ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「大摩邇」から転載。
プロは本当の事は教えない、というのは面白い。
(以下引用)
『この世に不可能はない』
~ The Power of Mu ~
生命体の 無限の力
政木和三
序章
『私』という人間
● 真実をとことん追求しないと気がすまない
以上、私は、科学者としての自分、発明家としての自分、ゴルファーとしての自分について、かいつまんで語ってきた。だが、これらはキャリアによって形づくられてきたごく一部の表面的な自分であって、私の人間性を語るものではない。
では、自分とは、ひと言でいったら、いったいどういう人間なのだろうか。
これまでの人生を振り返って、強いて自分を特徴づけるものは何かと探せば、物事の真実をとことん追求する姿勢を貫いてきたという点がひとつ。それからもう一つは、それによって得られたものを独り占めにせず、やさしく噛(か)みくだいてより多くの人々に提供してきたという点が挙げられるかもしれない。
ゴルフの話が出たついでに、ゴルフを例にその点について述べてみよう。
私はゴルフほどやさしいスポーツはないと思っているが、一方では、ゴルフは非常に高度なテクニックを要する、難しいスポーツであるかのように考えている人たちもいる。それは長年の鍛錬によって修得された名人の技術を最高のものとし、それをそのまま真似ようとするからだろう。
私は、そういう考え方には賛成できない。名人の技術は、鍛錬によって自分の体に染みこませた、名人一人だけのものである。また、このような長年のきびしい鍛錬によって得られた技術は、同じようなきびしい鍛錬によってしか維持できない。毎日毎日、何百球も打っていないと維持できない安定の悪いゴルフなのである。それを真似ようとしても無理というものだろう。
苦しい鍛錬によって得られた技術であるだけに、とくに名人といわれるようなプロほど自分の技術を大事にし、人にはその真髄を明かさない。
二年ほど前、大阪である有名なプロがレッスンしているところを、私は横から見ていたことがある。教え方を見ていると、どうも本当のことを教えているようには思えない。こんな打ち方を覚えたら、いくら練習しても絶対にボールはまっすぐ飛ばないし、飛距離は出ないだろう。そう思った私が、レッスン終了後、どうしてそんな教え方をするのか質(ただ)してみると、『本当のことを教えたら自分たちはメシを食っていけません』ということばが返ってきた。
いま、日本の一流のプロゴルファーの多くは、政木流の打ち方を実践しているが、それでいていざ自分が人に教えるときは、本当のことを教えない。それがプロなのである。
だいぶ以前、ジャック・ニクラウスが日本のテレビで打ち方の講釈をしたことがある。その中で、クラブフェースを飛球線に直角に戻しなさい、と説明していたが、あれは明らかに間違いである。トップからクラブを振りおろしてきて、平行から直角に直すというのは、一生練習しても不可能だろう。それではクラブフェースは必ずどちらかを向いてしまうのである。クラブフェースの角度が一度狂っただけで、一〇〇メートル先で一メートル、二〇〇メートル先で二メートル横にずれてしまう。角度が三度狂ったらOBになる。それほど精密なのだ。
ひと頃、日本のプロはみんなこの打ち方をして失敗した。何年か前に、やっとその誤りに気づいて政木流に変わってきたのである。
実は、私はいま、従来の指導書とは全く違う視点からゴルフを解説してベストセラーとなった『臍(へそ)中心のシンプルゴルフ』(東洋経済新報社)の続編ともいうべき『真理のゴルフ』というタイトルの本の準備もしていて、本書と並行して原稿を書いているところである。女性や老人、あるいはこれから新しくゴルフを始める人が、どうしたら最も楽に上達できるか、そのための究極の指導書である。私が毎日何百球もの打ちっぱなしをしているのは、本に書く打ち方を確認するためだ。つまり私は、自分のためではなく、練習しないでも楽に上達する方法を多くの人たちに知らせるために、八十一歳の老骨に鞭(むち)打ちながら毎日毎日、打ちっぱなしの練習をしているのである。
だから、この本を書き上げたら、お役御免というわけで、私はもうゴルフをやめようかと思っている。それに、私のゴルフは、行きつくところまできたし、もうこれ以上は進歩しないだろう。進歩のないものは、それ以上やっても仕方がないからである。
さて、以上がごく大ざっぱに眺めた私自身の輪郭である。書いてみてわかったのは、自分自身について語ることの難しさということだ。人間は誰でもそうだと思うが、私もまたいろいろな要素をもっていて、これだけのページではとうてい自分を語りつくせるものではない。したがって、その点については結局、本書の全体をお読みいただく中で補っていただくしかないということになろうか。
初版印刷:1997年7月20日
初版発行:1997年8月5日
著者:政木和三
発行人:枻川恵一
発行所:㈱サンマーク出版
発売元:㈱サンマーク
印刷:共同印刷㈱
製本:㈱若林製本工場
©Kazumi Masaki. 1997
ISBN4-7631-9192-6 C0030
