まあ、前の「霊長類最強女子」とは、同じ霊長類でも種類が違って人類のようである。見方によっては可愛いと言えなくもない。
(以下引用)
【レスリング】藤波朱理が“霊長類最強女子”吉田沙保里に並ぶ119連勝「無敗で金」パリ五輪へ
4/13(木) 4:45配信
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日刊スポーツ
藤波朱理(2022年6月撮影)
<レスリング:アジア選手権>◇12日◇第4日◇カザフスタン・アスタナ◇女子53キロ級ほか
19歳の世界女王、藤波朱理(あかり、日体大2年)が優勝で連勝記録を「119」に伸ばし“霊長類最強女子”に肩を並べた。
17年9月から116連勝で大会を迎え、準々決勝、準決勝と決勝で3勝。同じ階級でオリンピック(五輪)3連覇の吉田沙保里が01~08年に積み上げた公式戦の119連勝に並んだ。「無敗のまま金メダル」を狙う24年パリ五輪へ勢いを増した。
藤波が吉田の記録に追いついた。“シン・霊長類最強女子”へ119連勝。五輪V3女王より8センチ高い長身のため「腰高にならないよう」心掛ける低い構えから、長いリーチを伸ばして片足タックルを重ねる。決勝はインド選手に10-0。第1ピリオド2分48秒のテクニカル(T)フォール勝ちに笑顔すら見せず、日体大コーチでセコンドに付く父俊一さんとも軽い握手だけ。表彰式後に応じた父子の撮影でようやく笑った。
日本協会公認の連勝記録は、中学2年の全日本女子オープン選手権(48キロ級)から続く。負けも分けもなく積み重ねた白星。21年の世界選手権では全4試合Tフォール勝ち&無失点という無類の強さで、史上5人目の高校生女王になった。
昨年6月には明治杯を2連覇し、決勝で節目の100連勝に到達。今年も2つの国際大会を制して116へ伸ばし、同じ三重県の先輩で「憧れ。だけど雲の上の存在」吉田の記録に並ぶ快挙に王手をかけていた。
注目される連勝だが「マットに上がれば過去のこと」と意に介さない。吉田の記録には04年アテネ五輪などが含まれる一方、自身は国内の中高時代が多いと自覚。比較する気もないが、結果は実力を裏付ける。この日も準決勝で東京五輪銅メダルのモンゴル選手を10-0で一蹴し、無失点試合を29に伸ばした。国内序列も、東京金の志土地(旧姓向田)真優をリードする。
次は、五輪4連覇の伊調馨が打ち立てた189連勝を期待されるだろう。その伊調と普段練習している19歳の新女王が見据えるは、来夏の夢舞台。9月の世界選手権(ベオグラード)で3位以内に入ればパリ五輪代表に内定する。「無敗でパリまで行って金メダルを取りたい」と公言している目標へ、今の数字など通過点でしかない。【木下淳】
◆藤波朱理(ふじなみ・あかり)2003年(平15)11月11日、三重県四日市市生まれ。88年ソウル五輪代表候補だった父俊一コーチの影響で4歳から競技を始める。中学2年の全国大会(17年6月)決勝で伊藤海に負けて以来、全勝。いなべ総合学園高から昨春、日体大へ。総合格闘家の兄勇飛(26)も元選手で17年の世界選手権男子フリースタイル70キロ級3位。大学の同じクラスには北京五輪スノーボード日本代表の三木つばきがいる。164センチ。
○…この日は女子5階級が行われ、五輪で実施される57キロ級では南條早映(東新住建)も金メダルを獲得した。決勝でウズベキスタン選手を11-4で破った。同62キロ級では、昨年の世界選手権で優勝した尾崎野乃香(慶応大)が敗れる波乱。準決勝でキルギス代表に2-2の内容差で屈したものの、切り替えて維持の銅メダルは獲得。ウズベキスタン選手を2-0で下した。
ナイフ以前に、その辺の工事現場に落ちている鉄棒ですら、格闘技より強いだろう。家に強盗が入ってきた時のために、家に備えておくことをお勧めする。もちろん、包丁でもいい。抵抗しなければ殺されないという時代ではもはやない。ただし、強盗を殺しても罪になる可能性は大である。馬鹿馬鹿しいことだが、これは国家による「暴力の独占」のためである。
