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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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「映像研」アニメ第三回に出てきたマチェットだが、実は家庭での所持も認められているらしい。日本刀とほとんど同じ威力がありそうなのに、生活用品扱いのようだ。

(以下引用)


マチェット所持、法律は?

y.h_marubatsuさんの投稿



皆さんから、素朴な疑問として、良くマチェット所持は日本では銃刀法違反にあたるのでは!?と、質問を受けたりしますが、、、、安心して下さい、大丈夫ですよ!日本の法律的にはマチェットくんは斧や鉈や、農作業の鎌、台所の包丁と同じ扱いの物なんです。(マチェットは、生活刃物と呼ばれる刃物に分類にされています。)かと言って、むき出しでマチェットを振り回しながら歩いていたら、即御用になってしまいますので、ご用心を。

xixrxaxmxdxさんの投稿



写真のような、切れ味するどい日本刀は、持ち歩くのに許可が必要です。ですが、マチェットの様に生活刃物と分類されている刃物類は、倫理や常識の範囲で、正当な理由で所持する、または使用する分には法律には触れませんので、ご安心ください。日本のアウトドアシーンでは、まだまだあまり一般的には馴染みがないかも知れませんし、マチェットをご購入される前に法律的に大丈夫かと不安に思うかも知れませんが、大丈夫です。しっかりした知識を持ちながら、楽しく安全に、カッコ良くマチェットを使いたいですね。






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まあ、86歳なら大往生というべき年齢だろうが、中年以降に、もう少し活躍の場を与えてほしい、個性のある俳優だった。こういうバイプレイヤーこそ日本映画に厚みを与えていたのである。なお、(これは私の兄が昔言っていたが)彼はおそらく「ヴェラクルス」でのバート・ランカスターの演技を自分の映画的個性の土台にしたと思う。そしてそれは見事に成功している。
ちなみにショーケン(萩原健一)の演技は「灰とダイヤモンド」のチブルスキーの演技を研究して作ったのではないか。あるいはゴダール映画のベルモンドかもしれない。優れた演技者はまったくオリジナルでその演技上の個性を作るというより、自分の演技の「先生」を発掘するのが上手いのだと思う。なお、赤木圭一郎はもちろん、ジェームス・ディーンであるが、その死まで似ていたのは完全な偶然なのか、圭一郎の深層心理に死への願望があったのか、分からない。
沢田研二も演技の上手い人だったが、あの演技に「オリジナル」があったのかどうかは分からない。あまりに自然すぎる演技なのである。まったくカメラや人の目を意識しないで演じられるというところに、元歌手などが演技が上手い理由があるような気がする。舞台俳優などは最初から作り物としての演技だから、身振りも発声なども自然のものではないはずだ。それが昔の俳優の演技の「臭み」だったと思う。



宍戸錠さん、86歳で死去。日活の黄金時代を支えた映画スター


1/21(火) 18:06配信


ハフポスト日本版


日活の黄金時代を支えた映画俳優の宍戸錠(ししど・じょう)さんが、86歳で死去した。NHKニュースなどが報じた。

【宍戸錠さんの画像集】

TBSニュースが関係者の証言として報じたところによると、1月21日に東京・世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、警察官や救急隊が駆けつけたが、現場で死亡が確認されたという。


ほっぺたを美容整形して敵役に転身

宍戸さんは1933年、大阪生まれ。1954年、日大芸術学部演劇科在学中に、日活ニューフェイス第一期生に合格した。

著書を出した新潮社の紹介文によると、1955年に『警察日記』で初出演後、二枚目俳優として売り出していた。しかし、日活映画が石原裕次郎の登場で黄金期を迎えたとき、鳴かず飛ばずの下降線をたどり始める。日本の男優にあって初めて美容整形手術(豊頬手術)を受け、大きくイメージを変えた。

「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」によると、美容整形後は小林旭さんの「渡り鳥」シリーズ、赤木圭一郎さんの「拳銃無頼帖」シリーズなどで敵役として売り出し、「エースのジョー」と呼ばれて人気を集めた。

やがて、「元祖ドッキリカメラ」の司会や「食いしん坊!万歳」などテレビの世界にも進出。スポニチによると、2001年3月に美容整形で入れた頬の隆起を切除する手術を受けて、無事に成功している。


