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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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この報告は面白い。子供にとっては「美人」の概念は未発達で、水崎氏の特徴は「金持ち」で終わるわけだ。そもそも、美人という概念は社会によって変動する。我々が美人と思うのは、その社会の多くの人(特に文化的発信者、多くはマスコミ)が美人と言っているから、その容貌を美人と判断し、それが自分自身の「美人概念」になるわけである。欧米人から見たら、水崎氏より金森氏の方が「アジアンビューティ」に見えるだろう。
浅草氏を「可愛い」と言っているのは、可愛いの概念が美人より普遍性があるからだろう。つまり、年齢にも社会にもあまり関係なく、清少納言の言う「何も何も、小さきものはみなうつくし(これは「可愛い」の意味。おそらく「慈しむ」と同根で、「慈しみたい気持ちになる」のが「可愛い」の基本にある。)」なのである。これは少産系の動物の本能にインプットされていると思う。だから親が子供を可愛がり、育てるのである。
金森氏が子供にとって「怖い」のは当然であり、その脅迫的・圧迫的な言動は、子供からみたら怖い存在そのものだろう。しかし、その「非妥協的態度」「明確さ」が欧米人からはまさに欧米的精神と見られるのではないか、とは以前に書いたとおりである。


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子どもと一緒に録画しといた映像研視聴完了。1話だけ見るつもりだっけど、「続きないの?」と言われ2話も見てしまった。感想聞いたら、浅草氏→かわいい。金森氏→怖い。水崎氏→お金持ち。とのこと


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映像研の作者のツィッターには膨大な「映像研」関連ツィートがリツィートされているのだが、その多くがファンアート付きである。そして、面白いことに、海外勢のファンアートでは水崎氏があまり可愛く描かれない。中には、髪型すらロクに見ていない絵が多い。
と言うのは、実は彼女のヘアスタイルは、「水崎つばめ」という名前に由来する、ツバメの尻尾風ヘアスタイルだ、と私は見ており、うなじ部分を刈り上げにすることで、燕尾部分が強調されていると思われるのだが、外国人には「水崎つばめ」の下の名前が鳥の燕を意味していると気づかれないからだろう。
具体的な絵は省略する。
やはり、金森氏がスーシーに似ていると思う外国のアニメファンは一定数いるようだ。下のファンアートでは、浅草氏がリトアカ主人公(名前は失念)に見立てられている。両者の服の違いは、日常用と儀式用の違いである。リトアカファンは日本より外国に多いのではないか。
リトルウィッチアカデミアは子供のためにNHK教育放送で日曜朝に放映すべきアニメである。「映像研」と「未来少年コナン」と「リトルウィッチアカデミア」を3本立て続けに放送したら、日曜朝はNHKの視聴率独占状態になるのは保証していい。子供だけでなく、大きなお友達もテレビの前に集まるだろう。NHKの視聴料金を喜んで払うだろう。コナンを見て、彼の騎士道精神を学んだ子供は、なぜ善が守るべきもので悪が拒否すべきものか心に刻まれるだろう。つまり、この3作品で、男女の愛、同性同士の友情、同じ目標を持つ仲間意識、という重要な感情やモラルを子供たちは楽しみながら理解するのであり、それは一生の財産となる。
「面白い」という評価は、陰惨な、あるいは不道徳なアニメにも与えられるが、「楽しい」という評価は健全な作品でしか経験できない、より貴重なものだ。上記の3作品は、すべて「楽しい」アニメである。



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映像研には手を出すな第1話を見ていたらコナンに興奮!その後即コナンを見る5歳ホヤホヤの娘w






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Easy breezy~


prolly the quickest thing i draw in early 2020


新都社という、ウェブ漫画を扱うサイト(だと思う)の、掲載漫画ランキングを見て、そのタイトルの良し悪しを(内容を見ないまま)判断してみようと思ったが、いちばんいいな、と思ったのは

「じょしこうせいが あらわれた!」

というタイトルであった。これは、言うまでもなく、昔のテレビゲーム(ドラクエ以外にこの表現が使われたかどうかは知らない。)でのモンスターの登場場面の説明セリフだ。つまり、「じょしこうせい」がモンスター扱いであるwww だが、嬉しい遭遇でもあるわけで、そのモヤモヤ感とワクワク感が素晴らしい。ただし、先に書いたように、作品自体は未見である。
なお、その新都社の人気ランキング一位の「侠」は、三か月ほど更新が止まっている。私が見ている、わたモテ以外では唯一のウェブ漫画で、紙の雑誌に掲載されている漫画のほとんどより面白いのではないかと思っている。
なお、「わたモテ」評論で定評のある「場末の。」氏の更新もずっと途絶えていて、心配である。彼の評論は、漫画評論の最高峰だと私は思っている。



