キャラ設定や作中のギャグはなかなか面白いところもあるのだから、実に惜しいアニメだと思う。どうして、普通の青春ものにしなかったのだろうか。
「氷菓」などでも、一番面白いのは推理関係の部分ではなく、学園ドラマの部分だったのだが、人間、いくつになっても学園もののドラマは面白く感じるはずなのである。実写ドラマだと、20歳を超えた人間が高校生や中学生を演じる気持ち悪さがあるわけで、実は学園ドラマは、アニメの独擅場なのだ。
学園ものには限らない。青春をさまざまな形で描けるのはアニメならではだろう。今年最大のヒットとなった「君の名は。」の成功は、大人でも青春ものを楽しく見る、という事実を明白に示している。それがSFだから成功したわけではなく、高校生男女の甘酸っぱい話だから楽しく、だからたくさんの人を集めたはずだ。「時を駆ける少女」が日本映画界の永遠の古典であるのも同じ理由である。
アニメの青春ものに関して言えば、非肉体的エロス(アニメである時点で、その肉体性はすでに精神的な何かに変換され昇華されている。)の魅力が青春ものの本質で、それは老若男女を問わないのかもしれない。
なぜ、それほど青春ものが面白いのか、ということにはもっと詳しい分析が必要だろうが、今はその事実の指摘だけにする。
なお、題名を横文字にした時点で、この作品は売れないものになることは予見できただろう。
俳優の名前でも、読み方が分かりにくい名前の俳優は売れなくなる。古尾谷雅人とか、丹古母鬼馬二とか、どう読めばいいかすら分からない。字も今適当に書いただけだ。他人に伝えにくい名前や題名を苦労して伝えようとする人間などそんなにはいない。charlotteなど、この綴りで良かったかと気にし始めたら、強いて調べてまで記事を書こうとする気力を無くすはずである。
(以下、ウィキペディアから引用)「全体として能率が悪く、拡散する物語のアイデアの寄せ集め」というEkensの言葉は、第一話を観た感じだけで言えば(話全体のおおまかな流れもウィキで少し読んだが)、かなり的を射ているように思う。
評価
Anime News Networkのレビューによると、評論家のGabriella Ekensはこのシリーズを「sculpting singular, evocative moments」と称賛したが、続けて「あなたがそれらを大局と結び付けようとしようとした時、問題が生じてくる」と言った[81]。Ekensはこのアニメの進行と構成を批判し、「『Charlotte』は全体として能率が悪く、拡散する物語のアイデアの寄せ集め」だと評し、「『あの花』が急に『DARKER THAN BLACK』に変わった」ようなものだと比較した[81]。また、Ekensは、この物語のテーマの目的を最後から2/3のところまで明らかにしなかったのは、「『魔法少女まどか☆マギカ』がもたらす感情的ジレンマをメロドラマ風に緻密に仕上げる麻枝准の機会だと思われる」と語る[81]。第4話の野球回[82]の時点で、少なくとも『プラスティック・メモリーズ』よりかは面白く、「ばかげているかもしれないが、『終わりのセラフ』でのコメディーが好きなのと同じ理由で好きだ」と語る[83]。総合して、『Charlotte』はそのエンターテイメントの価値と予測不可能性から定評があるが、「芸術作品としては期待を裏切った」[81]。
ライターの中澤星児は、『Charlotte』は一見したところ普通の学園モノのアニメだが、それはほんの一要素でしかないことから本作品を「『萌えアニメ』ではなく『人間ドラマ』」と位置づけ、単なる萌えアニメではないと評した[84]。さらに、話が展開されるにつれ能力者であるが故の葛藤が浮き彫りになっていく主人公らの成長物語であり、気が付けば、一般社会と思春期の真っただ中にいる彼らが対峙した時にみつけるものと自分を重ねているとコメントする[84]。そして『麻枝節』の特徴である、どこかそこはかとなく感じられる死を基調としたシリアスな展開を巧妙なギャグを入れることによって中和させるシナリオがこの作品にうかがえると語る[84]
個性的なキャラクターと共に問題を解決していくシナリオは独創的なもので、幅広い視聴者層にも受け入られるようなバランスがあるとしている[85]。主人公・乙坂有宇のゲスさに第1話の初めから驚き、その後に彼の日常が全く異なるものとなってしまったことに引き込まれていったとコラムニストの小新井涼はコメントする[86]。