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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「極東ブログ」というブログから転載。
思わず、あっと言うような言葉だ。確かに、誰でも心の底では薄々おかしく思っていたことかもしれないが、このようにずばりと言われたのは、おそらく初めてではないか。
では、昔から「剣豪」と言われてきた連中は何なのか。それにも筆者は答えている。「あれは芸人なのだ」と。
実際、剣豪と言われている連中の伝記を見れば、そのあり方はまさしく芸人なのであり、自分たちでも自分たちを「芸者」と呼んでいる。「武芸者」などというのは後世の捏造語だ。
その「芸人」たちが真剣勝負をしたのは、べつに武芸向上のためではなく、自分の芸を高く売るためのやむを得ない宣伝活動だったのである。これも彼らの伝記を虚心坦懐に読めば明らかだ。吉川英治の「宮本武蔵」によって、求道者としての剣豪イメージが作られてしまったが、それは大きな間違いだったということである。
一般の侍にとっての刀とは、ただの武士階級のシンボルであり、だからこそ「武士の魂」という言葉にもなったのだろう。侍と剣術は、しかし、ほとんど結びつく必然性は無かったのである。つまり、「刀を持つ以上はそれを使う名目も必要」だから、仕方無く剣術を習った、と言うのがおそらく実態だったのだろう。
ほとんどの侍にとって刀など使う機会は滅多になかったのである。だから、本当は剣術だって真面目にやる者は少なかったはずだ。一種の趣味として剣術を真剣に学ぶ者がたまにはいた、という程度だろう。

(以下引用)

考えてもみよ、壬申の乱から源平合戦、そして武田軍団までは基本的な戦闘は騎馬戦なのである(歩兵や海戦もあるがここでは論じない)。そして騎馬戦からすぐに時代は鉄砲に移行するのだ。刀なんか振り回している武士なんてものは歴史上存在しない(*5)。

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