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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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非常に意識が低いというか、知的な分析がダメダメな論説文だが、問題提起として載せておく。
私は老齢のアニメ好きだが、でかいおっぱいをした成人女性がヒロインのアニメを見たいとは思わないし、アニメが基本的観客層と思っているのはやはり未成年男女のはずだ。彼らこそが一番感受性が高いから、彼らの心を射抜くなら、かつての思春期の感情の記憶のある大人の心にも伝わる内容になることが多いわけだ。では、大人の女性をアニメで描く意味がどこにあるか。
たとえば、「SHIROBAKO」や「NEW GAME」は、キャラこそロリっぽいが、事実は成人女性たちが主人公だ。つまり、成人女性はアニメにおいては「ビジュアルとしてダメ」なのである。視覚的な性的要素を排除することで、人物たちの精神が浮かび上がる、と言えるだろう。
また、視覚的には性的要素の無い低年齢女子に性的興奮を感じる異常性愛者はどうか。それも、アニメファンに当然含まれる。そして、それは本当に「異常性愛者」かどうか、というのは議論の余地があるだろう。
ここではその問題に深入りはしない。論点としては「単に或る文化がそれをタブーにしているからと言って、それは人類全体に普遍性のある禁忌となるか」ということかと思う。もちろん、性交の意味も分からない幼女と強引に性交することの犯罪性という問題が一番大事だろうが、「苦痛を与えるから犯罪」なのか、「処女という価値を失ったから犯罪」なのか、明確に論じられているだろうか。もちろん、道徳的にはどちらの意味でも極めて悪質な行為だが、法的な意味でどこまで論じられているか、ということである。そして、禁忌が破られることが大きな興奮を与えるのも自明な話である。すべての「少女をヒロインとした有名アニメ」は、たいていエロな二次創作の対象になっているはずだ。そのことは、「少女をヒロインとしたアニメ」の背景に潜在して、アニメファンの興奮の一部になっているわけだ。たとえば、「風の谷のナウシカ」が公開された時、ナウシカのスカートの下が「はいているのかいないのか」不分明な肌色だったために、上映の間じゅう、そのことばかり隣席の友人に話していた男がいたという話がある。そういうものである。では、成人女性をヒロインとしたアニメで、ヒロインのパンツが見えたとか、ラブシーンがあったとかで喜ぶ男性観客はいるか。まあ、日本の観客には滅多にいないのではないか。
つまり、清楚な処女とお色気路線の成人ヒロインでは、男性観客の興奮度は天地ほどの違いがある、というのが私の考えだ。
つまり「セックスして当たり前」の女性に対する興奮は「セックスすることが不可能に近い」女性に対する興奮度の百分の一くらいではないか。正直、アメリカドラマなどでの前者のラブシーンなど、私は見たくもない。犬や猿の交尾や馬の種付けと何が変わるのか。これは女性蔑視でも男性蔑視でもなく、単に性的興奮における「希少価値」の問題なのである。女性でも、男女の「交尾」の姿が喜劇的であることを分かっている女性は分かっている。真のエロチシズムはそれが隠されているから生じるのである。
話が逸れたが、「アニメはなぜ少女をヒロインとするか」という問題を考えるなら、このあたりまで考察する必要があるだろう。

(以下引用)

日本のアニメ監督は少女が大好き? 新海誠の最新作『すずめの戸締まり』に呆れ声

日本のアニメ監督は少女が大好き? 新海誠の最新作『すずめの戸締まり』に呆れ声

日本のアニメ監督は少女が大好き? 新海誠の最新作『すずめの戸締まり』に呆れ声 (C)PIXTA


『天気の子』や『君の名は。』など、社会現象クラスのヒット作を生み出してきたアニメ監督・新海誠。12月15日、ついに待望の最新作『すずめの戸締まり』の情報を解禁したのだが、ネット上では微妙な反応を示す人々も少なくない。


「すずめの戸締まり」は、鈴芽(すずめ)という少女を主人公とした物語。日本各地に開いてしまう「災いの扉」を閉めるために、彼女がさまざまな冒険を繰り広げていくというあらすじだ。


まだ公開されている情報は多くはないが、ポスタービジュアルでは廃墟のような世界と、青い海と空に挟まれた1つの扉が描かれている。過去の作品と同様に、視聴者を虜にするような美しい風景がスクリーンに広がるのかもしれない。


とはいえ、すでにこの時点で新海作品にお馴染みの要素がいくつも出揃っているのは気になるところ。「天気の子」や「君の名は。」でも描かれた“災害”というテーマ、“空と水”という意匠、そして思春期の少年少女…。


繰り返されるパターンに、手厳しいアニメファンからは《新海誠の新作また特殊能力系女子高生かよ》《毎回似たような奴やってんな》《もはや設定からセカイ系くさい》《また空と水と少女と少年かよ》といった声があがっている。


何歳になっても“少女”にこだわるアニメ監督たち

「すずめの戸締まり」でとくに揶揄されているのは、少女が物語のカギを握っているという点。もともと新海作品では10代の少年少女を主役に据え、その葛藤を描き出すことが多かった。


とはいえ、これは新海だけの問題ではなく、他の人気アニメ監督にも共通している。たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明や、『スタジオジブリ』の巨匠・宮崎駿がその典型例だろう。


庵野は現在61歳で、宮崎は80歳。そして新海も48歳と50代手前に差し掛かっている。すでに少年少女とはかけ離れた年齢となっており、その心情を理解できるのが不思議なくらいなのだが、いつまでもジュブナイル作品から卒業する気配はないように見える。


これは日本のアニメが「ロリコン文化」だとか、そんな単純な話ではない。おそらくアニメ監督の趣味などとは別として、これまでの日本アニメの土壌では少年少女を軸とした想像力しか育まれていないのだ。そのため、「大人が大人に向けた作品」を作りにくくなっているのではないだろうか。


もちろんそれが悪いわけではないが、アニメ監督に“成熟”を求める声が上がるのも当然。可能性は低いだろうが、「すずめの戸締まり」が新たなヴィジョンをもたらしてくれることに期待したい。


文=「まいじつエンタ」編集部


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