(追記)念のために「じょしこうせいが あらわれた!」を見てみたら、本当にモンスターで、かつ女子高生であったww
一話だけ転載してみる。どうせ、そのうち削除されるだろうが、絵は可愛いし、話も嫌味が無く、けっこう好きである。もっとも、私の主観だ。まあ、「くっころ」の話題が出てくること自体がエロだとするなら、一応は成人向けか。なお、新都社ランキング的にはかなり下であるので、ここで載せるのも作品の宣伝になると寛大に見てほしい。


















この「編集者の自惚れ漫画」を数人の漫画家がリツィートしているのだが、その神経が分からない。
この漫画を読むと、まるで、「名作、あるいは傑作漫画は編集者の頭脳から生まれ、漫画家はその道具でしかない」と言われているような気になる。
もちろん、漫画家に素晴らしいヒントを与える編集者も多いだろうが、それを作品化するのはあくまで漫画家であり、漫画家の頭脳と腕からしか漫画は生まれないのである。ヒントなど、編集者だけでなく過去の名作漫画や映画や実生活などどこからでも得られるはずで、編集者はその「手助け」をすればいいだけだ。「傑作は運命を捻じ曲げて生まれる」という言い方も気持ち悪い。まるで、「漫画家=(理不尽な)運命」で、編集者がその運命を捻じ曲げないと傑作は生まれない、と言っているようだ。


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「傑作は運命を捻じ曲げて生まれる」という話。


















これはいい指摘。どちらかと言えば、ベイスターズではなく、ラミレスの欠点だろう。つまり、反省能力が無い。あるいは、大局観が無い。だから、前半戦の負けを後半で帳尻合わせばかりすることになる。ここ数年のAクラス入りなどでラミレスを褒める人もいるが、あれは、「優勝できるチーム力がありながら優勝できなかった」だけである。私はここ数年、同じことを言っている。(数年前の前半戦に主力先発投手が数名故障あるいは不調だった時、飯塚や平良など若手を先発起用して好成績を残したことがあったが、野手に関しては、それが無い。不調選手の打順すら変えない。その投手起用も当時の投手コーチの判断だったのではないか。)
一番悪いのは、自分が「レギュラー認定」した選手が大不調の時にも先発で使い続け、前半戦を大きく負け越すことである。下のツィートにもあるが、その年のチーム状況はオープン戦終了時、あるいは遅くても他チームとの対戦が一巡した段階で把握しなければ監督として無能の一語に尽きる。
なお、古参選手は「帳尻合わせ」が得意だから、シーズン後半に成績を上げてくるのは当然であり、べつに一軍で使い続けたためではない。つまり、前半戦をいかに五割以上で乗り切るかに監督の能力は顕れる。主力選手の怪我などで後半の失速があっても、それは監督の責任ではない。



その年の戦力の見極めなんて、オープン戦~開幕一ヶ月も戦えば、おおよそこの一年の状況が見えて来る。それに合わせて戦い方を組み替えないと行けないのに、前年のイメージ引きずって前半戦終わるぐらいまで、同じような過ち繰り返し負けを積み重ねるのがベ