法律で、カッターナイフすら携行できないようにしてあるのも、政府が(上級国民を守るのが主目的だが)暴力を独占するためであるが、現実には暴力団や半グレに対処できていない。馬鹿を見るのは普通の国民である。
なお、私の世代のヒーローだった力道山がチンピラにナイフで刺されて、それが原因で死亡した事件で我々は刃物の恐ろしさ、強さと、肉体的力の限界をよく知っている。
(以下引用)
- 1 :それでも動く名無し:2022/10/11(火) 13:28:43.99 ID:IaBsBPPid.net
- ――とはいえ井上尚弥選手なんかは実力だけでなく、人気もすごいし、
- 海外でも評価されています。国内でも大きな会場が満員になってますね。
井上選手は確かにすごい。 - でもそれは一部の選手であって、全体で見るとボクシングは苦しい状況にある。
だからボクシングをもっと活気づけたい。もともとボクシングは歴史もあるし、 - スポーツとして認知もされています。
ステータスがあるんです。 - でも他の格闘技と比べると、ちょっとハードルが高いというか、入りづらいところがある。
そこを華やかにして、入口を広くして、ボクシングで稼げるとなれば、 - 絶対にこっちに流れはくると思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e15cedb5d89ab1b4a020078ea354b167bf917650 -
- 3 :それでも動く名無し:2022/10/11(火) 13:29:54.08 ID:RmDh6BTX0.net
- 亀田いなかったらもっと人気なかっただけやないの?
- 5 :それでも動く名無し:2022/10/11(火) 13:30:19.70 ID:uQiSLkwE0.net
- 根本的には階級分け細かすぎ団体多すぎって話だと思うんだ
- 6 :それでも動く名無し:2022/10/11(火) 13:30:27.50 ID:CYbgcf/Wp.net
- 亀田はヒールとして盛り上げてた
- 747 :それでも動く名無し:2022/10/11(火) 14:15:35.66 ID:1shLdxQn0.net
- >>6
それで試合が面白ければ成り立つけどクソ地味でつまらなかったからみんな引いたんだよw
- 10 :それでも動く名無し:2022/10/11(火) 13:32:01.53 ID:4juSfUgaa.net
- 亀田はただのエンターテイメントだっただけで
ボクシングだったと思ってるやつは一人もいないやろ
もともとプロレスというのは暴力を計算づく(理性の範囲内)で実行する仕事なのだから。
(以下引用)
アントニオ猪木さん死去 79歳、心不全 プロレスや政界で活躍 アリと異種格闘技戦も
元プロレスラーで参議委員議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、都内の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。
力道山にスカウトされ1960年(昭35)に日本プロレスでジャイアント馬場さん(故人)とともにデビュー。72年に新日本プロレスを旗揚げし、プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦など数々の名勝負を繰り広げた。89年には参議選で初当選した。近年は腰の手術に加えて心臓の難病「全身性アミロイドーシス」も患い、入退院を繰り返していた。
◇ ◇ ◇
