ひとつの「馬淵神話」がある。
初戦は負けない――。
馬淵史郎は監督就任2年目、91年夏に自身初となる甲子園出場を果たし、それから10年夏まで20大会連続で初戦を突破した。
その理由は明快、かつシンプルだった。
「1回戦はデータ分析も含めて、もっとも準備に時間をかけることができる。それだけのことよ」
11年春に初戦初黒星を喫したものの、その後も、やはり初戦の勝率が極めて高く、春夏計33回の甲子園で、4回しか負けていない。
6番代木「マシンを速くして打ち込んできたのに…」
この日の仙台育英戦も、「準備」は万端のつもりだった。
1点を追う明徳は4回表、絶好のチャンスを得る。2アウト一、三塁で、打席には好打者の6番・代木大和が立った。
すると、ここですかさず仙台育英ベンチが動いた。まだ1本しかヒットを許していない先発・古川翼をあきらめ、エースの伊藤樹にスイッチ。代木は左打者で、本来、左投手の古川の方が有利な面もあるが、構わず、右の本格派右腕である伊藤をぶつけてきた。馬淵が振り返る。
「驚きませんでしたよ。東北大会でも、仙台育英さんは、同じように3回か4回で継投していたので」
ただ、実際のボールには面食らった。代木の証言だ。
「マシンのスピードを速くして打ち込んできたんですけど、マシンでは体感できない軌道でした」
代木は伊藤のストレートに完全に差し込まれ、空振り三振に終わる。
地元のライバル校、高知高校には中学3年時に150キロ(軟式)をマークした怪物右腕、森木大智がいる。そのため明徳は日頃から森木を意識し、マシンのストレートを速めに設定していた。が、いわゆる「キレ」は伊藤の方が上だった。馬淵が言う。
「森木君とは球質が違いましたね。甲子園(のスピード表示)は3キロぐらい速く出るので、伊藤君の実際の球速は140キロちょっとでしょう。でも、スピン(のかかり方)は伊藤くんの方が上でした」
馬淵「あれは明徳の守備とは言えない」
想像と実際。そのギャップに驚かされたプレーがもう1つあった。馬淵が言う。
「仙台育英の選手は、とにかく足が速い。普通なら余裕を持ってアウトになるようなタイミングなのにギリギリ。ほんと、速い。自信持ってますよ。よくあれだけ足の速い選手を集めましたね」
序盤から中盤にかけ、守備力を売りにしている明徳らしからぬプレーが続出した。2回には、唯一、昨年からのレギュラーであるショートの米崎薫暉が、完全にセーフのタイミングだったにもかかわらず、無理に一塁に送球してセカンド進塁を許してしまう。結果、傷口が広がり、先制点を許した。馬淵は、こう苦言を呈した。
「あそこは絶対、ノースローの場面。間に合わないのに投げて、ムードを悪くした。めちゃめちゃ物足りないですよ。あれは明徳の守備とは言えない」
三塁の梅原雅斗もらしからぬミスを犯した。自分の目の前に転がってきたボテボテの三塁ゴロに対し猛然と突っ込み、捕球し損ねる。結果こそヒットになったが、「自分の中ではアウトにできた打球」と唇をかんだ。仙台育英の打者の体感走力は予想以上だった。
「想定はしてたんですけど、実際の方が焦りますね。ギリギリのプレーになることが多かったので……」
明徳はこの試合、リリーフした伊藤にノーヒットに抑え込まれ、合計1安打に終わった。守備では10安打されながらも1点にしのいだが、馬淵は「実力差はあった」と完敗を認めた。
データが教えてくれるものと、決して教えてくれないことがある。明徳は想定不能な人間の「生」の部分に敗れた。