「電脳マヴォ」で継続的に長い間連載されている「夜のロボット」だが、私は一度も読んだことがないのである。その理由は、絵柄にある。要するに、画面がゴチャゴチャし過ぎていて、最初から読む気にならないのだ。特に、人物と背景の区別がつきにくいというのが、最大の問題だろう。コマ自体が小さすぎる上に、背景が視認の邪魔をする。大友克洋あたりの背景の描き込みに影響されたのかもしれないが、まあ、描くこと自体が好きなのだろう。つまり、自己満足である。読者の目線や心理を無視しているわけだ。ただし、それ(背景やコマの中味のゴチャゴチャ感)は「ワンピース」の絵にも言えることで、あちらは大ヒット作品になっているわけだから、これは私の主観でしかないかもしれない。
絵自体は達者な(と言うか、描きなれている)人だろうし、構図なども、ツィッターに載った部分だけからでもかなり工夫しているとは思うが、全体に平板で、強調点が目立たない絵だと思う。あっさり言えば、絵自体に魅力が無い。あるいは、私は魅力を感じない。
ついでに言えば、「夜のロボット」という作品タイトルも魅力が無い。なぜ、「夜の」なのか。夜という特定の時刻とロボットに何の関係があるのか。そもそも、「ロボット」という言葉自体にアナクロ感があるのだが、それは「狙って」のものなのか。まあ、そういう「スケベ心」(これは、エロ方面を意味するものではない。)を感じさせるタイトルであると思う。そういう「スケベ心」は読者に察知され、敬遠されるものである。いや、「読者受けを狙って、読者に敬遠される」のはおかしいだろう、と言われるかもしれないし、すべて商業作家は読者受けを狙うものだが、なぜか、許容されるものと拒否されるものがあるのである。
ちなみに、「電脳マヴォ」所載の作品には幅広い人気を得た作品もかなりあるが、「夜のロボット」はそういう作品ではないと思う。まあ、一部の人間には受容されているかもしれない。
この一文は、私自身の心理分析のネタとして「夜のロボット」という作品を取り上げたものだが、漫画創作全体に通じる部分はあると思う。つまり、「読む前から拒絶反応を起こす」作品というのは、内容が良ければ、非常に不幸なことであるわけで、こうした批評も無意味ではないだろう、というわけだ。


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随分遅くなってしまいましたが、夜のロボットの最新話(その3廿四話目「その日・朝」)を更新しました。
ニコニコ漫画 
マンガボックス
ハックとサイトはのちほど。
電脳マヴォさまは1/14水曜の予定とのことです。














最近の洋画のタイトルがひどいのは、英語題名をカタカナにするだけのタイトルだけでなく、日本用の日本語タイトルもひどい。「They shall not grow old」が、なぜ「彼らは生きていた」というタイトルになるのか。直訳するなら「彼らは年を取らない」だろうし、彼らの生きた記録を見て現在の我々が彼らの存在をありありと実感する意味の題としてなら「彼らは今も生きている」だろう。「生きていた」では、その実感が無い。少し気取るなら「永遠の兵士たち」でもいい。
なお、なぜ彼らが年を取らないのかというと、その「彼ら」とは記録フィルムの中の兵士たちで、その多くは戦場で、若くして死んだからである。


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>帝国戦争博物館に保存されていた記録映像を再構築して1本のドキュメンタリー映画として完成。2200時間以上あるモノクロ、無音、経年劣化が激しく不鮮明だった100年前の記録映像にを修復・着色するなどし、BBCが保有していた退役軍人たちのインタビューなどから、音声や効果音も追加した









私は、(精神的な)成熟というのはあまり信じていない。成熟というのは「変質」を含意しているわけだが、精神というのは、変質するのではなく、古い精神層の上に新しい知識が加わっていくだけだと思っている。その結果、「考え方」などに違いは生まれるが、精神が変わったわけではない。年寄りの中にも子供の心は残っているわけだ。だから、このブログのタイトルを「アンファニズム(「子供主義」という意味の造語)」にしているのである。




23時間前

でもまあ子供に映像研が受けるのは知ってた。ワシが子供だから。


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    1月13日

    誰かこの「子供が繰り返し『映像研』を観る現象」の記事を書いてくれ


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  • さんがリツイート
    1月13日
    返信先: さん

    ウチの5歳もリピートしてます。「面白いねー」と。特にオープニングで顔が揺らめくシーンが気に入って、一時停止とコマ送りを繰り返しで見ています。


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  • さんがリツイート
    1月13日
    返信先: さん

    1歳と大人が一緒になって毎日リピート再生して観てます!


動画そのものは自分で探してもらうしかないが、まあ、予想通りである。ボディビルダーの筋肉は実用品ではない。いくら筋肉量があってもスピードがゼロである。動画を見る前は、女性との体格差があまりに大きいとボディビルダーの勝ちもあるかな、と思ったが、女性の二割増しくらいの体格差である。その程度では、格闘技経験の無い筋肉馬鹿が格闘技のプロ(柔道だと思う)に勝てるわけがない。あっさり絞め技を許して、終わりである。ただし、柔道は格闘技同士の戦いだと不利だ、というのは前に書いたとおり。




【動画】プロの女格闘家がボディビルダー♂に喧嘩を売られて戦った結果wwwwwww




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