晩年は自ら“最強の敵”と語る病魔との格闘だった。猪木さんは19年6月の政界引退直後の同8月に最愛の田鶴子夫人を亡くした。同時期に自身も腰を手術。同9月には数万人に1人の確率で発症する「全身性アミロイドーシス」と診断された。タンパク質線維が心臓に沈着して、多臓器不全などを発症する難病で、20年11月以降は感染症や腸捻転なども併発。新型コロナウイルスにも感染して「何度も死にかけた」と明かしていた。近い関係者によると、猪木さんは今月にもテレビ番組収録の予定が入っていたが、この2、3日で体調が急に悪化したという。そして1日朝までに死去したという。
深刻な病状の中、22年5月には青森県十和田市に建立した「アントニオ猪木家の墓」の建立式を兼ねた田鶴子夫人の納骨式に参列。同8月28日には東京・両国国技館で行われた「24時間テレビ45愛は地球を救う」(日本テレビ系列)にも車いすに乗って出演。「本当は起きる状態ではないんですが、私も皆さんにお会いすることで、元気をもらいました」と語っていた。
病魔に侵された痛々しいやせ衰えた姿を、あえてSNSで発信し続けた。その理由について本人は「かっこ悪い姿でも別にいいんですよ。かつてのファンは逆の反応で、手紙には『かっこいい、かっこいいと』。そう思ってくれている以上は頑張る」。さらに「そのときそのときにやりたいということを、逃げずにやる」とも語っていたが、病は着実に進行していた。
力道山にスカウトされて60年にプロレスデビュー。同期のジャイアント馬場さんが脚光を浴びる中、なかなか芽が出なかったが、67年に馬場さんとのタッグ“BI砲”でインターナショナル王座を獲得。一躍人気レスラーになったが、後年の本紙の取材に猪木さんは「馬場さんの女房役に徹した。エゴを隠して戦い続けていたが、次第に我慢できなくなった」と当時の本音を吐露していた。
71年12月、会社乗っ取りを企てたとして日本プロレスを追放されると、翌72年に新日本を旗揚げ。4カ月後に全日本を旗揚げした馬場さんと敵対した。海外人脈を生かして人気外国人レスラーを集めた馬場さんに対し、猪木さんはストイックに強さを追求するストロングスタイルを掲げた。国際プロレスのエースだったストロング小林との一騎打ちを実現させるなど、当時タブー視されていた日本人対決にも積極的だった。
一方で「プロレスに市民権を」と訴えて、他の格闘技の王者たちとの異種格闘技戦に乗り出した。柔道のウィリアム・ルスカ戦、ボクシングのムハマド・アリ戦はプロレスの枠を超えて注目された。後に猪木さんは「アリ戦をなぜやったのか。それはプロレスへの劣等感。オレらの時代は八百長論ばっかり。だから誰もが認めるアリと戦えば、プロレス全体のステータスが上がると考えた」と本紙に明かしている。
その異種格闘技戦で連戦連勝、プロレスでもアンドレ、ハンセン、ホーガンら強豪と数々の名勝負を繰り広げ、猪木さんは伝説のプロレスラーとして不動の地位を築いた。
その知名度を生かして、全盛期を過ぎた89年に参院選に初当選。その後は「猪木祭り」を開催するなど格闘技のイベントプロデューサーとしても手腕を発揮。ソ連やイラク、北朝鮮でもプロレス興行を実現させた。10年には日本人として初めて世界最大の団体WWEの殿堂入り。その偉大な功績は世界からも高く評価されていた。
士道館主催の興行を終えた夜、梶原一騎はホテルの部屋に添野、松本、暴力団員を呼んで打ち上げ。興業の成功は佐山タイガーを士道館の興行に友情出演させてくれた猪木のおかげということで同ホテルに宿泊中の猪木・新間も部屋へ来いよと呼ぶ。が、大儲けしながら梶原への版権使用料が滞りがちだった事、梶原に無断で空手の新流派を興していた事などから猪木側はこの夜の突然の呼びつけを極度に警戒。案の定、暴力団員から、寛水流立ち上げの経緯説明を求められ、猪木は「水谷なんて知りません」と答弁して早々に退席。新間が残って場をつなぐ。泥酔した暴力団員は「猪木寛至の一字が入っていて関係ないわけあるまい」とパンフを丸めて新間の頭を叩いたので、梶原が止め、新間も退出させ、身内だけで打ち上げを続けた。 