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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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ゆうきまさみがリツィートしたのは、太田忠司(漢字が変換されないほど知名度の無い作家だが)のツィートに共感したものだろうし、私も「露悪的作品」は嫌いだが、バトル系(企業小説など精神的闘争含む)漫画などでは悪役は不可欠であり、ジャンルによる問題だ、という話だろう。
なお、ドストエフスキーの「地下室の手記(地下生活者の手記)」は心内精神的バトルの超名作なので、一読をお勧めする。短編だが読むだけで精神レベルが数ランク上がる。あるいは精神世界が拡大する。つまり、ドストエフスキーという超天才の知性が数パーセント(小数点以下だが)獲得できる。(なお、ドストエフスキーは実人生では人格的に最悪だったらしい。)

(以下自己引用)

内面の葛藤は「物語」たりうるか
            創作についての思索 2017年10月03日

この考えに基本的には同意だが、善人は基本的に心の中で葛藤するだけで悪行には至らない。
したがって、善人だけでは「物語」は生まれない。特に、劇的な物語にはならない。
大衆小説や大衆演劇、映画などで必要なのは優れた悪役なのである。純文学なら、内面の葛藤だけでも小説にはなる。





ゆうき まさみさんがリツイート
太田忠司‏ @tadashi_ohta 10月1日

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人間の醜い部分を露出させることを「人間を描く」ことだと思っている人がけっこういる。レビューなんかでもそんな作品の方が書かれやすい。逆に善人を出すと「理想主義」と言われたりする。でも善き人にも葛藤がありそこに物語は生まれる。



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