くなると、前で言ったことを無視する」という、菅方式である。
あるいは、山口レイパー記者にも似た、「俺様は記者、マスコミ人であるから知的階級なのだ」という尊大さを感じる。まあ、スポーツの健康問題にあれこれ言って先進性を気取っているが、本質は昭和のオヤジ体質なのではないか。
ちなみに、広尾の言う「今、問題になっているのは「燃え尽きる」が「球数制限」のアンチテーゼになっていることです。」というのは、記事本文を読んだ限りではそれほど明確な問題点にされているとは思えない。まあ、広尾晃が球数制限についてうるさく言ってきた、という、「これまでの歴史」を加味して読めば、それが「問題点」だと言えなくもないが、この記事だけを読んでそこが「一番の問題点」だと思おうが思うまいが、それは読み手の主観であり、また、コメント者(sacchan氏)が特に「球数制限」問題を取り上げなかったからと言って、文章のどの部分にコメントするかはコメント者の自由だろう。読解力には無関係である。
物凄く、自己防衛意識が強く、基本的に他者を蔑視しているように思えるのである。彼がスポーツマンの健康問題にあれこれ言うのも、単に「錦の御旗」で使っている気がする。これを使えば、他者を威圧するのが容易だからだ。
彼の「自己防衛」の事例を、コメント欄での下記の応答で見てみる。
第一に、相手のレベルを、「自分より下であり議論に参加する資格が無い」と勝手に決めつける。実際は、書き手、つまり広尾氏の文章力の問題かもしれないのに、相手の「読解力」の問題だ、としている。菅官房長官の記者への答弁によく似ている。
第二に、厄介な議論の相手だと、「もうコメントしてほしくないのですが」と排除する。ここも菅官房長官が望月衣塑子記者を排除した行動に似ている。
そして、この問答でははっきりとは見られないが、「自分(広尾)の間違いが明らかだと判明した場合」は、「たかが趣味のブログにそんな正確さを求められても」と逃げるくせに、下のコメントのように「議論に参加する資格」が云々と、まるで厳密な議論の場であるかのようにふるまう。ここも、「都合が悪くなると、前で言ったことを無視する」という、菅方式である。
あるいは、山口レイパー記者にも似た、「俺様は記者、マスコミ人であるから知的階級なのだ」という尊大さを感じる。まあ、スポーツの健康問題にあれこれ言って先進性を気取っているが、本質は昭和のオヤジ体質なのではないか。
ちなみに、広尾の言う「今、問題になっているのは「燃え尽きる」が「球数制限」のアンチテーゼになっていることです。」というのは、記事本文を読んだ限りではそれほど明確な問題点にされているとは思えない。まあ、広尾晃が球数制限についてうるさく言ってきた、という、「これまでの歴史」を加味して読めば、それが「問題点」だと言えなくもないが、この記事だけを読んでそこが「一番の問題点」だと思おうが思うまいが、それは読み手の主観であり、また、コメント者(sacchan氏)が特に「球数制限」問題を取り上げなかったからと言って、文章のどの部分にコメントするかはコメント者の自由だろう。読解力には無関係である。
- 2019年12月25日 19:00
- >「燃え尽きる」とは、具体的には投手が重要な試合で「もう2度と投げない」覚悟で投げることであり、故障の危険性を顧みず「怪我をしてもいいから最後まで投げる」ことを指す。
>「でも、燃え尽きたら大学で投げられないじゃない?」と聞くと彼は言いよどんだ。
”不完全燃焼で終わりたくない”、”力を出し切りたい”、”後悔を残したくない”くらいのニュアンスで、選手は「燃え尽きたい」という言葉を使っているのでしょう。
しかし大人はずるいので、「選手もそう言ってますから覚悟あってのことだと思います。思う存分投げさせてやりたい」といい様に解釈されて、本当に選手生命を燃え尽きさせられてしまう。 - 2019年12月25日 21:30
- Sacchanさん
うーん、この議論に参加できるだけの読解力がないと思いますが。
今、問題になっているのは「燃え尽きる」が「球数制限」のアンチテーゼになっていることです。
一般的な用法としての「燃え尽きる」については、ご説明いただかなくてもみんな知っています。
正直、相手をするのはうんざりです。この意見に飛びつく的外れがいなければいいのですが。
もうコメントしてほしくないんですが。
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「燃え尽きる」自体は他競技でもある話です。サッカーだろうがバスケだろうが、
本格的な競技としては大多数は高校で終わり。進学するにしても就職するにしても、
レクリエーションレベルでは続けるにしても「上を目指す。少しでも上手くなる」という意味で
競技を続けるのはごくごく一部です。大多数の高校生選手にとって、
高校最後の試合は競技人生の集大成と言っても過言ではない。
それを「やりきった!」とか「完全燃焼!」とか表現するのはよくあることです。
これは野球部だって同じ。「燃え尽きる」のは高校で競技を終える
大多数の部員です。ひょっとしたら上で続けられるかもしれない
エースではない。でも、高校野球は悪い意味で平等主義ですから
(強豪も弱小も横一線で予選を行うなんて野球だけです)、
部員の大多数が燃え尽きることを望むなら、エースも燃え尽きることを
強いられるんです。これが事態の本質。