後年、梶原一騎覚醒剤汚染というガセネタを掴まされた警察が、拘留を長引かせるために、「編集者暴行事件」「夜の街での破廉恥事件」など余罪をかき集めていた。そこへ初代タイガーマスク佐山と梶原グループの関係を断ち切りたい新日が便乗し「アントニオ猪木監禁脅迫事件」をでっち上げました。 梶原は「つねづね格闘技世界一を公言しているほどの男が、たかが劇画作家に監禁されたと被害届なんか出すなよ」とぼやきました。 hgersyghrayhgrさん サンクスです。
【超RIZIN】「朝倉未来-メイウェザー」非公式戦3分3回、KOあり判定なし/ルール
<超RIZIN>◇25日◇さいたまスーパーアリーナ
人気総合格闘家の朝倉未来(30=トライフォース赤坂)が、プロボクシング元世界5階級制覇王者フロイド・メイウェザー(45=米国)とボクシングに準じるエキシビションマッチ(3分3回、体重無制限)で対戦する。25日、「超(スーパー)RIZIN」(さいたまスーパーアリーナ)のメインで登場する。
グローブサイズなどの詳細なルールは未発表ながら、ここまで判明したルールをまとめた。
◆試合 非公式戦。3分3回、KOあり判定なしで実施。
◆グローブ 10オンスになる見込み。
◆体重 体重制限なしのフリーウエート制。両者前日計量に登場しなかったが、過去の発言から、朝倉が75~77キロ、メイウェザーが約70キロで臨むことが予想される。
◆ルール ボクシングに準じるパンチのみのスタンディングバウト。18年大みそかの那須川戦と同様に蹴り一発で違約金500万ドル(約7億2500万円)が発生。朝倉が「足を上げるのもダメ、投げてもダメ。ほぼ何もできない」と、蹴りの疑似動作など総合的な動きも禁止されていることを明かしている。
だが、プロ入り後は上原は世界チャンピオンのタイトルを取り、風間は世界タイトルは取れなかった。これは両者のパンチ力の差だろう。
(以下引用)風間のアマ時代のKO・RSC勝ちの多さが目を引く。これはパンチ力というよりパンチの的確さを示すものだと思う。RSCはレフェリーストップのこと。
戦績[編集]
- アマチュアボクシング:132戦123勝(104KO・RSC)9敗
- プロボクシング:30戦18勝(7KO)8敗4分
バトルホーク風間
基本情報 | |
---|---|
本名 | 風間 清(かざま きよし) |
階級 | ライト級 |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1950年1月2日 |
出身地 | 千葉県習志野市 |
死没日 | 2004年10月3日(54歳没) |
死没地 | 東京都足立区 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 30 |
勝ち | 18 |
KO勝ち | 7 |
敗け | 8 |
引き分け | 4 |
バトルホーク 風間(バトルホーク かざま、1950年1月2日 - 2004年10月3日)は、日本の元プロボクサー。本名は風間 清(かざま きよし)。第26代日本ライト級王者。有限会社パオネットワーク元代表。東京都生まれ、千葉県習志野市出身。石丸ボクシングジム所属選手としてプロデビュー、後に奈良池田ジム所属。上野高等学校定時制、専修大学卒業。
人物[編集]
- 文章を書くことが得意で、学生時代には、同人誌に寄稿したことがある。ボクシングの専門誌に寄稿した闘病生活の手記は、編集者がほとんど手を加える必要がなかったほどだった[1]。
- 現役時代は、素行が悪いという評判があった。しかし、実際には素行が悪いというより、指導者に対してもハッキリものを言う姿勢が曲解され伝わっただけと言われている[1]。