自宅を火事で失ってからは露出が減っていた

2009年のNHK大河ドラマ「天地人」では、主人公・直江兼続の伯父にあたる直江景綱を演じていた。ただ、2013年に東京・世田谷区の自宅が全焼してからは露出が減っていた。


ハフポスト日本版・安藤健二














「映像研」の第三話は、原作者の大童澄瞳が「神回」だと自分のツィッターで言っていたので、期待値が高くなりすぎたのか、「? 薄いな」と思ったのだが、実際に「話としては薄い」回だったようで、つまり「表現を味わい、楽しむ」回だったのだろう。言い換えれば、「マニアックなアニメファンにとっての神回」というわけだ。実際、作中のアニメ(アニメ内アニメ)の表現はかなり高度に思われ、ある漫画家がツィッターで「高校生の作るアニメじゃない」と言っていたのは当然だろう。ただ、これは「2050年の未来の高校生」がアニメを作るのであり、あと30年後には高校生はそこまで進歩しているかもしれない。

なお、前出の漫画家氏は、「キャラの顔が毎回違う」とも言っていたが、これも実作者らしい鋭い指摘である。ただし、それが悪いというのではなく、「アニメーター(あるいは原画マン)」によって顔が少しづつ違うということも、鑑賞のポイントと見るべきアニメだと思う。

浅草氏が延々と同じ麺を啜り込んでいる場面も、それを「アニメ制作における省略の技法をメタ表現している」と書いてあるファンのツィートもあり、多面的に見ることが可能なアニメのようだ。


ちなみに、その漫画家のツィートは下のようなもので、これは批判の言葉ではないと思う。また、「毎回キャラが違う」を私はキャラの顔が違うと捉えたが、個性の変化があるという意味にもとれる。特に水崎氏が浅草氏に感化されたような言動を前半でしていたのは、原作漫画には無い表現だったと思う。(それはそれで面白いわけだが。)
映像研ファンが、こうした発言を「悪意のもの」と受け取らないように願いたい。こうした指摘は、むしろ鑑賞の良い参考になるのである。


  1. 素人の描くアニメーションじゃない(笑) 



  2. 映像研は回によってキャラの描き方が違うねー(*´д`*)








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3話は実はストーリーラインが他話数よりも薄いので、純粋に演出だけで作品を表現しないといけない話数だったから、反響が多くて嬉しい。。がんばりました・・・。














この報告は面白い。子供にとっては「美人」の概念は未発達で、水崎氏の特徴は「金持ち」で終わるわけだ。そもそも、美人という概念は社会によって変動する。我々が美人と思うのは、その社会の多くの人(特に文化的発信者、多くはマスコミ)が美人と言っているから、その容貌を美人と判断し、それが自分自身の「美人概念」になるわけである。欧米人から見たら、水崎氏より金森氏の方が「アジアンビューティ」に見えるだろう。
浅草氏を「可愛い」と言っているのは、可愛いの概念が美人より普遍性があるからだろう。つまり、年齢にも社会にもあまり関係なく、清少納言の言う「何も何も、小さきものはみなうつくし(これは「可愛い」の意味。おそらく「慈しむ」と同根で、「慈しみたい気持ちになる」のが「可愛い」の基本にある。)」なのである。これは少産系の動物の本能にインプットされていると思う。だから親が子供を可愛がり、育てるのである。
金森氏が子供にとって「怖い」のは当然であり、その脅迫的・圧迫的な言動は、子供からみたら怖い存在そのものだろう。しかし、その「非妥協的態度」「明確さ」が欧米人からはまさに欧米的精神と見られるのではないか、とは以前に書いたとおりである。


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子どもと一緒に録画しといた映像研視聴完了。1話だけ見るつもりだっけど、「続きないの?」と言われ2話も見てしまった。感想聞いたら、浅草氏→かわいい。金森氏→怖い。水崎氏→お金持ち。とのこと


