アリエッティが、マチ針を見つけて、それを剣のようにスカートに挿す所があったが、そのマチ針が話の中で生かされていないのは残念。
まあ、それでネズミと戦うなどというのは、誰でも考える展開で、だからそういうアイデアは捨てたのかもしれないが、やはり映画の基本は活劇であり、戦いというものこそ映画的ドラマの王道ではないかと思うのである。それが、妙な婆さんとの戦いどころか、戦いにもならず逃げ出すというのでは、ドラマも何もあったものじゃない。しかも、それが少年の「好意」の結果であるというわけだから、見終わった後の印象があまりすっきりしない。
無責任な観客の立場からは、やはり、ここは陳腐な展開だろうが何だろうが、小人らしい特性を生かし、工夫に満ちた、ネズミや猫や犬との戦いのエピソードが欲しかった。「グレムリン」でグレムリンの中の一匹が映画の「ランボー」の真似をするが、そういう体の小ささを小道具で補った戦いは、観客を面白がらせたと思う。
もちろん、映画全体のトーンが静謐な印象なのだから、それと不調和になってはいけないのだが、しかし、ドラマ的な盛り上がりが無さ過ぎるのもどうか、ということだ。
しかし、米本(だったか?)監督には、かなりの力量があることは分かったのだから、今後は宮崎駿的キャラクター、ジブリ的描写からある程度離れて、冒険をしてもらいたいと思うのである。
野球の面白さは、昔の騎士や武士の頃の戦争の面白さに似ている。つまり、個人的武勇や技量と、全体としての勝利が結びついたり結びつかなかったりするところである。豪傑を揃えれば戦に勝てるとも限らないのだ。そこに戦略や戦術というものが存在するのだが、かつての野球漫画には、戦略・戦術面の面白さは皆無だったと言ってよい。
その野球漫画に革命を起こしたのが、何と女性漫画家の作品である「おおきく振りかぶって」である。(私は固有名詞に弱いので、私のブログの中の人名や作品名は、ほとんどうろ覚えであることを断っておく)この作品は、実際の試合における実質的監督とも言うべき捕手視点から描かれることが多く、ほとんど1球ごとのボールの持つ意味が克明に描かれている。まさしく、マニアによるマニアのための野球漫画である。大昔の「アストロ球団」という馬鹿マンガ(今ではその馬鹿馬鹿しさが評価されてカルト漫画の扱いを受けている面もあるが)は、1試合の描写に1年くらいかかった記憶があるが、「おおきく振りかぶって」も、1試合の経過を追うだけでそれくらいかかりそうである。しかし、野球好きな人間にとっては、これほど面白い漫画も滅多にない。
この漫画の影響かどうか、それに近い野球漫画も最近は増えつつあり、野球漫画は今、黄金期を迎えていると言えるかもしれない。たとえば、「ラストイニング」や「ダイヤのエース」なども、野球の戦略・戦術の面白さがかなりの比重を占めている作品である。一方、これらより知名度の高い「メジャー」などは、古色蒼然と言いたいような古めかしい「少年野球漫画」で、戦略も戦術もあったものではない。もちろん、そうした漫画の方が好きだという層の方が一般的なのである。
何はともあれ、野球の持つ「考えることの喜び」を掘り出してくれた「大きく振りかぶって」には、私は感謝している。その割に、作者の名前も作品名もうろ覚えだが。
『借りぐらしのアリエッティ』
2010/08/23観てきました。
いいんじゃないでしょうか。
原作を読んでませんが、小さな人々の視点からの世界を緻密に構築する手つきはジブリの伝統みたいなものを感じます。人間の目から見た庭や植物や家具の世界と、それを小さい者の視点で絵と運動について繰り返す映像作り。小さなティーポットから落とすお茶の表面張力。ドールハウスの使い方。要するにアニメの面白さの、少なくともひとつに「世界観を変えて緻密に隅々まで創り上げること」があるということに気づいている、という点で、可能性を感じさせる作品でありました。
成功してるかどうかはともかく、祖母の乗る古いベンツを、わざわざ3Dではなくて手描きで描いたのも、多分温かみみたいなものをそこに残したかったのだと思う。停まってるときも、くにくに動いてるのは愛嬌というべきかな。
ただ、どうしてもジブリ作品として観てしまうので、キャラクターの弱さを感じてしまうのも事実。
この作品でキャラがたってるのはお手伝いのハルさんで、樹木希林の声もいい。逆に宮崎アニメがいかにそれぞれのキャラを強く造形しているかに感心してしまう。
それと、この作品は「女の子」のためのものだなと感じる。ドールハウスに感じる夢みたいな感覚の中で作品が立ち上がるところが見所だが、「男の子」が無条件で感情移入できる部分がない。人間側の主人公は心臓手術直前で動けないし、アリエッティは冒険というほど動いていない。父親も何か物分りのいい定点なだけだし、いちばん「男の子」っぽい野性的なスピラーは、せっかくの弓に矢をつがえただけで射ってないし(藤原竜也を声にあててるのに使い方が勿体ない気もする)。まあ、そういう映画だからいいんだけど、もし「男の子」っぽい部分が結末にからんで盛り上がってたら、もっとすごい作品になってたかも。
ともあれ、女性と一緒に行くといい映画ですかね。女性はじゅうぶん満足すると思う。
アリエッティは、美人すぎ。原作を知らないから何とも言えないが、もう少し元気でボーイッシュな感じの女の子がよかった。
女中のお春さんは不気味すぎ。なぜあれほど小人を迫害するのか、理解しがたい。小人が泥棒するったって、たいした物は盗んでいないのだから、害虫駆除の会社の人間を呼ぶほどではないだろう。「殺さずに捕まえろ」とは言っていたが、捕まえてどうする気なのかがわからないから、不気味。アリエッティのお母さんを扱う乱暴な態度からすると、善意で捕まえているとはまったく思えない。屋敷の女主人が小人たちに好意を抱いているのは知っているはずだから、お春さんのこの態度はまったく不可解。しかも、小人の側に立つ少年をあらかじめ部屋に閉じ込めた上で小人を捕獲しようというのだから、まったく不気味な婆さんである。
でも、全体的には、丁寧な描写で、良い作品だった。
専門の声優を使わないという方針を相変わらず守っているが、ギャラの高い有名俳優を使ったところで、興行成績が上がるとは思えないし、貧しい声優たちの生活を守るために、専門声優を使ってやるべきだと思うのだが、どうだろう。それとも、専門声優は貧しくはないのかな?