- ボクシングは自分にとって「殺し合い」だと表現した。この感覚によって養われた緊張感が、死去する前の闘病生活の大きな支えになったという[1]。
来歴[編集]
アマチュア時代[編集]
アマチュアで活躍していた兄・良一にボクシングを学び、高校1年在学中に国体出場。
1968年、高校3年時にインターハイライト級優勝を収めた。複数のボクシング強豪校から勧誘があったが専修大学に進学、強豪校への発展に寄与した。ミュンヘンオリンピックの代表候補強化合宿にも参加した。
プロデビュー[編集]
1974年、プロ転向。専大同級生の金平理宰の伯父金平正紀が経営する協栄ジムからの勧誘もあったが、兄の通う日東拳(現・日東ボクシングジム)に中学時代から通っていたため日東一門を優先し、石丸ジムに所属した。その後、プロデビュー直前に渡米し、ハワイのオアフ島にあるカラカウア・ジムでタッド河村に師事した。この際、タッド河村から“Kill him.”と言われ続け、アマチュア時代に持っていた「絶対に倒す」という考えが、「絶対に殺す」という考えに変わっていった[1]。7月24日、ハワイ・ホノルルでサム・フラチセリ(フィリピン)に5R判定勝利でプロデビュー。ホノルルで5連勝を収め、1975年に帰国した。
1975年1月5日、プロ6戦目でライオン古山(笹崎)の持つ日本ジュニアウェルター級王座に挑戦したが、三者三様の判定引分で獲得はならなかった。8月17日、中国・マカオで1勝後、8月31日、日本王者ライオン古山とノンタイトル10回戦にて再戦し、再度判定引分となった。
同年9月20日、ベネズエラ・カラカスで、WBA世界ジュニアウェルター級王者アントニオ・セルバンテス(コロンビア)とノンタイトル10回戦にて対戦し、6RTKO負けを喫した。1976年3月22日、門田新一(三迫)との10回戦に判定引分となった。
1976年5月9日、ソウルで1敗後、7月17日、釜山で呉英鎬(韓国)の持つOBF(東洋ボクシング連盟)東洋ライト級王座に挑戦し、判定負けを喫した。OBFは、後にOPBF(東洋太平洋ボクシング連盟)に改称している。1977年1月4日、用皆政弘(斎田)[2]との10回戦に6RKO負けを喫した。3月19日、ソウルで1敗後、5月7日、釜山でOBF王者呉英鎬とノンタイトル10回戦にて再戦し、判定引分となった。10月6日、ソウルで10R判定勝利を収めて再起を果たした。
日本王座獲得[編集]
1979年7月6日、用皆が返上して空位となった日本ライト級王座を大橋満雄(帝拳)と決定戦で争い、3RKO勝利で同王座を獲得した。大久保克弘(三迫)、峰猛(センタースポーツ)をいずれも序盤KOで退けて2度の防衛を果たした。
1980年4月3日、奈良市中央体育館で、日本王座を保持したまま、サムエル・セラノ(プエルトリコ)の持つWBA世界ジュニアライト級王座に挑戦。ガッツ石松を特別コーチに迎えて臨んだ一戦で、序盤は善戦したが、6Rにサウスポーへスイッチしたのが逆効果となり、王者の執拗なアッパー攻撃に13RTKO負けを喫した。
で、一番残念なのは、当時はまったく言われなかったボクシングの試合の描写の欠陥である。これは漫画の欠点ではなく、漫画では目立たなかった試合描写の欠点が、アニメでは露骨に出たのだろう。たとえば、ジョー(だけではなく試合当事者)が、試合中によそ見をして相手に攻撃され窮地に陥る話が非常に多い。これは現実ではほとんどありえないだろう。試合中にボクサーがニヤニヤ笑いをする描写も多く、それも不自然だ。私は、ボクサーが試合中に笑顔を見せたシーンは現実では一度も見たことが無い。
練習のシーンでは、右ストレートと左ストレートの連続でサンドバッグを打つシーンが何度も描かれるが、そのリズムがいつも一定で不自然である。現実にあんな調子で打ったら簡単に反撃を食うだろう。普通は、ジャブ・ジャブ・ストレートのように混ぜるはずである。ストレートの連打など現実の試合で見た記憶はない。