映像研の作者のツィッターには膨大な「映像研」関連ツィートがリツィートされているのだが、その多くがファンアート付きである。そして、面白いことに、海外勢のファンアートでは水崎氏があまり可愛く描かれない。中には、髪型すらロクに見ていない絵が多い。
と言うのは、実は彼女のヘアスタイルは、「水崎つばめ」という名前に由来する、ツバメの尻尾風ヘアスタイルだ、と私は見ており、うなじ部分を刈り上げにすることで、燕尾部分が強調されていると思われるのだが、外国人には「水崎つばめ」の下の名前が鳥の燕を意味していると気づかれないからだろう。
具体的な絵は省略する。
やはり、金森氏がスーシーに似ていると思う外国のアニメファンは一定数いるようだ。下のファンアートでは、浅草氏がリトアカ主人公(名前は失念)に見立てられている。両者の服の違いは、日常用と儀式用の違いである。リトアカファンは日本より外国に多いのではないか。
リトルウィッチアカデミアは子供のためにNHK教育放送で日曜朝に放映すべきアニメである。「映像研」と「未来少年コナン」と「リトルウィッチアカデミア」を3本立て続けに放送したら、日曜朝はNHKの視聴率独占状態になるのは保証していい。子供だけでなく、大きなお友達もテレビの前に集まるだろう。NHKの視聴料金を喜んで払うだろう。コナンを見て、彼の騎士道精神を学んだ子供は、なぜ善が守るべきもので悪が拒否すべきものか心に刻まれるだろう。つまり、この3作品で、男女の愛、同性同士の友情、同じ目標を持つ仲間意識、という重要な感情やモラルを子供たちは楽しみながら理解するのであり、それは一生の財産となる。
「面白い」という評価は、陰惨な、あるいは不道徳なアニメにも与えられるが、「楽しい」という評価は健全な作品でしか経験できない、より貴重なものだ。上記の3作品は、すべて「楽しい」アニメである。



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映像研には手を出すな第1話を見ていたらコナンに興奮!その後即コナンを見る5歳ホヤホヤの娘w






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Easy breezy~


prolly the quickest thing i draw in early 2020


新都社という、ウェブ漫画を扱うサイト(だと思う)の、掲載漫画ランキングを見て、そのタイトルの良し悪しを(内容を見ないまま)判断してみようと思ったが、いちばんいいな、と思ったのは

「じょしこうせいが あらわれた!」

というタイトルであった。これは、言うまでもなく、昔のテレビゲーム(ドラクエ以外にこの表現が使われたかどうかは知らない。)でのモンスターの登場場面の説明セリフだ。つまり、「じょしこうせい」がモンスター扱いであるwww だが、嬉しい遭遇でもあるわけで、そのモヤモヤ感とワクワク感が素晴らしい。ただし、先に書いたように、作品自体は未見である。
なお、その新都社の人気ランキング一位の「侠」は、三か月ほど更新が止まっている。私が見ている、わたモテ以外では唯一のウェブ漫画で、紙の雑誌に掲載されている漫画のほとんどより面白いのではないかと思っている。
なお、「わたモテ」評論で定評のある「場末の。」氏の更新もずっと途絶えていて、心配である。彼の評論は、漫画評論の最高峰だと私は思っている。



(追記)念のために「じょしこうせいが あらわれた!」を見てみたら、本当にモンスターで、かつ女子高生であったww
一話だけ転載してみる。どうせ、そのうち削除されるだろうが、絵は可愛いし、話も嫌味が無く、けっこう好きである。もっとも、私の主観だ。まあ、「くっころ」の話題が出てくること自体がエロだとするなら、一応は成人向けか。なお、新都社ランキング的にはかなり下であるので、ここで載せるのも作品の宣伝になると寛大に見てほしい。


















この「編集者の自惚れ漫画」を数人の漫画家がリツィートしているのだが、その神経が分からない。
この漫画を読むと、まるで、「名作、あるいは傑作漫画は編集者の頭脳から生まれ、漫画家はその道具でしかない」と言われているような気になる。
もちろん、漫画家に素晴らしいヒントを与える編集者も多いだろうが、それを作品化するのはあくまで漫画家であり、漫画家の頭脳と腕からしか漫画は生まれないのである。ヒントなど、編集者だけでなく過去の名作漫画や映画や実生活などどこからでも得られるはずで、編集者はその「手助け」をすればいいだけだ。「傑作は運命を捻じ曲げて生まれる」という言い方も気持ち悪い。まるで、「漫画家=(理不尽な)運命」で、編集者がその運命を捻じ曲げないと傑作は生まれない、と言っているようだ。