プロは本当の事は教えない、というのは面白い。
(以下引用)
『この世に不可能はない』
~ The Power of Mu ~
生命体の 無限の力
政木和三
序章
『私』という人間
● 真実をとことん追求しないと気がすまない
以上、私は、科学者としての自分、発明家としての自分、ゴルファーとしての自分について、かいつまんで語ってきた。だが、これらはキャリアによって形づくられてきたごく一部の表面的な自分であって、私の人間性を語るものではない。
では、自分とは、ひと言でいったら、いったいどういう人間なのだろうか。
これまでの人生を振り返って、強いて自分を特徴づけるものは何かと探せば、物事の真実をとことん追求する姿勢を貫いてきたという点がひとつ。それからもう一つは、それによって得られたものを独り占めにせず、やさしく噛(か)みくだいてより多くの人々に提供してきたという点が挙げられるかもしれない。
ゴルフの話が出たついでに、ゴルフを例にその点について述べてみよう。
私はゴルフほどやさしいスポーツはないと思っているが、一方では、ゴルフは非常に高度なテクニックを要する、難しいスポーツであるかのように考えている人たちもいる。それは長年の鍛錬によって修得された名人の技術を最高のものとし、それをそのまま真似ようとするからだろう。
私は、そういう考え方には賛成できない。名人の技術は、鍛錬によって自分の体に染みこませた、名人一人だけのものである。また、このような長年のきびしい鍛錬によって得られた技術は、同じようなきびしい鍛錬によってしか維持できない。毎日毎日、何百球も打っていないと維持できない安定の悪いゴルフなのである。それを真似ようとしても無理というものだろう。
苦しい鍛錬によって得られた技術であるだけに、とくに名人といわれるようなプロほど自分の技術を大事にし、人にはその真髄を明かさない。
二年ほど前、大阪である有名なプロがレッスンしているところを、私は横から見ていたことがある。教え方を見ていると、どうも本当のことを教えているようには思えない。こんな打ち方を覚えたら、いくら練習しても絶対にボールはまっすぐ飛ばないし、飛距離は出ないだろう。そう思った私が、レッスン終了後、どうしてそんな教え方をするのか質(ただ)してみると、『本当のことを教えたら自分たちはメシを食っていけません』ということばが返ってきた。
いま、日本の一流のプロゴルファーの多くは、政木流の打ち方を実践しているが、それでいていざ自分が人に教えるときは、本当のことを教えない。それがプロなのである。
だいぶ以前、ジャック・ニクラウスが日本のテレビで打ち方の講釈をしたことがある。その中で、クラブフェースを飛球線に直角に戻しなさい、と説明していたが、あれは明らかに間違いである。トップからクラブを振りおろしてきて、平行から直角に直すというのは、一生練習しても不可能だろう。それではクラブフェースは必ずどちらかを向いてしまうのである。クラブフェースの角度が一度狂っただけで、一〇〇メートル先で一メートル、二〇〇メートル先で二メートル横にずれてしまう。角度が三度狂ったらOBになる。それほど精密なのだ。
ひと頃、日本のプロはみんなこの打ち方をして失敗した。何年か前に、やっとその誤りに気づいて政木流に変わってきたのである。
実は、私はいま、従来の指導書とは全く違う視点からゴルフを解説してベストセラーとなった『臍(へそ)中心のシンプルゴルフ』(東洋経済新報社)の続編ともいうべき『真理のゴルフ』というタイトルの本の準備もしていて、本書と並行して原稿を書いているところである。女性や老人、あるいはこれから新しくゴルフを始める人が、どうしたら最も楽に上達できるか、そのための究極の指導書である。私が毎日何百球もの打ちっぱなしをしているのは、本に書く打ち方を確認するためだ。つまり私は、自分のためではなく、練習しないでも楽に上達する方法を多くの人たちに知らせるために、八十一歳の老骨に鞭(むち)打ちながら毎日毎日、打ちっぱなしの練習をしているのである。
だから、この本を書き上げたら、お役御免というわけで、私はもうゴルフをやめようかと思っている。それに、私のゴルフは、行きつくところまできたし、もうこれ以上は進歩しないだろう。進歩のないものは、それ以上やっても仕方がないからである。
さて、以上がごく大ざっぱに眺めた私自身の輪郭である。書いてみてわかったのは、自分自身について語ることの難しさということだ。人間は誰でもそうだと思うが、私もまたいろいろな要素をもっていて、これだけのページではとうてい自分を語りつくせるものではない。したがって、その点については結局、本書の全体をお読みいただく中で補っていただくしかないということになろうか。
初版印刷:1997年7月20日
初版発行:1997年8月5日
著者:政木和三
発行人:枻川恵一
発行所:㈱サンマーク出版
発売元:㈱サンマーク
印刷:共同印刷㈱
製本:㈱若林製本工場
©Kazumi Masaki. 1997
ISBN4-7631-9192-6 C0030
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