それに、クリーンヒットを受けた時、必ず口から血を流すのもおかしい。ひどい場合には腹(ストマック)への打撃で口から血を流すのだが、これは胃袋の破裂しかありえないだろう。つまり、即座に試合中止の事故である。それでもダウンから起き上がって試合再開であるwww
ほかにも、アッパーカットでのダウンから起き上がることができるというのも不自然だろう。これは脳震盪を起こしているわけだから、ほとんど回復不可能でそのままノックアウトのはずだ。まあ、試合のシーンではすべてにおいてあまりに簡単にパンチを受けすぎである。それだと、勝っても単なる幸運でしかなく、普通はレベルの高いボクサーは相手のパンチをほとんど食わないと思う。パンチを食った時点でヘボボクサー確定と言っていい。モハメッド・アリなど、完全に下り坂の晩年までは相手のパンチをほとんど食わなかったと思う。
どうでもいい話だが、話の大山である力石徹へのテンプルへのパンチで力石を死に至らしめたことでジョーがノイローゼになりテンプルへのパンチを打てなくなり、ボクサー廃業の危機に陥る出来事だが、これは問題になること自体がおかしいだろう。そもそもテンプルへのパンチが当たるのは、フックを打って、それがうまい具合に決まった場合だけであり、それ自体が稀有な例だろう。ジョーはほとんどストレートとアッパーしか打たないボクサーとして描かれている。つまり、彼の場合はテンプルへのパンチ自体が普通ではありえないわけだ。顔の横にあるテンプル(こめかみ)をストレートやジャブで打つこともアッパーカットで打つことも不可能なのである。相手がさあ打ってくださいと顔を横に向けた場合だけ、それが可能になる。試合中に相手から顔をそむける馬鹿は滅多にいないだろう。
まあ、テンプルへのパンチなど、クリンチに近い状態からのフック以外、そもそも当たるものではないから、気にする必要などまったく無いわけだ。つまり、それ無しでボクサーを続けることは容易だろう、というのが私の推定である。
ということで、梶原一騎は「人情噺」を作るのは上手いが、ボクシングの試合の描写はあまり上手くなかったと思う。第一、クロスカウンターなど、本当に当たるのだろうか。当たったとして、後から出したパンチのほうが(梃子の原理だとホラを吹いているが)なぜ先に出したパンチより強いパンチになるというのか。
以上書いたことは、アニメを作る側は最初から分かった上で「ドラマ性」を盛り上げるためにあえてやったことだという弁明は可能だろう。だが、それで本当にドラマ性が向上しただろうか。むしろその不自然さが見る人を「引かせた」のではないか。
現実のボクシングのリアリティに忠実に描いたほうが、むしろドラマ性も高まった可能性が大きいと私は思っている。ただし、実写映画でボクシングを描いた作品の成功例は(私は一作も見ていないが)「ロッキー」シリーズ以外にはほとんど無いようだから、何とも言えない。アニメでこそボクシングは(精密な描写が可能だから)面白い話になりそうな気がする。
今、アマゾンプライムで「あしたのジョー」を見ているが、話は面白いが、ボクシングの基本技術をきちんと話の中に入れればもっと面白くなったのではないかと思う。特に、ジョーに防御テクニックをまったく教えないまま話が進むのはどうかと思う。防御技術無しで世界の頂点に立ったボクサーなど存在しないだろう。マイク・タイソンにしても、基本姿勢がブロッキングだから、防御から一気に攻撃に行けたはずだ。
ジョーお得意の「ノーガード戦法」など、プロの世界ではいい獲物にしかならないはずだ。まあ、話を盛り上げるためだろうが、登場人物の誰も彼も、パンチを受けすぎである。一発のラッキーパンチで、チャンピオンでもKOされるのがボクシングの厳しさではないか。つまり、パンチを受けた段階で、そのボクサーは三流か二流だろう。ただし、「殴り殴られ」はドラマチックではある。