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「傑作は運命を捻じ曲げて生まれる」という話。


















これはいい指摘。どちらかと言えば、ベイスターズではなく、ラミレスの欠点だろう。つまり、反省能力が無い。あるいは、大局観が無い。だから、前半戦の負けを後半で帳尻合わせばかりすることになる。ここ数年のAクラス入りなどでラミレスを褒める人もいるが、あれは、「優勝できるチーム力がありながら優勝できなかった」だけである。私はここ数年、同じことを言っている。(数年前の前半戦に主力先発投手が数名故障あるいは不調だった時、飯塚や平良など若手を先発起用して好成績を残したことがあったが、野手に関しては、それが無い。不調選手の打順すら変えない。その投手起用も当時の投手コーチの判断だったのではないか。)
一番悪いのは、自分が「レギュラー認定」した選手が大不調の時にも先発で使い続け、前半戦を大きく負け越すことである。下のツィートにもあるが、その年のチーム状況はオープン戦終了時、あるいは遅くても他チームとの対戦が一巡した段階で把握しなければ監督として無能の一語に尽きる。
なお、古参選手は「帳尻合わせ」が得意だから、シーズン後半に成績を上げてくるのは当然であり、べつに一軍で使い続けたためではない。つまり、前半戦をいかに五割以上で乗り切るかに監督の能力は顕れる。主力選手の怪我などで後半の失速があっても、それは監督の責任ではない。



その年の戦力の見極めなんて、オープン戦~開幕一ヶ月も戦えば、おおよそこの一年の状況が見えて来る。それに合わせて戦い方を組み替えないと行けないのに、前年のイメージ引きずって前半戦終わるぐらいまで、同じような過ち繰り返し負けを積み重ねるのがベ












「電脳マヴォ」で継続的に長い間連載されている「夜のロボット」だが、私は一度も読んだことがないのである。その理由は、絵柄にある。要するに、画面がゴチャゴチャし過ぎていて、最初から読む気にならないのだ。特に、人物と背景の区別がつきにくいというのが、最大の問題だろう。コマ自体が小さすぎる上に、背景が視認の邪魔をする。大友克洋あたりの背景の描き込みに影響されたのかもしれないが、まあ、描くこと自体が好きなのだろう。つまり、自己満足である。読者の目線や心理を無視しているわけだ。ただし、それ(背景やコマの中味のゴチャゴチャ感)は「ワンピース」の絵にも言えることで、あちらは大ヒット作品になっているわけだから、これは私の主観でしかないかもしれない。
絵自体は達者な(と言うか、描きなれている)人だろうし、構図なども、ツィッターに載った部分だけからでもかなり工夫しているとは思うが、全体に平板で、強調点が目立たない絵だと思う。あっさり言えば、絵自体に魅力が無い。あるいは、私は魅力を感じない。
ついでに言えば、「夜のロボット」という作品タイトルも魅力が無い。なぜ、「夜の」なのか。夜という特定の時刻とロボットに何の関係があるのか。そもそも、「ロボット」という言葉自体にアナクロ感があるのだが、それは「狙って」のものなのか。まあ、そういう「スケベ心」(これは、エロ方面を意味するものではない。)を感じさせるタイトルであると思う。そういう「スケベ心」は読者に察知され、敬遠されるものである。いや、「読者受けを狙って、読者に敬遠される」のはおかしいだろう、と言われるかもしれないし、すべて商業作家は読者受けを狙うものだが、なぜか、許容されるものと拒否されるものがあるのである。
ちなみに、「電脳マヴォ」所載の作品には幅広い人気を得た作品もかなりあるが、「夜のロボット」はそういう作品ではないと思う。まあ、一部の人間には受容されているかもしれない。
この一文は、私自身の心理分析のネタとして「夜のロボット」という作品を取り上げたものだが、漫画創作全体に通じる部分はあると思う。つまり、「読む前から拒絶反応を起こす」作品というのは、内容が良ければ、非常に不幸なことであるわけで、こうした批評も無意味ではないだろう、というわけだ。


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随分遅くなってしまいましたが、夜のロボットの最新話(その3廿四話目「その日・朝」)を更新しました。
ニコニコ漫画 
マンガボックス
ハックとサイトはのちほど。
電脳マヴォさまは1/14水曜の予定とのことです。














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