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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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前に、「GOSHICK」のどこが悪いのか少しだけ考察したが、まあ、要するに監督がダメだ、というのが或る回を見ていて分かった。実は脚本が悪いのではないか、とも思うのだが、脚本は例の岡田マリーである。誰かが書いていたが、8回に1回くらいはいい脚本を書く、「あの花」が過大評価されている脚本家だ。私自身は「あの花」も嫌いなのだが、これは個人的嗜好にすぎないので、「あの花」は、青少年の一部の層にはピンズドの作品だろうな、とは思う。
さて、本題の「ゴシック」だが、私が我慢できないのは、ファンタジーだろうがSFだろうが、細部のリアリティをいい加減にしている作品で、ファンタジーやSFだからリアリティは要らないという考えの作り手が大嫌いなのである。設定や世界像(世界観)自体は現実離れしていてもいいが、視聴者を「冷めさせない」ためには、細部のリアリティが絶対的に必要なのだ。それが、「ゴシック」では疎かにされている回があったわけである。まあ、その回だけではないが。ちなみに「ゴシック」は別にファンタジーでもSFでもなく、ゴシックロマン的舞台の推理物である。

さて、作品中のその問題の「リアリティの欠如」とは何かを具体的に言えば、「体重25キロくらいの幼女が体重50キロの少年を崖の上から手をつかんで落下を防ぐことが可能か」ということだ。誰が考えても物理的に有り得ないことだろう。もっとも、その幼女が見かけとは反対に体重が100キロくらいあるなら話は別であるが、そのような描写は無かった。
フィクションだからいい加減でいい、というのは大間違いであり、そういういい加減な描写によって視聴者の心は冷めてしまうのである。
まあ、それ以外にも、幅の広い木製の橋に、松明を投げると、石油を撒いていたわけでもないのにその火が橋の幅全体に一瞬で燃え広がるとか、有り得ない描写もあり、また、こちらには男が3人いながら、敵の女一人に男一人だけが立ち向かうとか、いったい、その間、男二人は何をしていたのか、とか。まあ、いろいろだが、この橋の上(崖も含む)のシーンは最低だった。

よく、作画崩壊とかがアニメでは話題になるが、「脚本家や監督の頭脳崩壊」のほうが問題である。
要するに、「こういうシチュエーションにしたら視聴者は感動するだろうな」という先入観だけで頭が一杯になって、ろくに考えもせずに場面作りをしてしまう、頭が残念な監督や脚本家がいる、ということだ。これは少し前に書いた記事の、「誰でも思いつくようなことは絶対に書かない」という宮崎駿の作劇法の対極にあるものである。
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