■ ディフェンス(防御)の種類
〇ブロッキング
腕をL字に曲げ、肘を内側に入れて、ストレート、フック、アッパーに使えます。
〇バックステップ
相手のパンチに合わせて、半歩さがり空振りさせます。
〇サイドステップ
相手のパンチに合わせて、左右に動き空振りさせます。
〇スウェー
上半身を後ろにそらし、相手のパンチを空振りさせます。足は使えません。
〇ダッキング
膝の屈伸を使い、上半身をかがめ、ストレート、フック系パンチをよけます。
〇ウェービング
膝の屈伸を使い、上半身をUの字、Vの字のようにかがめパンチをよける技術です。
■ ディフェンス(防御)の練習の仕方
〇ヘッドスリップ
体を捻って相手の打ってきたパンチを避けるディフェンス・テクニックです。(ジャブやストレート系パンチへの防御。)
パンチを避ける時に大きく体を動かすのではなく、必要最低限の動き(=拳1個分)だけで避けるようにします。
ヘッドスリップのコツは、アゴを引いて相手をよく見たまま、体を斜め前に倒すこと。
肩の上に相手のパンチを通すイメージで体をひねります。
〇ウィービング
体を落とし頭で上下に円を描くようにして、相手のフックを避けるディフェンス・テクニックです。
膝を柔らかく使い、なめらかな動きで 頭の上を相手のフックが通るようにします。
左足と右足で体重移動(シフトウェイト)をしながら、上半身をU字に移動させるのがコツ。
ウィービング中は頭部が上下に移動しますが、相手から目を離さないようにしましょう。
〇ブロッキング
トレート系パンチやフックを防ぐディフェンス・テクニックです。ヘッドスリップやウィービングでの防御が間に合わない時や、相手の懐に深く潜り込んだ際などに、ブロッキングでの防御は役立ちます。また、体の正面に両腕を重ね ブロッキングで防御したまま、体をひねってフックの予備動作へ移ることもできます。このようにブロッキングは攻防一体。積極的に攻めながらも守りを固められるテクニックです。腕で相手のパンチをガードします。
〇スウェー
上体を後ろに引いてパンチをかわすディフェンス・テクニックです。(主にアッパーやフックへの防御。)相手のパンチが来たら、右足(後ろ足)へ重心を移動させつつ 上体を後ろに移動させます。この時、即座に次のパンチへ反応できるよう、上半身を反らせないのがコツ。スウェー中も、攻撃パンチをいつでも繰り出せる状態にしておきます。
さいごに
ディフェンスについて知っていただけましたでしょうか?ボクシングするにあたってディフェンスは大事です。皆さんも練習し身につけていただき今後に生かしてみてはいかがですか?
名無しさん August 29, 2022 15:10 名無しさん August 29, 2022 15:13 被害者はビルダーのチャンピオンじゃないの?
名無しさん August 29, 2022 15:18 パワーリフティングから膝の怪我でボディビルディングに転向したらしい
名無しさん August 29, 2022 18:53 そもそもボディビルダーは格闘技最強なんて目指してねーんだからw
名無しさん August 31, 2022 13:39 よく言う「見せ筋」ってやつか?これからはビルダーじゃなくハリボテくんに命名しようか
>>パワーリフティングの元世界・欧両チャンピオンのアンドレイ・ドラチェフ(32)が、カフェに居たところ、そこに居合わせた加害者の男が突然、被害者に「パワーリフティングの世界王者より、MMA(総合格闘技)の方が強い」と絡みだした。
>>被害者は喧嘩をする気はなく、平和的な解決を望んだが、加害者の男は通りに被害者を呼び出した。
>>被害者のアンドレイ・ドラチェフ(32)は、病院に運ばれ、頭蓋内傷であると診断され、その後死亡が確認された。
MMAファイターのほうがただの基地外じゃん