要するに、プレーをするのは選手であり、選手自身が自分で考えて動けるというチームが理想なのだ。(監督の馬鹿な指示で自滅するという、)監督などいないほうがいい場合もけっこうある。
学校部活動の指導者による暴力がなくならない。「上達するには体罰も必要」「自分もたたかれて強くなった」と話す指導者は多い。暴力指導の連鎖を断ち切るには何が必要か。ヒントを探ろうと元近畿大野球部監督の榎本保さん(64)を訪ねた。自他共に認める「鉄拳監督」だった榎本さんは、ある選手との出会いをきっかけに指導法を変えた。脱暴力は自分自身との壮絶な戦いだったという。(論説委員・小林由佳)
-転機となったのは、糸井嘉男選手(現阪神タイガース)の入部とか。
「彼は投手として2000年に入部した。『球界の宇宙人』と言われているように、超天然。当時は怒鳴る殴るが当たり前で、『殴る方も痛いんやで』とフォローするのが指導だと思っていた。でも、糸井には全く効果がなかった」
「初球バントのサインに『いい球が来なかった』とスリーバントを決めてくる。盗塁を指示しても無視。『けん制球が来そうだったので走らなかった。監督、何で僕にサイン出すんですか』と。自分の方が投手の動きを読めると言いたかったのだろう。頭を抱えた」
-で、指導法を変えた。
「この素質あふれる選手を伸ばすには自分が変わるしかないと思った。鉄拳を封印し、怒鳴りたいのをぐっと我慢した。どの選手に対しても、いいプレーは褒め、ミスをしたら丁寧に説明し、改善点を納得させるよう心掛けた」
「でも、とにかく苦しく、これでいいのか自信が持てなかった。夜、布団に入っても選手のミスが頭に浮かぶ。『何でできへんのや』とがばっと起きて、家の壁を穴が開くまでパンチしたり…。不眠の薬を処方されても眠れなかった。試合に負けて球場のトイレで1人大暴れしたこともある」
-選手たちに変化は?
「3年ほどすると変わってきた。監督が細かく決めていたサインを、自分たちでライバル校を研究して『監督、このサインでお願いします』と提案してきた。自分さえ良ければいいという選手がいたが、そのうちみんなで勝とうという意識が芽生え、練習に自主性が出てきた。自ら考え、気付きがあった選手は強い。技術も着実に向上する」
-しかし、今も暴力的な指導がはびこっている。
「私もそうだったからよく分かるが、人は自分の体験を美化しがち。殴られたから今の自分がある、と思い込む。もう暴力に頼る時代ではない。どうすれば選手が伸びるのか、それを見極め、自主性に任せるのが指導者の役割。たたいても一流選手は育たない」
「体罰が横行するほど部活動が過熱する要因の一つに、親の過剰な期待があると思う。プロに行かせたいあまり指導法や選手起用に干渉し、わが子のやる気をそぐ親を何人も見てきた。子離れできた親を持つ選手はたいてい伸びた。指導者も親も、子どもの成長機会を奪っていないか、立ち止まって考えてほしい」
【えのもと・たもつ】近畿大卒。母校の職員となり、コーチを経て2001~13年、野球部監督。関西学生野球リーグ12回優勝。10年に大学日本代表監督として世界大会3位。コーチ時代を含め、大隣憲司(現千葉ロッテ2軍投手コーチ)や藤田一也(現楽天)など28人の選手をプロに送った。